飛び込み授業(大阪/群馬/愛知)を振り返って~準備と実施の勘所~
ここ1カ月間の間に、大阪府枚方市・群馬県太田市・愛知県一宮市での飛び込み授業と講演会がありました。
直近1年間だけでも各地から同様の依頼があり、ここ1年間でおよそ10回の飛び込み授業を実施してきています。
最近は色んな方々から、「どうすれば飛び込み授業を成功させることができますか」という質問を受けるようになりました。
初対面で、普段の関係性や児童・生徒理解が無い状況下においても、授業を安定的に展開できるのは何故かということについて関心がある方が多い印象です。
これまでは個別にお答えすることが多かったわけですが、質問やリクエストの件数が増えてきたため、こちらに覚書をしたためておくことにしました。
どんな風に準備をし、どのようなことに留意しながら授業を実施するのか。
これまでの経験の中で大切にしてきたことを、まとめていきます。
準備編
先日のツイートで上のように呟きました。
飛び込み授業は、教師と子どもがお互いに初対面だからこそ、双方の「人となり」が分かりません。
とはいえ、事前に調べて知っておくことができることは実は結構あります。
例えば、一つ目の「採択している教科書」。
これは、どの勉強を通過してきているかを知る上で非常に重要な情報です。
ある年、6年生に対する飛び込み授業を構想した時、導入で「オーラ・リー」という曲を使いたいと考えたことがありました。
そして、授業の構成上、その曲を子どもたちが知っているか否かということが極めて大切な要素だったのです。
知っていなければ、当然別の素材を持ってこようと考えました。
小学校の音楽の教科書会社は2社あり、片方(トップシェアのA社)は4年生でリコーダーの教材として出てきますが、もう片方(B社)は中学校の音楽の教科書まで出てこないことが分かりました。
調べたところ、私に飛び込み授業を依頼した学校ではA社を採択していたため、このオーラリーからの導入案に決めたという出来事がありました。
「通過してきている学び」は、「共通言語」とも言い換えることができます。
ちょうど地元の”方言”を聴くと懐かしさがこみ上げるように、その共通言語に優しく触れるだけで人は親しみを覚えたりするものです。
何より、その子たちの過去の学びと現在の学びをジョイントしながら進めていこうとすることは、飛び込んだ先の学校の先生方をも大切にしていることになります。
いきなり行って、自分のやりたい授業だけをやって、それで帰ってくる、ではないのです。
分からないなりに、相手の学校や地域やクラスのことを知ろうと努力をした上で、飛び込み授業の内容を構成するということです。
「名前を覚える」ことも同じです。
丁度来月のはじめに発売の「教師の対話力」という新著にその内容を記載したので、以下に抜粋します。
大人同士の関係でもそうですが、初めてどこかに伺うときに、ご挨拶の手土産を持参したりすることがありますよね。
その手土産があることによって、相手とのやり取りが円滑になったりする役割を果たしてくれることがあります。
名前を覚えることも、これと似ています。
ただし、これは「全員を覚えて一度も間違えない」ことによって初めて成立する贈り物です。
わずか一人でも言い間違えたり、あるいは呼べたとしても言い淀んでしまったりするならば、名簿を見て呼名した方が100倍いいと言えます。
スラスラと淀むことなくクラス全員の名前が言える状態にまでもっていくのが、飛び込み授業の準備の中で私が肝にしている部分です。
準備において最もエネルギーを使うのは、実はこの部分だったりします。
「地域の歴史を調べる」ことは、行き道の新幹線や飛行機の中ですることが多いです。
そして、たいてい予定時刻より1時間ほど早く現地について、その街を散策して調べたりすることもルーティンにしています。
これは、飛び込み授業に限ったことではなく、別の用事での出張先でも同じです。
さきほどの方言や名前よろしく、人は「自分が大切に思っているもの」を大切にしてくれる人に親しみや愛着を覚えるものです。
地域もまた、その代表格といえるでしょう。
その地域で暮らし、その地域で育ち、その地域で沢山の時間を過ごしてきたのですから。
地域への愛着が全く無い人は、私は基本的にいないと思っています。
例えば私は北海道札幌市出身ですが、地元の話題が遠く離れた場所で出た時に得も言われぬ幸福感に包まれる時があります。
小さいころから何度も行った「円山動物園」の話題で盛り上がったことがあります。
「札幌」という地名の話題から、北海道全域の地名の話題へと話が広がったこともあります。
要するに、きっかけは「日本ハムファイターズ」でも「スープカレー」でも「少年よ大志を抱け」でもなんでもよいのです。
「北海道って本当に食べ物がおいしいですよね」なんていう大きなくくりの言葉ですら、じんわりとした嬉しさを感じるからです。
