第17話 登校拒否と机に花瓶
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いつからだったか、登校拒否をするようになりました。
友人が
一緒に行こう!
と朝に来るようになりましたが、私はそれでも行きませんでした。
全てを投げ出してしまいたかったのでしょう。
でも、管の交換は病院に2週間に1度行かなくてはいけません。
パックの日々の消毒や管の入口の消毒とガーゼの貼り替えの管理は自分でしていました。受け入れて、受け止めて、対応していく。もう、それできっと精一杯だったんです。
妹はすくすく健康に大きくなっていました。
それだけが、私の光でした。
父は引きずってでも学校に行かせようとしました。このままじゃ駄目になると思ったのでしょうけど、その前に私の心を見てほしかったです。母は引きずられる私の味方をするでもなく。。父に逆らうことをしない、できない人でした。
父も母も、私の心の声を知ろうとはしてくれなかったです。医療ネグレクトをする両親ではありませんでしたが。
久しぶりに登校すると、机に花瓶が置いてありました。
死んだことにされてる。。。
しょーもないことするなー
淡々と花瓶を持ち上げ、後ろの定位置に持って行きました。それを教室の皆は、一挙手一投足、見ていました。
健康な皆から見たら、ずっと欠席の病人らしき人は、気味が悪かったのでしょうね。
でも私は、ただ生きる、それだけがとても大変な世界を知っている人間です。花瓶程度で傷つきません。むしろ、明らかな登校拒否理由もできて清々しいくらいです。
誰も私の病名も知ろうともしない。
友人に病気の話をしても
大変だねー。
で終わりです。
理解の域を越えているんです。風邪やインフルエンザ程度の話ではないのですから。
また、どこにも向けれない静かな怒りが湧いてきます。
学校に行かない日々の時に、更に体調は悪化の一途を進みます。
入院して辛い治療食の始まりでした。
中学2年生の食べ盛りに、蒸した魚にマヨネーズが少しだけ。そんな食事です。辛すぎて病院なのに、3日ほどハンストしたことがありました。
おやつとして貰うものも、ビスケット2枚に100ccのジュースのみ。
どう思いますか?ご自分の子供がその治療食だったとしたら?
可哀想で済む話ではないです。自分の食事をとるのも辛くなりませんか?
娘は、あの食事なのに、、と。
体の声を聞いてあげる。
それでいて、心の声を無視しない。
とても大切な事を、ゆっくり出来るようになっていきます。
自分を大切にしてあげられるのは、自分なんだよね。
諦めないで生きてくれて、ありがとう。
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