hanaike Books #2 夏目漱石『文士の生活』
花のある暮らしに添えていただきたい書籍を、リレー形式で紹介いただくhanaike Books。
銀座 蔦屋書店の佐藤昇一さんがバトンを渡してくださったのは、Backpackers' Japanの 石崎嵩人さん。
佐藤さん曰く「ゲストハウスやホステル業界の草分け的な会社の、創業者のお1人」の石崎さんには、花や暮らしについて理解を深められる1冊をご紹介いただきました。
夏目漱石その人を覗く
“世の中にすきな人は段々なくなります、さうして天と地と草と木が美しく見えてきます、ことに此頃の春の光は甚だ好いのです、私はそれをたよりに生きてゐます”
夏目漱石が晩年、友人の津田青楓に宛てた書簡の一節である。
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夏目漱石の名、またその著作を知らない人はいないと思うが、夏目漱石自身の人柄や性格について知る人は少ないに違いない。
「私が巨万の富を蓄えたとか、立派な家を建てたとか、土地家屋を売買して金を儲けて居るとか、種々な噂が世間にあるようだが、皆嘘だ」の一文から始まる『文士の生活』は、そんな夏目漱石の生活を窺い知ることのできる随筆だ。
もともとは大阪朝日新聞に書かれたというこの随筆、数ページで読み終わるうえに、ほぼほぼ現代語と同じ調子で書かれており非常に読みやすい。近現代文学の香りに苦手意識がある人もぜひ試しに読んでみて欲しい。
漱石の愛した暮らし
『文士の生活』で語られるのは、収入の話にはじまり、衣食住や娯楽についてなど漱石自身の身の回りのことのみ。
著書で金を儲けようと言ったって知れたものだ。人気を取りたいという考えが出てくると品性が下がる。西洋料理は好きだが日本料理は食いたいとは思わない。たまに芝居を見るが面白いとは思わない……などといった飄々とした語りにくすくすと笑いながら読み進めていると、突然ドキッとする一節が現れる。
“明窓浄机。これが私の趣味であろう。閑適を愛するのである。”
明窓浄机とは読んで字の如く、明るい窓と清潔な机のこと。それを趣味だと言い放ち、終いには「閑適を愛すのである」と言ってのける超然とした感じ。この短い一節に途方もないうつくしさを感じてしまうのは、果たして僕だけだろうか。
言葉は時を超えて
数年前にこの一文に出会って以来、僕の生活にも「明窓浄机」の考えが入り込んできた。新しく住む家を探すときや、仕事で居心地のいい部屋について考えるとき、はたまた木陰に置かれたベンチに座り、日向を眺めながらひとり涼んでいるときなんかにも。
晩年の夏目漱石は閑適を愛した先にどんな風景を見たのだろう。僕はまだ「世の中にすきな人は段々なくなります」の境地にはないけれど、「さうして天と地と草と木が美しく見えてきます」はよくわかる。人生について考えることは、自分も自然の一部だと認識することと深く関連しているように僕には思えるのだ。
『文士の生活』が書かれたのは1914年。およそ100年の時を超え、漱石の言葉が僕の過ごす日々に繋がっていく。一年前に引っ越した風と光がよく入る自宅では、今日もいくつかの植物が育ち、たまに花が飾られている。
参考書籍:
夏目漱石「文士の生活 夏目漱石氏−収入−衣食住−娯楽−趣味−愛憎−日常生活−執筆の前後」
漱石全集<第25巻> 別冊(上)(文士の生活収録)
漱石全集<第24巻> 書簡(下)(津田青楓宛書簡収録)
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次は神奈川県小田原市で生活雑貨や古道具を扱うお店「sent.」を営む秦美咲さんにバトンを渡したいと思います。おすすめする書籍はもちろんのこと、暮らしの道具を扱う秦さんならではの視点を楽しみにしています。
writer
石崎嵩人(いしざきたかひと)
1985年生まれ、栃木県出身。株式会社Backpackers' Japan常勤役員。Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE(東京・蔵前)、CITAN(東京・東日本橋)など、4軒のゲストハウス・ホステルの企画運営を行う。