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画家の心 美の追求 第78回「フランシスコ・デ・ゴヤ フランシスカ・サバサ・イ・ガルシアの肖像 1806年から1811年」
ゴヤがエバリスト・ペレス・デ・カストロの肖像画を描いていた。デ・カストロは政治家であり、名家の出身である。
そのとき、「叔父さまこんちわ」と明るい声が聞こえてきた。
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ゴヤは声する方に振り向くと美しい娘が立っていた。彼女の名前はフランシスカ・サバサ・イ・ガルシア、通称マリア・ガルシアと呼ばれ、デ・カストロの姪に当たる。
ゴヤは一瞬にしてマリアの魅力に引き込まれ、モデルになって欲しいと願いでた。そして描かれたのがこの一枚だ。
ゴヤは彼女のどこに惹かれたのだろうか。この絵が描かれたとき、マリアは16、7歳だったと思われる。
箸が転んだだけで笑い転げる年頃だ。マリアは名前のごとく光輝くような存在だった。ゴヤはそんな一瞬の、美少女から淑女に変わる一瞬の輝きを見たのかもしれない。
マリアは高貴な女性だが、ひと目見てこの絵の彼女の服装はどうだろうか。頭にマンティーリャと呼ばれる白いレースのスカーフをかぶり、肩からは黒い縞模様のショールを巻いている。マンティーリャは当時の流行だろうと思われるが、この服装と様子が不釣り合いに見えてしょうがない。少なくとも豪華な衣装とはいえないだろう。
ではゴヤはこの高貴な淑女にどういう思いを込めマリアにこの服をまとわせ絵を描いたのだろうか。
このときゴヤは62,3歳で、当時でいえばすでに老境に入っている。マリアはそんな老人画家の心を震わせたことになる。そして老人は若さはち切れるばかりのマリアに質素な服装をまとわせた。そして、マリア自身はどう思っていたのだろうか。
この絵の彼女からは、女性としての美しさはもちろんのことだが、マリアの凛とした気高さ、純粋さ、人生に対してまっすぐに向き合う心情がこちらを見つめる彼女の瞳からうかがい知ることができる。
ところが良き時代は大きく変貌する。
1808年、スペインはナポレオン軍により蹂躙され、ナポレオンの兄が王に就任するとスペイン王家は崩壊した。このときゴヤも宮廷画家としての地位を失くす。
時代が大きく急変する中で描かれたマリアの肖像画だが、1806年から11年までの5年もかかったのは、この戦争があったからではないか。
ガルシア家もこの政変で大きな打撃を受けたとすると、マリアの境遇も以前のような華やかなものでなかっただろう。
もしこの絵が1811年に完成したとすると、マリアは18,9歳になっている。ひょっとしてだが、彼女がまとうショールの下には1806年に描かれていた煌びやかな衣装を着たマリアがいるのかもしれない。
そして、ゴヤの画風もこれを境にバロックからロココ風に大きく変貌していく切っ掛けになったとしたら、「フランシスカ・サバサ・イ・ガルシアの肖像」はその存在に大きな意義と光が当たるのではないだろうか。
マリアのあの凛とした眼差しは、ゴヤのはるか先のあるべき姿を見抜いていたのかもしれない…。
因みにスペインは1814年フランスからの独立戦争に勝利すると、ゴヤは勝利の喜びとしてロココ風の「1808年5月3日 マドリード」を描き、この絵は愛国主義を示す不朽の名作となった。