”あぁ、この人は自分が大切に思っているものを大切にしてくれるんだな”ということを言外のうちにも感じるということです。
ふとした時に、そうした話題が相手から出てきた時に、どれほどの喜びが相手にもたらされるかは容易に想像がつきます。
このような考えから、「地域の歴史を調べる」ことも準備に必ず加えています。
ちなみに先日別の用事で京都に行った際、「烏丸御池」という駅を利用してふと疑問に思ったことがあったので調べてみました。
こんな風に、その地域に行った時にその地を足で歩きながら情報を収集することは、授業や講演に意外な奥行きをもたらしてくれることがあります。
もし仮に、出張先で「烏丸」という名前の方がいたとしたら…
どんな未来が広がるかをそんな風に考えることも、また楽しいものです。
「授業要所のシミュレーションを行う」ことは、前日から当日にかけて脳内で行うことが多いです。
当然ですが、授業当日は指導案などは一切見ません。
「紙に目を落としている暇などない」といった方が、表現としては正しいです。
授業をする際に非常に重要な「視線」の力を最大限に発揮するためにも、授業のシナリオは全て体にしみこんでいる状態にしておくことが必須です。
楽器の演奏で言うならば「暗譜していていつでも弾ける状態」がそれです。
それは、授業の流れもそうですし、誉め言葉などの様々な対応の仕方もそうです。
そうしたことが、紙を見ないと出ない状態では、飛び込み授業は安定的に進めることはできません。
来月のはじめに、別の出版社から発刊する「力量形成」をテーマにした本に、該当する内容を書いたので抜粋して紹介します。教師になりたての頃から、どのような努力を意図的に積んできたのかという内容を伝えた部分です。(この著作は若手教師からのインタビューに答えた音源を文字起こしする形で制作しました)
このように、飛び込み授業の内容もいわば技能化していないと、当日の色んなシチュエーションに柔軟に対応することが難しいということです。
「要所のシミュレーションを行う」とは、子どもとのやり取りや対応の仕方を色んなパターンでイメージするということです。
”こんな風に来たらこのように返してみよう”と、まだ見ぬ子どもたちを描きながら、授業を仮想空間で実施するイメージです。
このように、技能化した上でシミュレーションを行っておくことが、授業に対する安定した心持ちをうみだしたり、また授業展開の中でのいい意味での遊び心(余裕のようなもの)を生み出すことに一役買ってくれます。
その上で、「授業にもう一歩の詰めが可能か考える」。
これは、授業直前ギリギリまで行うことが多いです。
実際に飛び込み授業をする時には、少しだけ早めに学校に到着して、授業をするクラスの様子を10分ほど見せてもらうことにしています。
ここで、子どもたちの顔と名前を完全一致させるわけです。
そして、授業中の雰囲気や担任の先生とのやり取りをみながら、準備してきた授業にもう一歩の工夫が施せるかを考えます。
授業の本筋はもちろん変わりませんが、つなぎ方を若干変えてみたり、言い回しを少し修正してみたり、順番を組み替えてみたり。
こうした細部を微修正することで、届けようと思っている内容が相手により届きやすくなったりします。
実際の場面では、授業が始まる数分前までコンテンツの内容をいじっていることが多いです。
「微修正できるのがプロの力」という言葉がありますが、その境地に少しでも近づけるように、直前まで授業の内容にはブラッシュアップを加えることにしています。
「可能な限り体のコンディションを整える」とは、どの仕事でも基本になることだと思いますが、飛び込み授業は特に「それを依頼して下さった方々」や「授業を見て学ぼうと参加されている方々」などがおられることが普段の授業とは大きく異なる点です。
基本的に、失敗はできません。
成功することが大前提であり、可能ならばその期待値を大きく超えていくことが求められている場面だといえます。
もちろん、授業は生き物ですから、子どもたちがあってのものなので、こちらのコンディションがいかに絶好調でも難しくなってしまう可能性は存在するでしょう。
ここで伝えたいのは、要は「コントロールが可能な範囲において万全の準備を行う」ということです。
自分のコンディションは、自分である程度コントロールが可能です。
けれども、子どもたちの学ぶ姿勢やクラスの連携力などはコントロールが不可能な領域です。
体調を整えることは、大きな要素ではないかもしれませんが、それでも自分の努力次第で一定のコントロールが可能な部分であるということです。
もう少し言うと、特に「声の出方」は入念にチェックします。
自分の声がどのように相手に届いているかは、自分で話した声を聴くだけでは正確に把握することができないため、私は定期的に自分の声を録音してそれを聞くようにしています。
その上で、テンポやリズム、抑揚、緩急、間などをチェックしていくということです。
