いつか君にもわかること~映画「大きな家」
2024年映画館で見た最後の映画は「大きな家」になりました。
映画館で予告を見て、ああ、これは絶対見たいと思っていた映画です。
養護施設で暮らす子供たちの日常を追ったドキュメンタリー、プライバシーの事もあり、見る事ができるのは劇場のみ。配信などはありません。
入場時に配布されたペーパーがありました。
個人名や施設名などをSNSに出さない、それぞれの事情や家庭背景を詮索しない、誹謗中傷はしない事を約束してほしいというものでした。
きちんと配慮された映画だと思いました。
映画の中にはたくさんの子供たちが出てきます。
幼児から大学生まで。18歳で自立し、社会人になって園を出て行く子たちも映っています。
彼らの日常は親元で暮らす子供たちのそれと大きな違いはないように見えます。でも、明らかな違いは当然あるし、彼らもそれをわかっている。それがどうしようもない事、どうにもできない事とわかっている。
先生は親じゃありません。だから甘えて拗ねて、当たり散らして、わがままし放題して、でも何があっても断ち切られることのない ”確かな絆と愛情” という絶対的な繋がりはそこにはありません。
どの子供もそれを心のどこかで理解して、子供らしからぬ自制をもって自分を抑え、どこかで遠慮しながら日々過ごしている部分があるのだろうと思いました。
でも、いい歳した大人な我々は知っています。
血縁の繋がり、家族なんてものは、ただの形です。そこに、”決して断ち切られる事のない確かな絆と愛情” なんてものは存在しないし、それが欠片も存在しない家庭や家族は世の中にやまほどあります。親だから子供を愛しているに決まってる、なんていうのもただの幻。むしろ、親元といっしょに暮らす事で地獄のような日々を送っている子供はたくさんいます。
ものすごく残念な事だけど、それは現実ままある事。
そして、それとは別にもうひとつ大事なこと。
その子を大事に想い、静かに見守り、抱きしめ、手を握りしめてその先の未来へと誘ってくれる人が親であるとは限りません。思っても見なかった”誰か” である事も、世の中にはままある事。
それが通りすがりの誰か、偶然知り合った短い時間を過ごした誰かという事もたくさんあります。
映画の中に映る職員のみなさんの愛情の深さは、まさしくその ”誰か” でした。
歯磨きさせる、ご飯食べさせる、洋服着させる、朝起こしに行く、反抗する子供を叱る、誕生日ケーキをいっしょに食べる、子供たちが参加するイベントを応援に行く、いっしょに泣く、いっしょに笑う。。
当たり前にみえるけど、当たり前じゃない。
洗濯物をたたみ、お弁当を作る職員の方々の姿に、うっかり泣きそうになりました。
きちんとした生活をおくる。ごく当たり前な日常を過ごす事がどれほど大変で大事なことか。
洗濯されていない衣服を着て学校に来る子、運動会や学校のイベントにお弁当がなくて、何も食べられずにいた子を私は知っています。家に帰っても誰もいなくて、いつもお金だけはやたら持っているけれど荒んだ子、産まれてこのかた一度も家で作ったとご飯を食べた事がないという子もいます。
ここは家じゃない。
いっしょに暮らすみんなは家族じゃない。だって血がつながっていないから。
どの子もそう言っていました。
親と離れて暮らす、あるいは親という存在が成立しない所で生きる子供は寄る辺ないだろうと見ていて思いました。
実際、施設で育った子供には、社会に馴染みにくい傾向があるという事が映画の冒頭で語られています。
親もひとりの人間で、親だからといって責任と義務を全うできる成熟した大人とは限りません。
でもそんな事、子供な彼らは知る由もないし、知る必要も本当はないんですよね。
ただ、それはいつかわかる事だと思います。
自分の人生すらままならぬ事、どうしようもない事ってたくさんある。
本当は子供にそれを背負わせてはいけないんだけれど、残念ながらどうしようもできない事ってあります。
私の会社ではやった事はないのですが、外資系企業ではチャリティの一環として施設に慰問に行くという事をやっている会社もあります。
遊んだりイベントを企画したりしていると聞きますが、なんというか、そこで中学生以上の子供たちには、可能性の大きさと明るい未来の一端を感じさせるような話や企画があったらいいんじゃないかと思いました。
将来何をしたいか、何になりたいか、それにはどうしたらいいかという道筋を端的に教えられる機会、家庭では親を通じて垣間見る事ができますが、施設だとどうしても見えにくいと思います。
もしかしたら、そういう機会も設けておられる所もあるかもしれませんが、企業でのボランティアではただ遊ぶのではなく、そういう事ももっとしてもいいんじゃないかと思いました。
2024年最後の映画はこの「大きな家」でした。
なんといいますか、どの子もかわいくて、ぐりぐりしたいくらいかわいくて、劇場の片隅で、彼らの笑顔と明るい未来を本当に、本当に心から願いました。