いま、ここ。じぶん。
気づいた。
いつも、「どこか別の場所」にいきたいし、「なにか別のこと」をしたい。
「自分じゃないだれか」に憧れる。
じゃあその憧れていた場所、こと、ひと、になれたとして、
満足するのかって言ったら御察しの通り、しない。
またそこで、あらたに「また別の、、」探しが始まる。
子供の頃、小学校では「小学校はいやだ、早く中学に、、」
中学に上がったと思えば「中学校はいやだ、はやく高校に、、」
高校に上がれば、「はやく大学に、、」ってなったときに
ふと気づいた。「これ死ぬまで続くんじゃない?」
大学生活は楽しかったものの、自分の大学とは違う大学のサークルに所属し、そこでまた、「別の大学」に憧れ続けたわけで。なんだかそれも同じことだと思う。
わたしはいつも遠くを眺めてる。
目の前のものが、いままでずっと欲しかったものであっても、
「ここじゃない」ってずっと思ってる。
そんなふうな姿勢で過ごしたその場での生活は、なんだか地に足のつかない、中途半端なものになることがほとんどだったんじゃないだろうか。
これはいったいなんだろう?
その自分の癖を一度思い切り意識して、矯正した時期があった。
大学のアメリカ留学時代。一年間の夢だった留学のため、大学のサークルを早期引退して、(とってものめり込んでいたものだったので相当悲しかった)アメリカの田舎の大学へ留学。
思い通りにいかないことしかないような生活をしながら、
SNSではわたしのいた居心地のよいあのこたつのような大好きな空間でみんなが楽しそうに引き続き活動している。それを目にした時、アメリカにいながら、心ここにあらず、はやくかえりたい、と思っていた時期があった。
そのときに、「今目の前にある留学生活って私が夢に見ていたことなんじゃないの?」とはっとして、自分のいない場所のこと(日本ではみんな、、)、まだ自分が到達していない未来のこと(帰国した後は、、とかいう妄想)を考えるのはやめようって思った。
そうじゃなくて自分がいる「いま、ここ」に集中しなくちゃって思ったな。
そのときに思いついたここに集中する方法が、周りの人をよく知って、好きになることだった。同じ寮の他の留学生たちとたくさん接して、今いる場所とそこにいる自分が好きになって、最後には離れた日本も、離れた「帰国したら」の想像も、どっかいってしまった。
いまの問題点は、なんだかやさぐれてて、人にも会いたくないという状況で。ここにいる人たちと、自分を好きになろう、っていう方法を試そうにも、なんだか仕事で疲れ切って、そして明日からの仕事に焦って(二連休はないので)あたらしい人に自分から会いに行くなんて意欲なんて出ない。
今日は、今自分のいる場所に集中してみようとおもって、
部屋のかたづけを落ち着いてしてみた。
おしゃれなカフェに逃げ出したくなるのを我慢して、今自分のいる居場所を整えて、居心地のいい場所にする努力をしてみた。
いま、ここ、それとじぶん。
持っていないものではなくて
持っているものを大切に進まないとなあ。
まだ先はなが〜い。
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