【YOHAKU】コンプレックスに、知識で武装する
体型、顔、声、コミュニケーションなど、誰しも1つは抱えているであろうコンプレックス。
個性が誰かの言葉でコンプレックスに転じることもあれば、知らずのうちに気にするようになってしまうこともあります。
さらに、人から揶揄されてますます嫌になったり……。
こんにちは、YOHAKUです。
今回は、知識によってコンプレックスと向き合う女の子のお話を聞かせてもらいました。
彼女自身も、昔から抱えるコンプレックスに関して、人から何か言われたりすることもあったそうです。
ですが、徐々にコンプレックスを冷静に捉えられるようになったと言います。
その向き合い方を聞かせてもらいたいと思います。
─────────────────────
人より“低い”声と“小さい”胸
ーどんなコンプレックスがありますか?差し障りない範囲で、教えてください。
大きいコンプレックスは2つあって、声が低いってことと胸が小さいってことかな。
ーそのコンプレックスを自覚したのはいつ頃でしたか?
声が低いっていうのを自覚したのは、小学4年生とか5年生の時かな。
授業でインタビューをビデオで撮らないといけなくて、自分が喋ってるところを見ないとあかんやんか。
その時に自分めっちゃ声低いなって、初めて気づいたかな。
それまでは全然自覚してなかったんやけど、いつもこんな風に聞こえてるんや、って。
けどその時はまだ大きなコンプレックスだとは思ってなくて。ああ、自分って声低いんやな、くらい。はっきり嫌だっていう感情を抱くのは、まだ少し後の話。
もう1つはね、私胸が全然なくて。
「コンプレックスやな」って思い始めたのは、高校生からかな。
きっかけは特になくて、周り見て、どうしても着替えの時とかにわかるやん。
ーそういうコンプレックスがあって、嫌なことはありましたか?
声は、低いことで不利益を被ることがあって、それが嫌やったなぁ。
私、第一印象を悪く見られることが多くて。
部活の同級生とか後輩に、「初めは怖い人だと思ってた」って言われることがあったり。
それで傷ついたとかじゃないけど、不利益やなって。
胸は、着替えるのが嫌やったのはちょっとあったかな。
特にプールとか。
男子高校生ってさ、でかいほうがいいって風潮があるやん。
そういうのを聞く度に「大きいほうがいいみたい」なのを刷り込まれてたんやと思う。
だから、せめて人並みであってくれって思ってた。
一時期激しくコンプレックスを感じてたというよりも、ずっと継続的に自分の中にある感じ。
小さいのでいうと、服を着る度に思ったりとか。
あとは、友達が彼氏できたって話とかを聞いたら、自分に彼氏ができないのを胸のせいにしたくなる。もちろんそれ以外に要因がいっぱいあるのはわかっているんやけど、総合的な要因の1つとして思ったりするかな。
自分を傷つける言葉とは距離を置く
ーそのコンプレックスについて、人から何か言われたりしたことはありましたか?
声に関しては、中学生に入学して初対面の男の子と話してて、去り際に「え、声低すぎん?」ってボソって言われたことがあって。
それが自分の声嫌やなって、コンプレックスやなって自覚した時かな。
そいつ成人式でも、「声大丈夫?」って言ってきてんな。
大丈夫とかじゃなくて、もともとこの声ですが?って。
心配して言ってるわけでもないと思うから、超失礼。
胸の話でいうと、大学の部活の飲み会で、男の先輩がグループで話してた時になんか言ってきたことがあったくらいかなぁ。
私と女の先輩が何人かいて、「胸ないやつらがなんか言いよるわ~」って言われたことがある。
ーそれを言われた時、どう思いましたか?
声のこと言ってきた男の子に対しては、こいつ中学から1mmも成長してないんやなって、心底呆れた(笑)
胸のこと言ってきた先輩に対しては、うーん、あんまり怒りはせんかった。そりゃ悲しかったけど。
理由は二つあって。
まぁ悪気があって言ったわけではないのはわかってたっていうのと、私がジェンダーとか勉強しているからそういう問題に自覚的なだけであって、仕方ないっていうのもアレやけど、知らないことはあまり責められないなって思って。
ーなるほど、冷静な受け止め方ですね。そうやって割り切れていたのは、昔からでしたか?
割と昔からそうだった気がする。性格的なところもあるかも。
もちろん怒りが湧く時もあるけど、どちらかというと、この人はこの程度の人間なんだな、って割り切っちゃう感じ。
その人が失礼なことを言ってしまうのは、別にその人だけのせいじゃなくて、今まで指摘してこなかった周りも悪い。
そう思うと、あまり責めたり怒ったりできない。
まあ、そういう人とは付き合わなければいいだけであって……。
自分の近くにいる人は、自分が好きだと思う人だけでいい。
そういう人たちのことは、結構遠巻きに見てるかな。
ほら、そういう人って結構、デリカシーのなさが行動の端々にあらわれるから。
心の中では見下してたというか、今日もしょうもないこと言ってるな、って思って見てた。
勉強をして、救われた
ーご自身は、勉強したことでコンプレックスと折り合いをつけられた面もありますか?
うーん、私自身は、ジェンダーとかそういうのに関心があって。
で、胸が大きいほうがいいっていうのが、当たり前の価値観なんかじゃなくてただの刷り込みであることとかは、大学で勉強してから初めて知ったかな。
自覚なくない?高校生の時って。
授業受けたり自分で本読んで調べたりして、胸が大きい方がいいって風潮とかって構造的な問題なんやなって後から知った。
だから、そういう諸々の女性だから受ける抑圧みたいなものって、当たり前じゃないんやって気付けたのは、ちょっと大きかったかな。
今やったら冷静に捉えられるし、向こうがおかしいって思える。
そういうところは、割と救われた部分があるかもしれない。
ーでは勉強のおかげで、コンプレックスは今ではだいぶ克服できましたか?
