「長瀬智也と同い年です」
長瀬智也をはじめて意識したのは、
高校時代の合宿の時であった。
合宿所のロビーのテレビが結構な音量で響いていて、
先生や、女の子たちが、それを見ていた。
私が遠目から、テレビの画面を見ていると、
そこには若々しい長身の青年がスタンドマイクを抱えながら
歌を歌っていた。
テレビの一等席を陣取っていた女の子が
「超、カッコイイ! 私たちと同い年なんだよ」
と先生に話している。
私がその会話の中に加わることはなかったが、
同じ年齢の人間が、テレビの中で当然のように歌を歌い、
キラキラ輝いているのを見て、
とうとう同い年の人が、テレビで脚光を浴びるようになったんだな、
そう思いながら自分の部屋に戻ったのを覚えている。
テレビの中で歌っていたのは長瀬智也であった。
TOKIOのデビュー曲「LOVE YOU ONLY」
溌剌とした、いかにもアイドルらしい可愛らしさのある曲で、
見ていて、少しこっ恥ずかしかった記憶があるが、
そんな思いがより、長瀬智也を強烈に印象づけたのだと思う。
そうか、同い年か。
長瀬智也を好きか嫌いかなど全く意識しなかったが、
とにかく、このセンターで歌う青年と、
自分が同い年であるということが
とても不思議でたまらなかった。
テレビで見る芸能人は、それまでは大抵年上で、
見上げるような思いで見でいたからだ。
東京ラブストーリーの織田裕二、江口洋介、
あすなろ白書の筒井道隆、木村拓哉
愛していると言ってくれの豊川悦司、
皆、年上のお兄さんであった。
遠い存在で、背伸びして見つめるのが、普通だったのだ。
しかし、この長瀬智也の登場により、背伸びして見るものではなく、
同じ延長線上にいる、遠い存在として見るようになった。
ドラマ白線流しは、相手役の酒井美紀の瑞々しさも手伝って、
長瀬智也の当時の陰影的な美が、
より、深いところまで映し出されていたような気がする。
演技の良し悪しは記憶になく、その存在感、空気感が、
記憶に焼き付いている。
その後、鉄腕ダッシュや、ドラマなどで、その活躍を目にしていた。
あれだけ活躍していれば、意識しなくても、
自然と目や耳にその存在は入ってくる。
いつだったか、夫と二人で車に乗っていた時、
何気なくラジオをつけたら、
カーステレオから、男の人の声が聞こえてきた。
その男性が、会話のさなか、アコスティックギターを、
ジャンジャカとかき鳴らして、一節歌ってみせたのだ。
その声と、ギターの強い音に、一瞬、この人誰だろう?
と、思った。一緒にいる夫も「誰だろう?」と言った。
誰なのか知りたい、そういう興味を惹かれる歌声とギターであった。
しばらく聞いていて、その声の主が長瀬智也だと知ったのだ。
私達夫婦はその事実のとても驚き、そして、感心した。
思わず、うまいもんだねぇ、なんて、失礼ながらも語り合った。
「LOVE YOU ONLY」の記憶で止まっていたからかもしれない。
TOKIOの宙船を聴いた時、何となくだが、
いいなぁ、と思ったのを覚えている。
その後、中島みゆき本人が歌う、宙船も聴いたが、
私の耳には、長瀬智也の歌う繊細さの残る宙船の方が、好みだった。
声や音程の良し悪しを越えた何かが長瀬智也にはあるような気がする。
偉そうに、素人ながらそんなことを考えたりもした。
TOKIOのAmbitious Japan!は、
新幹線の車内アナウンスでよく耳にしていた。
奈良を旅するのが好きで、京都までは新幹線を利用するのだが、
これからの観光にワクワクしながら
朝食用の、駅弁をテーブルに並べながら耳にする
Ambitious Japan!は格別で、
今でも、ラジオなどで不意に耳にすると、
スーッと旅の気分に誘ってくれる。気分の上がる曲だ。
自分の生活に、何気なく色を付けるような、
そんな存在感が、TOKIOにはあったように感じる。
追いかけていたわけではないが、こうして心に残るのも、
ある意味、縁のようなものだ。
その長瀬智也が、ジャニーズ事務所を退所した。
裏方になる、という噂もあるが、私はそれらの報道を詳しく見ていない。
今、長瀬智也は42歳。
芸能人の42歳は、同い年の私のそれとは全く違う。
まだまだ、若々しさが十二分に残っている。
もし、完全に表舞台から退くとすれば、
長瀬智也の50代、60代を、見られない、ということになる。
率直に、もったいない、と思った。
白髪で真っ白になった長瀬智也が、
宙船を歌ったり、役者をやるのを、見てみたかったなぁと、
特にファンでもなかったくせに、残念に思った。
長瀬 智也 1978年〈昭和53年〉11月7日生まれ。
その10日後に、私は生まれた。
初めて会う人に、自分の年齢を言ってもピンとこない場合、私は
「長瀬智也と同い年です」
というようにしていた。大体の人は、それで何となく把握できるからだ。
私にとって長瀬智也は、一番有名で、一番輝いていた同学年の人であり、
1978年生まれの象徴だった。
そういう存在だったのだ。
だから、今、少しさみしい。
でも、きっと、この同い年の青年は、どこへ行っても、
自分の持っているものを生かして、その存在を輝かせていくのだろう。
そして私はこれからも、誰かに年令を問われたら、
「長瀬智也と同い年です」
そう言ってしまいそうな気がする。
お読み頂き、本当に有難うございました!