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【映画】『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』安楽死を求めて

私のささやかな今年の目標に月に1度、映画館で映画を観ること、というのがある。ベビーシッターをお願いして旦那とふたりで週に一度夜に出かける。2人で気になったレストランに行く、友達のうちでディナーするのと並び映画館に行くというのも定番になりつつある。映画をふたりで見にいくために1万円近くかかる。ふたりの映画代と考えれば、控えめに言って高い。

けれど、携帯電話にも邪魔されず、目の前のことに集中できる2時間と、旦那と共有できる経験、という時間にお金を払っている。映画を呼び水に普段とは違う会話をできる時間を楽しむ。こどもができてから、少ない時間の質をどう高くするかということをよく考えるようになった。

ということで、日本でももうすぐ公開予定のペドロ・アルモドバル監督の『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』(原題The Room Next Door)を観てきた。予告編を見たときに、画面が美しく映画館のスクリーンで観たいなと思わされた。

安楽死を望む女性と寄り添う親友の最期の数日間
その日、あなたが隣にいてくれたならー
重い病に侵されたマーサ(ティルダ・スウィントン)は、かつての親友イングリッド(ジュリアン・ムーア)と再会し、会っていない時間を埋めるように病室で語らう日々を過ごしていた。治療を拒み自らの意志で安楽死を望むマーサは、人の気配を感じながら最期を迎えたいと願い、“その日”が来る時に隣の部屋にいてほしいとイングリッドに頼む。悩んだ末に彼女の最期に寄り添うことを決めたイングリッドは、マーサが借りた森の中の小さな家で暮らし始める。そして、マーサは「ドアを開けて寝るけれど もしドアが閉まっていたら私はもうこの世にはいないー」と告げ、最期の時を迎える彼女との短い数日間が始まるのだった。

ワーナーブラザーズ

映画監督や俳優の名前を全く覚えられないのだけれど(だから、今回noteに書いておこうかと・・・)映画を観ながら、「吸血鬼の人だ!」と思い至って、隣の旦那を突いて伝えると、「ムズカシけど、よくワカッタネ」(意訳:そんなこと今さらわかったの?)と返された。ジム・ジャームッシュ監督の『Only Lovers Left Alive』は印象深い映画だったなぁ。

安易に涙を誘うトーンではなく、一定の距離感を保ちながら、観客に対して、死生観について、安楽死について、を静かに問いかけてくるような映画だった。

安楽死。自分の頭で考えられ、自分自身であるうちに、自分の納得できるかたちで死を迎えたいというのは率直に言って共感できる。フランスではないけれど、オランダ、ベルギー、スイスなどの近隣国では、安楽死が認められている。誰もが望んだ死に方をできるわけではないからこそ、死期がほぼ確定していて、物理的な痛み等で、これ以上、人生を楽しむことができないと感じるのであれば、自分であれば選べることなら、選びたいとさえ思う。

日本人女性の平均寿命は87歳。健康寿命は75歳。私の祖母は今年の誕生日を迎えれば、102歳になる。もう外に出ることもなく、寝たきりで、記憶も会話もあやふやな祖母。生かされているといったほうが近い。冷たいようだけれど、この1年間をさらに生きたことで味わった喜びとはなんだろう。直接尋ねたところで、祖母はきっと私の質問の意図もわからない。

映画の中のある会話で、印象に残ったやり取り。

『安楽死は認められるべきだと思わない?』
『認められるさ。今の社会保障システムが維持できなくなれば』

『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』(うろ覚えだけれど大体こんな感じ)

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