①病気の発覚 / 目醒めと病気とタイムウェーバー -私にとって 病気は本当にGiftだった
はじめに
このnoteは私自身が病気を通じて自分に向き合い、本当に生きたい真実の自分に戻っていくために取り組んできたことの記録です。
この一連の取り組みを行っている間、私は「もし...このことを終えられたら、その時は私の体験をシェアリングしよう」と心に決めていました。なぜなら、私自身、自分の病気が発覚した時にご自身の体験や様々な情報をシェアリングをしてくださってるblogなどから私にとって必要な情報を得らており、そしてなによりもそれらが私自身の取り組みへの励みになったりしたからです。私にとってそれらが必要な情報であったように、誰かにとって私の体験が必要な情報となるかもしれない。私がいろいろな方のシェアから励ましや勇気が得られたように、私の体験が誰かの応援になるかもしれない。そう思いながら日々を過ごしてきました。
この度、一連の取り組みを一旦無事に終えられたため、こうして公開に至りました。
これは私は子宮の摘出を病院で告げられてから、情報医療で治癒をし、長く続いた無月経を終えてきたstoryと統合の記録です。必要な方へ届いたら嬉しいです。
異変(ここからはしばらく私の「眠りの体験記」となります。)
それは前職の時からはじまりました。もう5年前のお話です。ウエディングプランナーの育成とセールス(営業)の数字の責任を負う部署でかなり忙しい仕事でした。当時はそもそも結婚をする人数が減っている上に結婚式をしないという選択をするひとも増えてくる中、式場はどんどん増えていき完全にピークアウトの中でどう生き残っていくか?にさらされていた時期でもありました。本社は男性が多かったため夜の11時過ぎからミーティングがあったり...家に帰っても疲れ果ててコートを着たまま寝てしまうということも多い日々でした。
この時代の変換点にどうやったら私の会社は生き残っていけるのだろうと考えに考えた結果、ある研修と出会いました。その研修を社で展開をしていってはどうかと社長にプレゼン、導入が決まりました。が、この研修は反対をするひとも多く(難しい、時間がない、から社内政治的なものまで本当に様々な理由で)批判や非難、時にはやっかみなどに晒される日々が続きました。「研修を入れたんだからとにかく数字を出せ」という空気感の中、「研修を入れた責任を取らなくては」という気持ちの一心で実はその時はすでに身体はしんどかったのですがそれを無いことにして毎日仕事をする私がいました。
また、私自身少し珍しい速さで本社勤務になり重要なポジションについたことや、自分なりにこの研修を通じて作りたい、作れる世界が明確に見えていたのでどんどん自分の部署で展開していっていたためか嫉妬されることや他の部署の方々と意見が合わないことが増えてきて...気がつくといつも一緒だったみなさんからお昼に誘われなくなりランチタイムが独りぼっちにになったり、オフィスの中でわかりやすく無視をされたり、必要なコミュニケーションも怖い表情でつんけんとされたり...と毎日まるで四方八方からちくちくと針で刺され続けるような環境に身を置いていました。
繁忙期ともなると有難いことにお客さんが沢山来てくださるため本社スタッフもそうなれば現場より声がかかります。「明日、オーバーブッキングするから来てもらえませんか?」勿論ウエルカムで現場に行きますし、基本的にセールスである私は土日は現場にでていました。が、ある時、熱がありどうしても身体がつらく行けそうに無いという事態が...「ごめんなさい、明日はちょっと無理かもしれない、体調が悪くて」と伝えると「そっかあ、じゃあ仕方ないね」とその事業者の支配人が他部署の本社スタッフに依頼をしたところ「こっちだって忙しいのに。お前の部署だろ、どうしてお前が接客にでずにこっちが現場に行かないといけないんだ。」と言われたことで私の中では「もう何があっても休めない」となり...平日は本社で遅くまで働き土日はどんなに体調が優れなくとも現場に体を引きずるようにして接客に出る、ということが続きました。
もうやめたいという気持ちとその中でも感じる歓び(スタッフが可愛い、裏切れない)、しばらくするとまた浮かんでくるやめたいという気持ち。その葛藤を繰り返していました。
導入をした研修は研修を受けていないマネージャーの皆さんからは内容をなかなか受け入れられてもらうことが難しい種類のもので(そんな気持ちは彼らの中にもなかったが)上司と齟齬がある中で苦しんでいるスタッフたちの声を日々聴き、どうにかしなくてはと体も心も疲弊に疲弊を感じながらも気力だけでがんばっていたその矢先に。社内政治で上にあがっていきたい人や、当時誰よりも信頼していたひとに、実は自分の思惑を具現化するために私が都合の良い駒として使れただけだったと感じてしまうような現実を目の当たりにすることに。直属の上司は本当に力になり様々なものから守ってくれていたものの、自分自身が一体何のために働いているのかわからなくなってきてきたそんなある日の帰り道、駅のホームで。気がつくと私の周りに血が滴ってしました。驚いて見渡すとそれはもう1ヶ月以上続く私の生理がナプキンからあふれてもれてきていたのです。その後、生理は止まってしまいました。
