法源とは
法源とは裁判官が裁判をする際に使う基準である。
日本においては制度上の法源と事実上の法源がある。
今の日本の法制度は明治時代にフランスやドイツの法律を輸入して整備したものである。フランスやドイツの法体系は大陸法系で裁判官の判断と議会の作る法律であれば法律の方が上だと認識してほしい。これを成文法主義という。成文法とは公的機関によって制定された文字・文章の形に表現されたものである。公的機関によって制定されていない法を不文法という。成文法は法典として条文化した存在のものをイメージしてくれればよい。よって、日本の制度上の法源は原則として成文法主義をとる。
しかし、第二次世界大戦後に日本はGHQに間接統治され、日本国憲法はアメリカの影響を受けているので、アメリカの影響も強い。したがって、アメリカの影響が強い部分では事実上の法源が使用されたりするのである。アメリカはイギリスとともに英米法の体系をとる。成文法主義とは逆に裁判官の判断の方が議会が作る法律より上だという判例法主義を採用している。
制度上の法源=成文法・慣習法
日本の成文法(制定法ともいう)はヒエラルキー構造になっている。上位から順に「憲法→法律→命令(政令→府令→省令)・(最高裁判所・各議院などの公的機関が制定する)規則→条例」となっている。上位法規に抵触する内容の下位法規は無効となる。たとえば、法律で「裁判所のゴミ箱の色は赤」と決め、 裁判所規則では「裁判所のゴミ箱の色は黒」と決めた場合、規則は法律より下位法規なので無効となる。したがって、ゴミ箱の色は赤にしなければいけない。
国家間の合意を条約という。条約と憲法がどちらが優位であるかは学説の対立があるが、通説は憲法優位説なので憲法に反する内容の条約は(国内的には)無効である。
同順位の成文法にも優劣がある。まず原則として新しい法令の方が古い法令に優先する。これを「後法は前法に優先する」という。また「特別法は一般法に優先する」という。一般的な事項・規制を対象にするのが一般法で、その中でも特定の事項・規制を対象にするのが特別法である。たとえば一般市民の取引のルールを制定しているのが民法(一般人の普段の買い物など)であるが、その取引が商業取引の場合は商法(商人や会社がする仕入れのための売買など)が優先されるので民法が一般法、商法が特別法となる。ただし、特別法は相対的なものである。商業取引も手形取引で行う場合は商法でなく手形法が優先され、商法が一般法、手形法が特別法となる。特別法は一般法に常に優先するため、後法が一般法、前法が特別法の場合でも特別法が優先される。
そして、我が国では特定の社会において歴史的伝統的な慣習は「法の適用に関する通則法3条」により、法律と同一の効力が認められる。これを慣習法というが、慣習を法として認めているだけで公的機関が条文を作ったわけではない。よって慣習法は不文法である。しかし、法律で同一効力を認めているので制度上の法源である。「法律と同一の効力が認められる」とは慣習に強制力を認めただけであって、原則として成文法が慣習法に優先される。あくまで慣習法は従うべき成文法がない場合のサポート的な役割なのである。一般法より下なのである。ただし、唯一の例外として商取引に関しては商法に規定がない場合は商慣習法が適用され、そこに商慣習でも規定がなければ民法が適用されることが商法1条2項で明記されている。この場合のみ慣習法が一般法に優先されるのである。
事実上の法源=判例法・条理
判例とは裁判所の出す判決とそれを導き出すための理由を指す場合が多い。制度上の法源ではないが、法的な安定性を保つため、判例も統一性は必要である。そこで、判例はみだりに変更されない要請があるので、ある程度の拘束力がある。最高裁判所の出す判決が一番権威があるが、だからといってそれに縛られる判決を下級裁判所はしなくてはいけないわけではない。昔は最高裁判決で良しとされていたことを、時代が変わったことで下級裁判所がダメだ、と判断することもある。これを「先例拘束性がない」という。
条理とは具体的な事件について、その事案に即した妥当な解決を考える際のルールであり、公序良俗や信義誠実、社会通念などが条理といえる。裁判官の判断で「今回は社会通念に反するといえるため違法」みたいに結構あやふやな部分があるため、民事事件では法源になることもあるが、刑事事件では罪刑法定主義の建前上、直接の法源とならない。したがって条理に関しては法源に「なる」とも「ならない」とも言い切れないのである。