学芸美術 画家の心 第45回「安井曽太郎 薔薇 1932年作」
安井曽太郎と梅原龍三郎は同じ1888年京都に生まれ、同じ聖護洋画研究所に通う同級生だ。
安井は19歳で、梅原より1年早くパリのアカデミー・ジュリアンに留学する。サロン・ドートンヌでセザンヌの遺作に遭遇するが、その本質が何なのかを理解できなかったそうだ。
安井はこの時の衝撃からセザンヌを師と仰ぎ、目標となる。
26歳の時、肺炎が悪化しいったん帰国する。病気は平癒したが、その後うまく絵が描けなくなったそうだ。
それはなぜなのだろうか。
日本の若手画家がパリに留学し、帰国すると多くの画家が不調に陥るか、つまらない作風に戻ってしまう。
もちろん本人たちもそれに気づいており、安井は再びパリに戻る。そしてパリの地で活躍する画家も多くいる。当時、藤田嗣治がサロンで活躍していた。
それから十年の時を経て安井は不調から脱し始める。
この「薔薇」の絵はさらに七年後に描かれたものだが、特徴的な背景の黒について安井は次のように回想している。
「最初から黒だったのか、途中で黒にしたのか今は記憶がない」
模写する際、背景色として最初みどりを選んでみた。しっくりこなかった。
では赤ではどうだろうか。これもいまいち腑に落ちない。
そこで黒にしてみた。
するとどうだろうか、薔薇が引き締まり、異様に背の高い伊万里の壺も落ち着いて見える。
安井はこのように色の配色を考え抜いた結果だったのだろう。
筆致は、セザンヌ。
色使いは、ボナール。
そのように感じる。