病名は子宮内膜増殖症
何か私の身体に異変が起きている...そう思い、ようやく病院へ。もともとが病院嫌いだったし、休みの日はできたら寝ていたい、があったためなかなか腰が重く病院へは行けていなかったのです。
ですが、もう行かなくては....と行った先での診断は複雑型子宮内膜増殖症でした。
処方されたのはプロベラ。前回の出血よりずっと生理が止まっていたのでこれを飲むと生理がくるようになるとのことでここからホルモン剤での治療がはじまりました。
独立して
もうここにいてはダメだという内なる声に従い、そこから独立をして、フリーランスとなり、自分のことを振り返る時間が増えていきました。
最初に出会ったのはエッセンシャルオイル。ある方のセッションを受けた時におすすめをしてもらいました。これが私にとって「植物の力と叡智」に触れる最初のきっかけとなりました。また、そのエッセンシャルオイルから始まり、心、精神、そして魂といったスピリチュアルなところまで広げて自分を捉えていくということが始まっていきました。
もともと、自分の心の内面を整えていくことをコーチングや、ストレングス・ファインダーを通じてやってきており「本当の自分で生きる」ということへの探究の旅は前職時代にすでに始まっていたため、その先のステップに進んでいるような感覚でした。
そして、ある日、エッセンシャルオイルを教えてくれた方から繋がって出会ったのがあるスピリチュアリストさん。私はここで「目醒め」の話を聞くことになったのです。
目醒めていくことを決めた
最初に行ったのは1時間の個人セッション。彼がチャネリングをしてくれ私のガイドやハイヤーセルフからのメッセージを伝えてくれたり、いくつかあるタイムラインを教えてくれたりしました。
「今やっているような仕事はもう終えていく流れに入っていて、ここからはもっと心や精神の部分、スピリチュアリティを開いていくようなことに関することをやっていく流れに入っていますね」「新しい時代、目醒めたあり方で、目醒めた生き方を魅せていくその象徴とガイドが言っています。穏やかさ、柔らかさ、ユーモアがあって、ふふふと笑っちゃうような幸せの体感にいて、新しい時代の幸せの象徴であるその〈象徴スタンスでいる〉ということがブループリントに書いてきていることです。話す内容も確かにな、と言うことは話してはいるけれどもそこが重要なのではなく、それよりも、ただ存在を見せればいい、という感じです。」「目醒めていくっていうことがすっごい歓びになっているのが見えます。あと、あんまり仕事をがつがつやるっていうのは象徴のスタンスからずれていますよね。ゆったりと穏やかになんでも意識の力で簡単に物事を起こしていく、というのが次のステージです」という言葉に驚いて。それは「もし本当にそうなったら、もうすごく嬉しいのだけど、嬉しいというよりもう最高なんだけどえ、まさか、私が??え??」という戸惑いと、でもなんだか抑えきれない喜びのようなものが入り混じった気持ちでした。「スピリチュアルとサイエンスの融合されたようなものが合っているようです」とも。物理も科学も大の苦手で文系らしさ抜群の私にとってその言葉は???でしたが、その日をきっかけに彼のスクールやワークショップで目醒めのためのLessonを3年間にわたって受けることがはじまっていきました。
スクールは本当に楽しかった。私のガイドと、途中からガイドに入ってくれた聖母マリアと、スクールに参加している大天使ミカエルやサナト・クマラ、キリスト、といった様々な存在たちと常にチャネリングをしながら行われるスクールは私のためにたくさんの叡智を授けてくれました。一気に開いていく新しい世界。そして、周波数と現実の仕組みを知り、全ては自分の周波数で素粒子を結晶化させているということ、眠りと目醒めの違い、今世は目醒めへのチャレンジをしに来ていること、分離と制限意識、ネガティブな感情は自分のものではなく分離を繰り返して生まれてくるために借りてきた地球の周波数、その周波数をはずして返し、本来の雄大な意識に戻っていくエネルギーワーク「統合」...そして何よりもその時間を通じて私が学んだのは「真実の自分を生きる」という、自分へ愛を向けていく生き方と、その生き方から生まれるあり方でした。そしてウエディングプランナー時代に体験をしてきた様々なネガティブな出来事が、実は全て私の眠りの体験であり、「なるほど、私が持っていたこのバイブレーションであのシーンもあのシーンも、子どもの頃のあのシーンも結晶化させてたのか!」とどんどんと紐解かれていったのです。
