居残り弁当と犬
買い物をしようとスーパーに行くと、通路の真ん中にぶどうが一粒落ちていた。
並べられた特売の巨峰から、ポロリと落ちてしまったのだろう。その様子は、親を見失って迷子になっている、憐れな子どものようだった。
「今日、スーパーの通路の真ん中に、ぶどうが一粒落ちてたよ」
帰宅後、夫に報告すると、
「旨かったかい?」
思いがけない言葉が返ってきた。
「野良犬じゃあるまいし、いくらなんでも、拾って食べたりしないよ」
そう答えると、
「俺、小学生のときに、道に落ちてたさくらんぼを食べて、お腹壊したことあるよ!」
なぜか夫は自慢げに胸を張った。どうやら私は、野良犬と暮らしていたようだ。
「なんで、そんなことしたの」
呆れながら訊くと、
「いやぁ、まだ食べられるかなぁと思って……」
自分から言い出したくせに、夫はなぜか、恥ずかしそうにもじもじしていた。
拾い食いの話になったせいか、私の頭に随分と昔の出来事が、よみがえってきた。
私は物心ついたときから好き嫌いの多い子どもで、きゅうりやほうれん草などの野菜、魚や果物が食べられなかった。口から鼻に抜けるような青臭さや生臭さ、噛んだらじゅっと汁が飛び出してくるようなものが、どうにも苦手だったのだ。
大学で栄養学を学び、料理に情熱を注いでいた母にとって、自分の子どもの好き嫌いは、恥以外のなにものでもなかったらしい。
食べられない私を見ては嘆き、場合によっては手が飛んでくることもあった。今ではあり得ないことかもしれないが、昭和の時代にはまだそういう躾が残っていたのだ。
それでも母なりに、頬や頭、お尻などを叩くのは、教育上よろしくないと思っていたらしく、さぁ、叩くぞ! となったとき、
「脚を出しなさい!」
母はそう叫んだ後、
バチーン!
と、勢いよく太ももを叩いた。
子どもだからといって容赦はしない。ひっぱたかれた後の太ももには、くっきりと母の手形が残った。
好き嫌いの多い子どもにとって、給食やお弁当の時間というのはつらい時間だ。母は野菜の入っていないお弁当を幼稚園に持たせるのは、体裁が悪いと思っていたらしく、弁当箱の隅っこには必ず、ほうれん草のお浸しを入れた。
このほうれん草を片付けることは、私にとって苦行そのものだった。
口に入れようと頑張ってみるものの、青臭さが鼻につき、つい、おえっとなってしまう。でも、残して帰ろうものなら、太ももにまた母の手形がつくかもしれない。皆がお弁当を食べ終え、親の迎えが来ても、私はほうれん草とにらめっこを続けた。
「もういいから残しなさい」
先生が諭すように言っても、
「お母さんに叱られるから、残せない」
と私は粘る。
母は娘の奮闘を、渋い顔で、肩身狭そうに見守っていた。
そんな日々を繰り返すうち、私はつくづく、幼稚園に通うのがいやになった。片手で足りる年しか生きていないくせに、すでに私は居残り弁当のせいで、人生に疲れを感じ始めていたのである。
そんな私にとっての癒やしは、決まった時間に家の前を通る、栗毛色の犬だった。快活そうな奥様が、毎日リードに繋いだ犬を連れ、散歩にやってくるのだ。
犬はハアハアと口を開け、長い舌をたらし、時折、飼い主の顔を見上げては、またハアハアと舌をたらして去っていく。
その様子を見ながら私は思う。
おなかがすいているのかな?
舌をたらした犬の表情が、私の目には空腹を訴えているように映ったのだ。
何か、食べさせてあげたいな。
そう思ったたとき、私の頭に閃くものがあった。
翌日、私はお弁当を時間内に食べ終えた。
やればできるじゃない! と母は上機嫌。先生も褒めてくれたが、私の気はそぞろだった。家に帰り、早々にやらなければいけないことがあったからだ。
帰宅後、私は母の目を盗んで弁当箱を取り出し、パカッと蓋を開けた。
アルミカップで隠しておいたほうれん草をつまみ出すと、そのまま外に出て道端に置く。
すると道の向こうから、飢えた(と、私が勝手に思っている)栗毛色の犬が、ハアハアと舌をたらしてやってきた。
犬は、私が道端に置いたほうれん草を、目にもとまらぬ早さでペロリと平らげ、何事もなかったかのようにハアハアと、また舌をたらして去って行った。
当然、私は味を占めた。
こういうのをギブアンドテイクというのだろう。私は翌日も同じように、犬にほうれん草を食べてもらった。
これでもう、居残り弁当とはおさらばだ。
そう思うだけで晴れやかな気持ちになったものの、それから二日と経たないうちに、私はほうれん草を道端に置くのをやめてしまった。
それまで、犬の拾い食いに気づかなかった飼い主が一瞬、
――うちの子、今、何か食べた?
と、不安げな表情を浮かべたからだ。
飼い主のその顔は、私が高熱を出したときに見せる、母の心配そうな顔によく似ていた。
翌日から、私の居残り弁当は再開となった。
「昨日は食べられたのに、どうしたの?」
母と先生はしきりに首をかしげながら、ほうれん草をにらむ私を眺めている。実は犬に食べてもらってました、と白状するわけにもいかず、私はため息をつきながら、箸の先でほうれん草をつついていた。
「うーん……」
私が古い記憶を辿る横で、夫が斜め上に視線をやり、何か考えことでもするように自分の顎を撫でている。
「どうしたの?」
「いや、スーパーの店内って結構涼しいから、落ちてたぶどう、拾って食べても大丈夫だったんじゃないかと思ってさ」
まだそんなことを言っている。
思い出しついでに調べてみると、犬はぶどうは食べられないが、茹でた少量のほうれん草ならば、与えても問題は無いらしい。とはいえ、やはり人間の食べ物である。犬にほうれん草のお浸しは、塩分過多だったのではないかと後悔していると、
「今行けば、まだぶどう落ちてるかもしれないなぁ。食べに行ってこようかな!」
夫が言った。冗談と知りつつも、
「またお腹壊すからやめなさい」
そう夫をたしなめながら思う。
ほうれん草のせいで、お腹を壊したりしなかっただろうか 。
数十年の時を経て、今更ながら、あの犬のことが心配になってしまった。