学芸美術 画家の心 第51回「レッサー・ウリィ 夜のポツダム広場 1920年代半ば」
2021年11月コロナ禍の中、三菱一号館美術館で「イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜―モネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーガン」展が開かれが、その中でレッサー・ウリィ はほとんど注目されていなかった。
わたしもコロナ禍でもあるし、東京まで出むこともなく、注目していなかった。
ところが、蓋を開けるとモネやゴッホの絵よりウリィの絵の前に人だかりができ、初日にして絵葉書が完売し、さらにSNS等で話題が沸騰した。
ところでウリィ(Ury)だが、レッサー・ユリィと紹介されることが多いが、彼はドイツ人であり、ここではドイツ語読みでウリィとしたい。
そしてウリィはユダヤ人であり、敬虔なユダヤ教徒でもあった。そのためか、彼は絵の題材としてはちらが本業と思えるほど多くの旧約聖書の物語(宗教画)を描いた。しかしこれらの絵が売れることはなく、貧乏を余儀なくされていた。
それで生活のため売れる絵を描いた。それが、ドイツの夜景と印象派風の風景画、そして風俗画であった。
特に雨に濡れた町の風景画は観光客相手に飛ぶように売れ、生活に困ることはなくなった。しかしその一方で同じテーマ、同様の作風でコピー絵と思えるほどの数多くの作品を描いたため、画家としての評価はよくなかったという。
この絵も1920年代に多く描かれたものの一枚だ。
世界的にもあまり評価されてこなかったウリィだが、コロナ禍の日本で、多くの美術ファンに受け入れられ、いきなりの大ヒット。
イスラエル博物館がどういう思いでウリィの絵を日本の美術館に貸し出したのだろうか。
「ウリィの絵は素晴らしい。きっと日本人に受け入れられるはずだ」、との自信を持っていたのだろうか。
まだまだ謎の多いレッサー・ウリィ だが、次回行われる展覧会でもわたしたち日本人の心を掴み、今回以上の大きな話題となることは間違いない。
次回の展覧会はきっとはせ参じたいと思う。
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