【妊婦の1日】マタニティマーク
不妊治療をしていたからだろう。
マタニティマークをバッグにぶら下げることに、抵抗がある。
なにかあったとき、周りの人にお腹に赤ちゃんがいることを知らせるための「お守り」。それがマタニティマークをつける意味なのだから、本当は常にひとの目に触れる場所に携帯しておくべきなのだろう。それが正解なはずだ、とわかっていながらも、なかなか難しい。
それは、おそらくマタニティマークを目にすることで、傷つくひとがいることを知ってしまったからだと思う。数か月前の私も、少なからず視界の片隅にマタニティマークが入ってくると、少々胸がざわついた。別にマタニティマークをつけている彼女に対して、何かしらの感情が働いているわけではない。ただの自己嫌悪だ。「なんで私は妊娠できないのだろう……」と、深い深い救いようのない自己嫌悪に襲われていたのだ。彼女が妊娠までに要してきた背景なんかわかりようがないのに、確かな自己嫌悪だけが、私を感情の渦に飲み込んで溺れさせていった。
私の不妊治療は比較的順調に結果が出た。とはいっても、ゴールのない、頑張り方のわからない治療はたった半年であっても十分に苦しかった。だからこそ私以上に長い期間治療にあたっている人がいるかと思うと、どうか私のつけている「マタニティマーク」が、彼女たちの負の感情の起爆剤にならないように、どうにか努めたいと思ってしまう。今は、マタニティマークだけれど、今後もっとお腹が大きくなってきたら、私の姿でさえ起爆剤になってしまうとおもうと憂鬱な気持ちになる。
人と比べない。私は私。わかっているのに、感情というものは厄介だ。
今日は、マタニティマークは鞄のなかに忍ばせていた。考えすぎだろうか?私がこの立場でこんなことを思って書いたところで、この文章を読んで傷ついてしまう人もいるのかもしれない。苦しい。
先日、不妊治療をしていたことを知らない親戚に、「結婚してからとんとん拍子に進んでいるね」と言葉を貰った。傷つきはしなかったけど、いろいろ大変だったんです……と心のなかでもどかしい感情を噛みしめていた。
もっとシンプルに受け入れていきたい
「でも、選んできたくれたんだから」って彼女は笑った。
不妊治療していたからかな。そんな感情を抱いたことが今まで1度もなかった。「赤ちゃん」を「呼び寄せた」、もっと乾いた表現をするのであれば「錬成した」、くらいの心もちでいたからだ。でも、もし彼女がいうとおり赤ちゃんが選んできてくれたって考えられるようになったら、もっとシンプルに妊婦生活が楽しめるのかもしれないな、と思った。
マタニティマークのことも、ちょっと膨らんできたお腹のことも、私は私として受け入れていきたいな。まだ時間はかかりそうだけど。
私たち夫婦を選んできてくれてありがとう。