そして自分が本当は無限の存在であったということを思い出し、その意識で身体を持ったまま地球を生きるという魂史上初めての生き方に心から惹かれて。私はこれから他人に渡していた力を自分に取り戻して、自分の人生をクリエイションしてけるんだ!という真実にぞくぞくして。魂に突き動かされるように深い歓びと時には自分に向き合う真剣さと共に、私の目醒めへの取り組みが始まっていきました。
⭐︎目醒めへのガイダンスをしてくださった中村咲太さん。大切なことを沢山沢山学びましたし、彼は目醒めたあり方を私に沢山沢山見せて魅せてくれました。まさにwayshower! 彼とのセッションはスクールの内容は今でも録音を聞き直していますがその度に発見があります。
https://peraichi.com/landing_pages/view/shota-88-uchu-kun/
バイブレーションの炙り出し
「目醒めていく」ということを取り組んでいる間は様々なバイブレーションが手放していくために、終えていくために浮上してきます。
その頃、手放して終えていくためのバイブレーションの炙り出しは職場からパートナーシップへと変わっていました。(使っているバイブレーションは同じ。外れていないので人を変え、シチュエーションを変え結晶化)
もうやめたいという気持ちと、それでも一緒にいたいという気持ちとが毎日のように繰り返されていました。一緒に楽しい思い出を重ね、素敵な素晴らしい時間を共にすればするほど、その歓びに比例して私の中で苦しい葛藤が生まれていきました。
「新しい時代、目醒めたあり方で、目醒めた生き方を魅せていくその象徴とガイドが言っています。穏やかさ、柔らかさ、ユーモアがあって、ふふふと笑っちゃうような幸せの体感にいて、新しい時代の幸せの象徴であるその〈象徴スタンスでいる〉ということがブループリントに書いてきていることです。」
そんな言葉とは程遠い自分の世界という現実を映し出し体験に使っていた日々。相手は相手でベストを尽くしてくれていることがわかるからこそどうもがいてもそこに行けそうにないという世界を自分で作り上げその中で自分の未来が見えない失望感、絶望感を色濃く体験するという眠りの世界を体験していました。
目醒めを進めていくセッションの中でも向き合う必要性のある箇所として度々パートナーシップに関しての取り組みがでてきました。伝えられるガイドやハイヤーセルフからのメッセージも「本当はわかっている」「薄々気付いている」というものが多く。「大切にしていきたい関係性の中でちょっとこのままでは、というような気持ちや曖昧さあやふやさをお互いそのままにしていたらこれからも本当の関係性を築き上げられるようにはなっていけない」との言葉に「ここから目を背けてはいけない」と思いながらも感情的にそうはできない自分がいました。
これらの課題はパートナーシップにに関してだけではありませんでした。
前職は勿論、私は小さい頃から「本当に言いたいことを言わずに飲み込む」という癖がありました。その傾向は大人になるにつれ顕著になっていきました。これはセッションで伝えられるまでわからなかったのですが、私は他人の考えや感じていることを無意識のうちにキャッチしているようなのです。小さい頃からそれが当たり前で、みんなそうだと思っていました。(1度、小学生の時に感じすぎて辛いので自分でこの能力を自分で閉じた経験を覚えています)そんな中で自分の気持ちに正直になる、そして正直にそれを伝える、というのは私にとってハードルが高いことでもありました。さらに、もっと重要な向き合う必要のある課題は私の中にある「恐れ」でした。「これを伝えると見放されるんじゃ無いか」「これを伝えると失望されるんじゃないか」「これを話したら別れを言い渡されるんじゃないか」この分離ならではの「愛から見放される感覚」。これは私にとってとても怖いことでした。この幻想を終えていくいうことにおいて私が最も高いハードルであると感じていたパートナーシップという関係性の課題において今回色濃く出たのでした。
当時は私の中で「とにかく私がこの感情を終えればいいだけ」「なのになかなか統合できない」「とにかく私がこの感情を終えればいいだけ」「なのになかなか統合できない」を繰り返しており、さらにその感情を持っている自分に対してジャッジが始まりその感情を持ち続けている自分を無意識のうちに「未熟」と駄目出しをし続けていました。
なんでもひとりで解決しようとする癖が強くでていたのと同時に眠りの観念(誤った信念)である「言いたいことを言ってぶつかると相手は私から離れてしまう」という思い込みから喉まで出かけている言葉を飲み込むということを繰り返し、我慢をし続けたところ、その我慢と共に飲み込んだ言葉は身体の中に毒素として回り続けその葛藤を吸収して。その結果、やがて私の子宮は「異形成」を作り出しました。そしてある日、お医者さんから告げられたのは「残念ながら子宮摘出手術が必要です」という言葉でした。
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