第45話 資格試験が近付く時と終電に乗る体験
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授業が佳境に入ってきました。
先生の熱量が違ってきます。
左手で電卓をたたき、右手でプリントを記入する事にも慣れてきました。
桁数も「,=カンマ」があれば、100万も1億も直ぐに分かるようになりました。
授業をしてから、プリントを黙々と解いていく事が増えました。
周りから電卓をたたく音が絶え間なく聞こえていて、自分も何とかついて行ってました。
算数・数学なんて、ちゃらんぽらんな私が日々数字と向き合ってるなんて!!
中学生までには絶対に思ってなかったはずです。
人生て、自分が何を選択するかで変わるものですね。びっくりです。
そうそう!初めに簿記の数字の書き方も習いました。4は書き方が違うのです。頂点をくっつけない書き方の方です。て、、、分かりますかね?
私は習っても、速く問題を解こうとすると、字が汚くなるタイプ(笑)
先生に指摘されてしまいました。
元々、普段の文字も綺麗とは言いがたく、後にペン字を通信教育で習って直したのです。それで、何とか読みやすい字と言われるようには、なれました。
「スキルと筋肉は裏切らない」てやつですね(笑)
でもですね、電卓があるから出来る訳で。暗算なんて全くできません。
だって、習い事は病気上できなかったから。そろばん塾も公文もピアノも習字も何もしてきてません。私は家で出来るものとして、読書と手芸を好きでしてただけ。
プリントを解いて、少し躓きやすい所の解説を先生が声をはりあげ、丁寧に教えてくれます。
そのうち、そんな佳境に入ってきていたので授業が終わる時間が遅くなるようになりました。
でも、18:30までには透析は始めなければいけません。看護師さんにも勤務時間がありますから。
18:00まで授業を聞いて、途中で透析へ行かねばならなくなりました。
受けられない授業分のプリントをもらって、学校を飛び出し病院へ走りに走る日々が来たのです。透析中は爆睡時間です。
帰宅は23:30とか、穿刺がやり直しなら終電で帰る日も度々ありました。
帰ってきたら明日の支度とプリントをこなして、やっと寝る。また早起きして、お弁当作って専門学校へ。
若いからこそできた事だと、今なら思えます。
今の私は走ることはできませんから。
私は透析があり、他の子はバイトしてたり、皆が疲れてましたね。
授業料を自分で工面している子もいて(私は恵まれてるな。自分のお金で通ってるわけじゃない、絶対に取れそうな資格は取らないと!)と強く思い直したのです。
本当はバイトしてみたかった。バイト代をオシャレに使ってみたかった。
だけど養護学校出身で面接の自信もなくて、体力も自信なかったです。
無い無いづくしでも、皆に一生懸命ついて行って偉かったね!
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