知識や勉強が自分を助けてくれたって思う。
やっぱ、大学に入って社会学的な勉強をするにつれて、胸のサイズとかに関することが人類が生まれ持った価値観では全くなくて、人が作り上げたものだから当たり前じゃないってことを知れたかな。
あと私なんか、ファッションとかメイクが好きやから自分で調べたりするねんけど。
胸がないほうがTシャツは綺麗に着れるし、スーパーモデルとかは逆に胸が小さい人が多いねんて。
それも一種知識やから、こういう面でちょっと嬉しかったりもする。
勉強とか知識みたいなのが、固定観念から自分を引きはがしてくれた気がします。
コンプレックスは捉え方次第
コンプレックスは、結構捉えようやなって思う。
例えば、声が低くて第一印象怖いって言われること多いって話したけど、逆に面接とかやったら年上にウケることが結構多くって。
落ち着いて見られるから、「しっかりしてるね」とか。
だから、落ち着いた印象を与えたい場面やったら、無双する。笑
まぁ、時と場合によるけどね。
私の場合中身が落ち着いているわけではないから、周りからそういうラベルを貼られると、本当はそうじゃないのになって思ったり。
あとは、大学入って軽音部でボーカルするようになって。
その時に、他にない声やから「素敵な声だね」って言ってもらえることが増えたりして。
ちょっとは自分の声が好きになれたかなって思う。
胸の話で言うと、逆に服が綺麗に着られるとか、細いって褒められるとか。
胸が大きいことで悩んでいる人もいるし、捉える面によるよなって。
“克服する“と“なくなる“は違う
ーけどそれで、完全にコンプレックスがなくなったという訳ではないですか?
そうだね、なくなったわけではないかな。
未だに自分が喋ってるの聞くのは嫌やから、今でも友達が遊んでる時にイェーイってビデオ回し出したりした瞬間に黙る。
自分の声が動画に入るのが嫌やから、手だけ振っとくみたいな。
ーコンプレックスって完全になくなることはあると思いますか?
えー、どうなんだろう。
やっぱり、コンプレックスを自覚した瞬間みたいなものがあって、それが消えることはないから……。
それ以降他の人から「そんなことないよ」って肯定を受けたとしても、その記憶がある限り消え去ることはない気がする。
ー不可逆的ですよね。言葉には責任が伴うな、って思います。
伝えたいこと
ー記事を読んだ人に伝えたいことはありますか?
まず、デリカシーのない人はどうしてもおるけど、そういう人と無理に付き合う必要はなくて。
上司とかそういう避けられない関係とかは勿論あるやろうけど、遠ざけられる人なら遠ざけていいと思う。
真面目な人ほどきちんと向き合ってしまうと思うねんけど、そんな必要はないって事だけ言いたい。
自分の周りに置く人は自分が心地いいと思う人だけでいいと思うので。
あとは、やっぱりコンプレックスは捉えようだと思うかな。
自分は悪いと思っていても、他の人にとっては良いことっていうのが往々にしてあるというか。
他の人のコンプレックス聞くとさ、えっそんなこと?!って思うことがあるやんか。
だからないものねだりっていうのもあるやろうし、他の人から見たら全然大したことない、むしろ素敵なのにって思うことだってあるからな。
知識で武装する
今日喋ってて思ったのは、傷つけてくる人っていうのは、この先もそのままなんかなって。
デリカシーがないこととか時代錯誤なことを言っているのにずっと気付けずに……というか。
だって、他の人から指摘してもらえるなんてこと、なかなか無いし。
だから、そういう人になってしまわないためにも、自分で過ちに気付いて、正していけるだけの知識をつけるべきだ思う。
やっぱり知識で武装するというか、そういうことにきちんと貪欲に向き合っていかないといけないんだろうなって、思うな。
リベラルアーツって実学的じゃないことって馬鹿にされたりもするけど、そういう意味ではめっちゃ大事やし、基礎知識として全員が持っておくべきことやと思う。
─────────────────────
今回は、コンプレックスに知識で立ち向かう人にお話を聞かせてもらいました。
彼女は、私たちにはないバランス感覚を持った冷静な視点を持っていて、“デリカシーのない人“に対しても余白を持った考え方をしていました。
コンプレックスは、捉え方によって回復することや克服することはできても、完全になくすことはできません。
でも、自分自身が勉強することで、そのコンプレックスや自明視されている価値観から少し自由になれることもあります。
彼女が「知識で武装する」と言ったように、学ぶことで無自覚に人や自分を傷つける言葉から抜け出せるかも知れません。
知識をつけることは、心の余白の糧になるかも知れない、そんな風に思えました。
このお話が、自分の余白を広げようと思えるきっかけになりましたら、幸いです。
─────────────────────
YOHAKUは、誰もがそっと抱えているけれど、他人から見えづらい事情にスポットを当てて、それが読んだ人の優しい想像力の余白となることを目指しています。
「最近こんなことに悩んでいる」
「なかなかわかってもらえないけれど、自分の事情を説明できたなら」
「こんな人もいるって知ってほしい」
こんな気持ちを抱えるかたがいれば、是非インタビューさせてください。
noteのコメント、InstagramやTwitterのリプやDMなどで受け付けています。
植木凜・小林華
文責:小林華