コロナウイルス奮闘記 #3
深夜は自然と、何か書きたいなぁとぼんやり思えるので、記事を書くのがすごく楽。
「深夜テンション」なんて言葉があるから、投稿には気がひけるけど、なるべく慎重に書けばいいか、と気楽にやっていく。
どうせ、記事を読んで恥ずかしい、なんて思うのは僕だけだろうしねぇ。
前にも書いたけど、僕はあんまり本を読む性質じゃなかったから、今さら本ばかり読んでいるのはむず痒い。
何をわかっているんだ、どれだけ読んだんだ、と言われてしまうと僕が臆病になるのは目に見えているから、読書家の人々にはお手柔らかにしてもらいたい。
僕がこの1ヶ月で触れたいのは、本だけじゃない。良いものならなんでも読もう観ようという雑食だから、今回は映画の紹介をする。
これからの記事で、古い映画が多くなると思うが、それは尾崎将也さん(「結婚できない男」脚本)の本でオススメされていたから。
そこで100本の映画が紹介されていたから、これから見られたらと思う。
洋画も邦画も盛りだくさんだったから、見る映画に困ることはない。安泰。
よし、いこう。
〈麗しのサブリナ〉(1954)
監督:ビリー・ワイルダー
出演:オードリー・ヘプバーン
ハンフリー・ボガード
ウィリアム・ホールデン
1954年!!
当然、白黒の映画だった。
白黒の映画でも、色がついて見える瞬間があるから、不思議ですな。
白黒の映画だからといって、敬遠しないでほしい。観ているうちに、確実にこれが白黒である事を忘れてしまう!
麗しのサブリナ
大人のラブコメディ!?青春の再生!?
いや、いつだって青春だぁ!!
〜あらすじ〜
オードリー・ヘプバーン演じるサブリナは、大富豪の運転手の娘。
使用人(運転手)の娘というだけあって、大富豪の御曹司、デイヴィットに首ったけ。失恋を理由に自殺しようとするほど、彼を愛しています。
そこから物語は始まっていきます。
この大富豪一家は2人の息子を持っていて、
1人は、兄であり実業家のライナス。
こいつは恋愛そっちのけで仕事に尽くしているのです。
1人は、弟でありプレイボーイのデイヴィット。
こいつは仕事そっちのけで女と遊び呆けているのです。
デイヴィットは、使用人の娘であるサブリナにはまるで興味がない。
しかし、サブリナはデイヴィットのことで悩んでばかりいて、何事にも精が出ません。
そこで、見かねたサブリナの父親は、デイヴィットを忘れるようにと、サブリナを無理矢理パリの料理学校に留学させるのでした。
それから2年……。
帰国してきたサブリナは、見違えるほど美しくなっていました。
服装やらお化粧はもちろんのこと、表情も華々しくなっていて、女性としての美しさを誰もが認めるほどなのでした。
これにはデイヴィットも、単純なのかバカなのか、はたまた見る目があるのか、サブリナにコロッと恋をしてしまいます。
サブリナはようやく叶った自分の恋に、有頂天になっていました。
サブリナが幸せの絶頂を迎えるかと思った時、デイヴィットに不慮の事故が襲いかかります。
デイヴィットはサブリナに寂しい想いをさせまいと、兄のライナスにサブリナの面倒を見るようにと頼みます。
それからサブリナとライナスは、デイヴィットの療養が終わるまで、かけがえの時間を共にします。
気立てが良いサブリナと紳士のライナスですから、相性良く、楽しい時間を過ごすのです。
説明が長くなってしまった………。
けど、この物語はここからなのです!!!
サブリナは、デイヴィットへの恋心に自信を失っていきます。
ライナスとデイヴィットの間で激しく揺れ動いてゆくのです。
また、仕事人間のライナスは、心を素直に開く事をしないのです。
ここが、もう、たまらんくなるのです!
観ている僕としては、
「どっち!?どっちなの、サブリナ!?」
「どう!?どうなのよライナス!はっきりなさいよ、ライナス!!」
と、気が気じゃない。
「大人になって青春しても良いじゃない」と若干ハタチの誰かさん(ノッポくん)が言っていたように、
大人だからこそ凝り固まっている心を、純情が溶かしていく様子に、「これは大人にしかない青春だなぁ」と、なんだか羨ましくもなってくるのです。
全体的に、コメディシーンが多くて、とても見やすい。デイヴィットに起こる不慮の事故も、深刻なものでなく、とても面白い。(いや、大惨事なんだけどね。)
国違い、時代違い、という壁を超えて、僕は大笑いしてました。ムチャやりすぎでしょ、とツッコミたくなるくらい、バカバカしい。
ライナスの誤魔化し方も、どこか子供らしい下手な誤魔化し方で、「おいおい、好きなんだろ?」と軽口を言いたくなってきます。
人間はきっと、人の恋心を探るのが好きな動物ですから、ライナスやサブリナの心境を、変に勘ぐってしまいます。
観ている側が揺さぶられているのと同じように登場人物も揺さぶられていて、「ふぬぅ〜」
って感じです。「ふぬぅ〜」。
これ以外に言い表せない笑
エンタメは、観客がシーソーに乗るようにできています。ホラーとか、サスペンスは、お客さんが「どうなるどうなる!?」と思うように作られています。誰かに乗せられたシーソーなんです。
でも、この作品の場合、シーソーに乗っているのは登場人物です。ぼくたちは、あっちに行ったりこっちに行ったりするシーソーを見て、楽しんでいるのと同時に、自分たちで勝手にシーソーを作って楽しんでいるんですよね。
作られたシーソーじゃなくて、妄想のシーソーというか勝手なシーソーというか。
こっちの方が、良いこともあるんですな。
でもこれも、極端な考えかな?
バランスがあるように思います。
登場人物がまずシーソーに乗っていなくては、僕たち観客もシーソーに乗り様がないですから、登場人物がどれだけシーソーに乗っているかのバランスはあると思います。
なんだか話がわけのわからない方に…笑
とにかく、この映画の中枢は、サブリナが2人の男性の間で揺れ動く事ですから、今のシーソーの様な感覚を、僕は強く意識したんだと思います。
事の顛末だけを辿っていくと、「何よこの女!だらしない!」とか、「なんだこの男!ハッキリしろよ!」なんて思いそうですが、理性的じゃないのが人間の情緒であって。そんなところが、救い様がなくて、また、楽しいところです。
こんな風に揺れ動くのって、すごく楽しいよね。
もうわかんないのよ!自分が!
みたいなのって、誰にでもあって、はたから見るとバカバカしてくて、でも羨ましくて。
まぁー。
そんなポエミーなことはどうでもいいですね、胸キュンの大人ダンディラブコメディでした。
あんなコメディいいなぁぁーー。
過激なのか優しいのかよくわからんけど笑
はぁ、パリ行きてぇーーーー!!
あと、もう少し幼稚な感想にしてぇーーー!!
小難しい事を書いてると、嘘っぱちを言っているようで気が引けるんだよなぁ…。
誰かとこの映画のことを話せると、また違う感想が出てくるかも、と思ったり。
どうでもいいけどねぇ!
これは深夜テンションじゃないよな…?
んじゃ!おはよう!朝だよ!