むかしパリを旅していた時
むかしパリを旅していた時、その国の玄関とも言われる国際空港は、まさに国力の象徴とも言うべき存在ですので、国が威信をかけて建造する建築物であることは分りますが、シャルルドゴール空港の壮大さには、なかんずく度肝を抜かれました。
外部の自然光を最大限に取り込もうとする巨大なガラス壁、何層にも交差する透明なエレベーター、大量の入国者を手順に沿って歩かせれば、何戸惑うことなく円滑にパリ市内の駅に着いているという、合理的に考えられ、国民性を如実に表している空港のひとつです。
あれよあれよという間に、私も市内行きの電車に乗って気づけば二駅過ぎており、そこへギターを持ったひとりの若者が、それこそここでパフォーマンスをするぞ、という出で立ちで乗り込んで来ました。車内もそれなりに混み始めたところで、乗客は隙間なく立っている状態にもかかわらず、彼はおもむろに U2 なんかの曲をよく通る声で歌い始めました。
これを私が以前利用していた埼京線の中なんかでやった日には、好意的に感じる人より、「なんで通勤時間にそんなことするんだ!」と、乗客は怒りに震え罵倒されることこの上なく、車内の混乱は避けられず、最寄りの派出所に突き出され、おまけにチカンの冤罪まで擦り付けられ、いつの間にか全国的なニュースに取り上げらえること間違いありません。
しかし、そこは寛容なフランス国民、たとえ車内が隙間なく混んでいても、誰ひとりとして文句を言う人もおらず、若者はものともせず弾き続けます。若者を見つめる人、車窓に目を向け耳だけ傾ける人、なす術がなくただ車内の様子に狼狽えている沖縄のバックパッカー、様々な人々が、胸中に去来する風景を懐かしい曲と一緒に思い出し、車内にはギターの音色と澄んだ歌声だけが響き渡ります。
乗客の中には、彼がギターを抱えて乗車するなり、自分のハンドバックから小銭を出す女性客もいて、この瞬間この場所にいる乗客のほとんどが、このようなパフォーマンスを受け入れ楽しんでいることに感動を覚えました。
なんの混乱もなく改札を抜け、地下鉄の階段を上りパリ中心部に出ると、やはり歴史を感じさせる街並みの風景が飛び込んできて実感もひとしおです。さて、今日の宿を探しましょうかね、パリ市内に記念すべき第一歩を踏み出そうとすると、靴底になにか柔らかいものを踏みつけた感触を覚えました。
イヤな予感と共に、恐る恐る確認するとやはり大きな犬のフンです。
思わずぎゃーと大きい声で叫びたいところですが、ここは寛容の国のそれも首都パリ、なるべく怒りを抑え、「なあんだ、フンか、ふ~ん」てな感じで何事もなかったように歩き出すと、それこそそこら中、犬のフンだらけに気が付きました。
難なく今日の宿にたどり着くと、カウンターの栗毛のお兄さんが、もう部屋はない、でもちょっと待って、折角日本から来たんだから、この部屋だったら空いてると日本円で6000円の部屋を案内されました。
宿泊について、私には「一泊1500円以上だすもんか」という妙に固執する譲れないポリシーみたいものがあり、どの国に行ってもいつも値段が折り合わず宿探しで半日以上費やすことは毎度のことですので、「ノン、ノン」と指を横に振ります。
「分かったムッシュ、じゃあここは?」冬場だったら確実に凍えてしまいそうな屋根裏部屋に案内されました。窓は小さく、トイレは汚く、勿論マットレスはぺらぺら、値段を聞くと夏場のみの特別価格3000円だったので、ここはやはり自分の寛容さを発揮して泊まることにしました。
しかし、私の寛容さもそこまでした。マクドナルドの一番安いセット800円で、まず、ぎゃー! 売店の水ボトル1リットルが700円で、ぎゃー!! ここまではどうにか我慢できても、さっそくフランス入国記念ビールを飲もうと値段を聞くと1本550円で、ぎゃ~あぁぁ!!! もう限界です。
翌朝、すぐさま宿を出てベルギー行きの長距離バスターミナルに向かいました。
空腹と物価高、そして犬のフンに打ちのめされた私は、ベルギーの首都ブリセッルまでの長距離バスの硬いシートに腰を下ろし、道向こうの広場で無邪気な子供たちがサッカーに興じるのを眺め、その内のひとりがこちらを見てアッカンベーしているような幻想を覚えると、なぜかしら一筋の涙がこぼれ落ちてきました。
なんでこんなに物価が高いのか、なんで犬のフンがこんなにも多いのか、なんでこんなことしているのか、これでいいのか、と訳が分からず、だけど、冷えたビールが飲みたい・・・と、想いをベルギービールに寄せると思わず顔がにやけ、ついでにヨダレまで出て、いつしか寝入ってしまいました。