
第91話 雨森晴子さん
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名古屋第二赤十字病院消化器内科で入院中に知り合った、晴子さんは日本画の先生でした。
そう「あの鉛筆!」と言っていた人です。
晴子さんは日本画の作品を日展に出品する時、雨森(あめのもり)晴子と名乗っていました。素敵な名前ですよね。
いつも私が部屋に押しかけ、晴子さんと談笑していました。
よく話を聞いていくと、歴史のある古い墨と筆で書かれた紙の復元の仕事や、自分の日本画が入院中の病院に飾られている事などが分かりました。
とても気さくで飾らないのに、品位を失ってないのです。
病気はちゃんと聞かないままでしたが、腹水があり歩いている姿は貴重な時間でした。

眩しい世界と恵みの雨。
ある日、晴子さんと病院の1階へ晴子さんの作品を観に行きました。
とても大きな作品で、2メートルありそう!
私はいつからか忘れましたが、日展が愛知県美術館で開催される時に、毎年恒例に観に行っていたのです。
この大きな作品を、どれだけの時間をかけてやり遂げるの?!晴子さんの細い体に凄さを感じました。
根気強さが桁外れです!だって全て手作業なのですから。作品を観ながら、暫し声も出ません。
凄い人と知り合ってしまいました。
古い時代の墨と筆で書かれた紙を、どうやって復元していくのか。
「丸1日かかって、それだけしか進まないの?!」
私が驚嘆する話を、晴子さんは笑って答えてくれました。
ピンセットを使い、紙にどこの体も触れないように作業していく。
大きな書は、板を渡してそこに座って復元していく。
聞いているだけて目眩がしそうです。
日本画の生徒さんにも、きっと気さくに丁寧に教えていたことでしょう。
退院している時、外来の診察後に1階で出会う事が度々ありましたが、晴子さんはどんどん細くなっていきました。
1度だけ1階の喫茶店で、私が書いた詩を見せて評価をして頂き、どうしたらもっと良くなるか、教えてもらいました。
最後に見かけた時、晴子さんはデニムの後ろを晴子さんとは対象的な、ふくよかな旦那様に支えてもらい、歩いていたのです。歩けているのが不思議な細さでした。
それから入院中の晴子さんを見舞おうとした時に、いないことを受付で言われたんです。
晴子さんに電話してみると、旦那様がでました。晴子さんは旅立っていました。
旦那様は晴子さんがしきりに、亡くなっていたご自分のお母さんに会いたがっていたと、話してくれました。
私は晴子さんから源氏物語の解説本を2冊借りたままでした。
旦那様に、このまま貰ってもいいか聞きました。快く承諾を得、今も書棚にあります。
晴子さん、ここに書けたよ。
生きていて、一緒にいられて嬉しかった。
またいつか会おうね。
大切な関わりがある人ほど、先に逝ってしまう。
私に深く大きなものを残して。
寂しくて、悲しい。晴子さん、ありがとう。
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