画家の心 美の追求 第80回「ピエール=オーギュスト・ルノワール イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢 1880年」
印象派の絵画の中で最も美しい肖像画とされる「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」、別名「かわいいイレーヌ」と呼ばれており、世界中の人たちから愛されている美少女だ。このときイレーヌは8歳。上流階級の品の良さ、美しさとともに凛とした雰囲気を醸し出している。
そしてこの絵を見て絵描きになりたいと思う人も多いことだろう。
ところが、この絵はイレーヌの母親ルイーズから嫌われ、使用人の部屋の壁に飾られることになる。因(ちな)みにこの絵の依頼額は1500フラン(150万円)で、イレーヌのふたりの妹たちも含め4500フランの仕事だった。だから生活に窮するルノワールは必死に頑張った。
話を元に戻すと、母親のルイーズはこんなに素晴らしい絵のどこが気にいらなかったのだろうか。ルノワール自身は最高の出来だと自信を持っていたはず。
にもかかわらずその不都合はどこにあったのか、ルノワール自身もその後の批評家や評論家たちもそれに関しては何も残していない。
その問題とは絵の中にあるのではなく、何かもっと奥深いところにあるのではないだろうか。
ところで娘イレーヌの肖像画をルノワールに依頼したのは誰か。母親でないことは明らかで、それ以外といえば例えば夫のルイ・カーン・ダンヴェール伯爵ではないだろうか。伯爵はサロンで入選し、推薦する者もいる。画力も確かなルノワールに依頼したとしても不思議ではない。
ルイーズはある日、娘さん3人の絵を描くように頼まれたと、見知らぬ画家がやって来た。ルイーズはあまりに突然なことに驚いた。そんなこと聞いていない…。
ルイーズが肖像画を依頼するならお気に入りの画家がいる。パリ上流階級のスタイリッシュな人たちを描いたことで名の知れたカロリュス=デュランだ。ルイーズ自身も肖像画を何枚も描かせている。とても仲が良かったに違いない。
当然のごとく娘たちの肖像画を描くなら、デュランに依頼するはずだ。
その想いを飛び越え、それもよりによってパリの下町で屯(たむろ)する出自も卑しいルノワールに依頼するとは、汚らわしいにもほどがある、そんなこんなでルノワールを忌み嫌ったのではないだろうか。
そうなることを知りながら何故夫のルイはルノワールのことを妻に伝えなかったのだろうか。前後関係から類推するとルイとルイーズの仲は決して良くなかったのではないだろうか。むしろ冷めていた。
ルイーズは画家のデュランを呼び出すと仲良くやっている。夫から見れば気に入るはずもない。
だから娘たちの肖像画は妻に相談することなく自分が決めたのだ。それも妻が決して気に入ることのない印象派の画家にだ。それも出自の卑しい人間。サロンに入選し前途有望だと言われる若手がいた。白羽の矢はルノワールの背中にぶすりと突き刺さった。
ルイーズはキリキリと腸(はらわた)の煮える思いでこの絵を見ていた。だから自分たちの目の届く部屋に飾ることを拒否したのだ。
このことにルイはすんなりと承服したことだろう。夫の目的は達成されたのだから。
娘のイレーヌは母親の思いを敏感に感じ取っていただろう。それにモデルになっている間中、ルノワールの体から漂う下町のすえたようなにおい、発する言葉のすべてが嫌だった。我慢していたが顔は横を向いたまま、その姿勢を貫いた。
さてこの絵のその後のことだが、それを話す前にルイ・カーン・ダンヴェール家だが、この家系はユダヤ系銀行財閥の一派で大金持ち。ルイは伯爵で身分がとても高かった。
ところが第二次大戦がはじまるとドイツによるユダヤ人狩りが起き、ダンベール家の多くの人たちは戦争で、アウシュビッツに連行され亡くなる。イレーヌは嫁ぎ先がイタリア王家の人だったので生き残り、終戦後父方と母方からの財産のすべてを相続することになった。
この絵はドイツ軍によりパリが占領されると接収されたが、戦後イレーヌの元へ返還される。
イレーヌにとっては忌まわしい絵であり、できれば手元に置きたくなかった。世情が落ち着いた、3年後にイレーヌはこの絵をオークションに出品し、あっさりと売り払う。
お金が欲しかったわけではない。父母の財産を引き継ぎ、大金持ちになっているイレーヌにとって売却金など問題ではなかったのだ。
あるのは母ルイーズの想い、もはや怨念と言っても過言ではない。
自分の肖像画を描けるのは、卑しいルノワールではない。あの優しかったおじさま、カロリュス=デュランだけなのだ。
イレーヌはこの絵が手元からなくなると、大きく息を吐くと清々しい気持ちになった。
おかあさん、これで良かったのでしょ…。
父と母、夫と妻は仲良くしなければ子供たちに大きな禍根を残すことになりかねません。みなさまくれぐれもご注意あそばせ。
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