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画家の心 美の追求 第70回「ネアンデルタール人 洞窟壁画 約4万年前」

 ヒトはいつのころから絵を描き始めたのだろうか。少なくとも最初の絵はそれを観賞し愛でるためではなかっただろう。では何を目的としたのか。

模写「洞窟壁画」

 歴史学者の多くは食料としての動物がたくさん捕れるようにと祈りこめた、呪術的なものだろうと考えている。

 日本で発見された1万年以上前の縄文人が作ったとされる土偶ですら何のために作られたのか、その真の理由はわかっていない。それよりもさらに3万年もさかのぼったネアンデルタールのヒトビトの想いなど、われわれ現代人にわかりようはずもない。

 ただひとつはっきりしていることは、描かれた動物たちは、彼らの食糧だということだ。

 ところが豊富にいたはずの生き物たちが捕れなくなってきたのだ。乱獲によるものなのか、それとも寒冷化や温暖化などの気候変動によるものなのかはわからないが、獲物を得るのに大変苦労するようになったのは間違いない。

 手頃に狩猟できる動物は自分たちが捕獲し、食い尽くしたからだ。あの巨大なマンモスでさえ人類が滅ぼしたと言われている。それ以外の多くの動物も人びとの食糧や単なる余興のためにこの地上から姿を消した。

 ネアンデルタールのヒトビトがなぜ馬や牛、シカ、イノシシの絵を描いたのか。
 ひとつのヒントがここにある。それは壁に残された手形だ。発見当初これは単なる悪戯(いたずら)か、もしくは子供の手だと考えられていた。だが、研究が進んだ近年では女性の左手だと考えられるようになった。
 するとこれらの壁画の見方と考え方ががらりと変わってくる。即ち豊猟を願い祈る巫女(みこ)のようなヒトの存在が大きく浮上してきたのだ。後の原始宗教にもつながる考え方だ。

 もう一度手形に戻ると、絵を描き残した女性は、最後に顔料を口に含むと、自分が描いた証拠だとして左手を壁につけると、口いっぱいの顔料を一気に吹き付けた。

 では何故この女は自分の手形を残さなければならなかったのだろうか。
 巫女であるならば、わざわざ手形を残す必要性は必ずしもない。
 しかしこの女性にとっては、どうしても手形を残さなければならない特別の理由があったのだ。
 その理由は、それを説明するのにこんなドラマがあったかもしれない。

 やせ衰えた老婆のような女が、ぐったりとうなだれ横たわっている。老婆かと思われた女だが、よく見るとやせ細っているだけで若い女だ。それもどうやら身重らしい。

「あなた、食物を持って、早く帰ってきて。そうしないとわたしとこのお腹の子は、死んでしまう。お願い…はやく…」
 弱りきった体の母親は必死の思いで泥絵の具を手にすると立ち上がり、チロチロ燃えるわずかな炎を頼りに馬、牛、そしてシカやイノシシの姿を描いた。
「あたしがこの母馬のようだったら、どこにでも走って行って草を食(は)むことができるのに。でも…、あたしには…。どうしてあたしは馬に生まれなかったの。あたしはただ黙ってあなたが帰るのを待つしかない。あなたはムラ一番の猟師じゃなかったの。それが自慢だったじゃない。だったら、早く早く帰ってきて。もう少しだけ、頑張って待っています。でも、でも、それ以上はムリ…」

 身重の若き母親は最後の最後に残された力をふり絞り、あたしたちはここに居ます、と叫ぶようにして手形を残すと女はその場に崩れるようにして倒れた。それからしばらくののち、女は息を引き取った。

 狩猟がうまかったという若い父親はどこでどうしているのだろうか。愛しい妻とやっと授かったお前の子が、たった今死んだというのに…。
 しかし、若い猟師は若妻が今か今かと待つこの洞窟に、帰り着くことはなかった。

 この癖画を模写していると、とても写実的に描かれていることがわかる。さらにこれらの絵は記憶によるため表現主義的でもある。大鹿の角などはまるでシュールリアリズムのようだ。大変革がなされたように見える近代絵画だが、ヒトの考えること、思いつくことなど、4万年前のヒトビトと大きく変わることはないのかもしれない。


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