看護師と女医

 看護師と女医の関係はどんなものか思い知らされたことがあった。昔、看護師はほとんどが女性であった。精神科では暴れる患者を押さえ込むこともあり男の看護師が必要であった。今は薬がいろいろできているので暴れる患者のケアもできるようになったので大暴れするような精神科の患者は少ない。薬によってぼうっとさせられている。

 男の医者は女の看護師とはうまくいく。何故か?彼女らは医者と結婚するために看護師になったといってもよい。男の医者は浮気っぽいがそれも覚悟の上だ。できるだけ目につくよう一生懸命医者に尽くす。もちろん天職と考えての人もいるが、美人の看護師は楽に男性の医者をゲットできる。もっとも男性が結婚しているか否かだが、乗っ取りしちゃう場合もある。

 そこへ行くと看護師にとって若い女医は目の上のたんこぶだ。いや、だがおもてに感情を出せない。私も一度あったがカルテをどこかわかりにくい所にしまわれてしまった。若い私のような女医の指示の下で働くのはうれしくはない。私も経験しているが医者の全部が全部しっかりとしているわけではない。いい加減な診断でオーダーをする医者もいる。女医の中にも勿論診療内容がよくない人もいた。それを看護師は知っていてその女性医師のいないところで看護師同士の話のタネする。「若い医者に対しては静脈確保もできないくせに、なんだって威張っているの!」と心の中で思っているようなちょっとこわい看護師もいる。
 看護師は医者がいる所では医者の指示を待つ。しかし医者がいない場合、例えば災害現場では外科的処置のできる看護師はなくてはならない。私はとろいのか普通の病院で看護師が何をしているのか解らなかったが、いつも忙しそうに動き回っていた。看護師は大きな裁量権を持つ、命が脅かされているようなとき医者がいなければ決断を迫まれる。私は看護師には患者が悲鳴を上げるような辛い思いをしている時、同じような苦しみを推測し心の中で悲鳴を上げてほしい。患者を診て回る時、患者が何を辛がって不安になっているか聞きだしたり、患者がその時問題にしていることに同感して言葉かけたりできる職業人になってほしい。呼吸困難で苦しそうにしているとき「苦しいね」と言いながら腕や胸をさすったりしたらどんなに患者は安らぐだろうか。がほとんどの場合、看護師のすることは検温、血圧測定、清拭などで終わる。これは何も看護師だけの問題ではなく医者にも当てはまることだ。

 静脈確保ができないとか、採血ができないなどは医師の仕事の本質ではない。医者は治療手技のことを大学時代に一切習わない。大学で患者と直接接するのは高学年になり3~4人のグループで行うポリクリ(ドイツ語で外来診療を意味)と言う臨床授業であるが指導医を見ているだけである。

 医者と看護師の仕事の方向性は同じだが患者への関わり方が違う。両方とも患者のために存在し、どちらが上でどちらが下かなどと比較できるものではない。普通の人は通常、看護師は病気のことがわかっていると思っている。看護師の教科書を見たことがあるが、病気については多くの病名の記述はあるが病因論までは書かれていない。①変性疾患、②悪性新生物、③炎症疾患、④動脈硬化疾患に人間の病気は分けられる。便利だから覚えてら良い。例えばアルツハイマー病は①、胃がん、白血病は②、結核、おたふく風邪は③、心筋梗塞、脳梗塞は④というように分類される。

 私は常々思うが簡単な病気はまずは看護師が診て、例えばアセトアミノフェン(痛み止めや発熱時に使う)、カマ(便秘時、便を柔らかくする)など年月を経ても生き残っている薬を出し、それでよくならなければ医者にいく。痛みを和らげる貼り薬を医者が出しているが、これを医者の処方から外そうという案件があったが、もし隠れた病気があったらどうするのかなどと医者にそう言われ処方薬になっている。同じ薬が薬局で売られているのはどういう事だろう。一割負担の人だと自分の払いは少ないので他の薬と同様処方箋にかいてもらう。これだって看護師クリニックで出して問題になることはないだろう。またずっと同じ処方で治療されて安定している場合、看護師クリニックで薬を出してよいのではないか。もし不都合があれば医者に行けばよい。人はそれほどバカではない。不都合があればいつでも医者に診察を受けることができる。医者と看護師が患者の取り合いになれば社会は混乱するが大改革にはコロナの様な大ショックが必要だろう。


 中堅の病院で糖尿病で足の切断を迫られている患者に医者は相当心がゆれる。次は足が痛いから貼り薬を欲しいなどという極端から極端の患者の対応をさせられている、それが今の医療だ。生命にかかわるとか、重大な病気とそうでもない病気もごちゃまぜが今の医療だ。良い場合と良くない場合があるが自由でよいのかもしれない。

 私はある病院で毎朝病棟の看護師詰め所に行くのが怖かった。そこにはカルテがおいてある。仕事をするにはカルテがなければできない。卒業時は女医と看護師の関係がそんなに難しいと思ってはいなかったし、考えてもいなかった。その婦長は詰所にいつも不機嫌な顔をして座っていた。解剖学的な構造でかわいそうなのだが口がとがっていて怖い30代後半の女性だった。前から医者と看護師の間に溝があったのだろう。看護師詰所で看護師と医者が話しているのを見たことがなかった。私の受け持ちのカルテが見つからなかったのはその婦長が隠したのではないかと思った。「〇〇さんのカルテがないのですけど知りませんか」と聞いたが、「知らない」との言葉だけで一緒に探してあげようとかとの気持ちはさらさらなかった。カルテがないからその患者の診察を後にして、それ以外の患者を診て詰所に戻るとカルテが規定の場所にあった。どうしたのかと聞くのも恐ろしかったので何も言わなかった。看護師詰所からできるだけ早く出て行った。それをじろっと見られていると思うと怖くてしょうがなかった。昔こんなことも病院によってはあった。今も同じかもしれない。私が女だから意地悪しやすかった事は確かだ。

 私が若い頃行っていたバイト先の外科病院ではカルテ等はなく患者の状態を表す温度版といった一枚の日付の書かれたA3サイズの板のボードだけだった。そこに手術など施行された一言を書く。内科医の私から見れば恐ろしいほど簡単なものだった。誰も文句を言った人はいなくそれが習慣となっていた。そこの看護師はきちっとその日の患者の状態を書いていたので役立った。

 細かいことを知りたいときは看護師の書いた看護記録を見れば良い。医者の記載がない時、看護師のちょっとした患者さんの容体が書かれた記録は大切である。看護記録が時系列に記載されていたので医療裁判になったとき役立った。(経験した医療裁判について記述予定。)
 男の医者の中では「女医は幽霊」で、看護師の中では「招かれざる客」といった時代を経て今がある。

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