余裕がある時は、駅近くのカラオケボックス等によって、授業の冒頭数分間の喋りだけを録音し、それを聞いてから再度自分の喋りをブラッシュアップすることもあります。
楽器の演奏もそうですが、基本的に基礎練習を怠ると技は錆びます。
意図的にベースの部分を磨こうとしないと、無意識のうちに技は衰えていくので、体調面だけでなく自身のスキルの部分にもテコ入れをしてから飛び込み授業に向かうようにしています。
また、「クラスの様子を担任の先生に教えてもらう」ことも併せて行うようにしています。
これは、飛び込み授業を始めたばかりの頃は行っていませんでしたが、ここ数年は欠かさず行うようにしています。
音声で教えてもらったり、テキストで教えてもらったり、学級通信を見せてもらったり、と方法は様々です。
これをすることによって、クラスの子どもたちの人物像がよりクッキリとしてきます。
そして、以前よりもはるかに名前を覚えるスピードがあがりました。
さらには、授業中における対応においても、より細やかな配慮ができるようになりました。
例えば、担任の先生から「普段はそれほど積極的に発言をしない」と聞いていた子がいた場合、その子が発表をした際にやや強めにスポットを当ててみたりすることができるようになってきたということです。
これも分からないなりに、相手の学校や地域やクラスのことを知ろうと努力の延長にあるものだといえます。
付け加えるならば、普段長い時間を一緒に過ごしている間柄だったとしても、相手のことを真に分かることはまず不可能なはずです。
「分からない」という前提に立って、少しでも「知ろうとしよう」「分かろうと努めよう」とすることによって、それが言外の内に相手に伝わりプラスの影響を生む部分もきっとあるはずです。
得てして、人は自分に関心を寄せてくれる人のことを好意的にとらえやすいもの。
自分の持っている技や知に奢ることなく、足りない・分からないという前提で相手のことを知ろうと努力することが、準備を進める段階において極めて大切であると考えています。
実践編
一通りの準備を経て、いよいよ飛び込み授業がはじまります。
今回の大阪の小学校には、100名以上の先生方が来られていました。
教室では人が入りきらないため、急遽場所を体育館に変更することにもなりました。
ステージ上の大スクリーンに授業コンテンツを映し、それに向き合う形で子どもたちが着席。100名の参観者の方々はそれを取り囲むように後方から立って参観されていました。
「実践編」では、実際にその授業をご覧になった方々の感想を引用しながら、私が授業をする上で意識していることや工夫していることを紹介していきます。
授業を作る時は、多くの場合「終末部分」から逆算して全体を構成することが多いです。
この日は、最後のおよそ4分間は子どもたちが感想を書き続ける形で授業が終了しました。
ほのかなBGMがかかる中、「カリカリカリ…」という子どもたちの鉛筆を動かす音だけが体育館に響いている中で、静かに授業を終えたということです。
この授業を作る時、まさにこの最後のシーンを思い浮かべながら全体を構成していきました。
実現したい理想とする姿やゴールを明確に思い浮かべて、そこに至るためにどのように授業を構成していけばよいかを考えるということです。
そして、願わくば、鉛筆を動かし続けながら「自分や他者との対話」が豊かに生まれ、そのことによって心が軽くなったり明るくなったりする形で授業を締めくくることができれば最高であるとも考えていました。
「授業が終わって、心があたたかく、スーッとしていく感じが心地よかったです」
との感想は、まさに自分がそんな風になれたらと願って描いていた姿だったので、非常に嬉しく思いました。
もちろん、子どもたちは授業の途中で思いもよらない反応や意見を出してくるものなので、全てが想定通りに進むことはまずありません。
しかし、辿り着きたいゴールを明確に思い描いておけば、道中のルートが右に行ったり左に行ったりしても、慌てることはありません。
授業だけでなく、学級も、学校も、最終的にどこに向かっているかという目的地を明確にしておくことはとても大切だと考えています。
「語り」の仕方については、「準備編」でも書いた通り、特に意識して意図的に磨く場を設けるようにしています。
特に、声の通り方・響き方は重要なポイントです。
この日は、前日に急遽会場が体育館に変更になったこともあり、普段以上に声の通り方は入念にチェックしました。
授業で使う映像の音声を流してみて、それが会場後方まで届いているかを確認し、さらにマイクにするか肉声にするかを会場校の先生に協力してもらってチェック、コンテンツの音声との混ざり具合はどうか、最後の感想を書く場面でのBGMは主張し過ぎずにほんのりとかかる音量になっているか等々、音や声の通り方の調整だけで20分ほどかかりました。
その上で、子どもたちから自分の表情がちょうどよい形で見える立ち位置を確認し、その場所を授業中の基本的な定位置として設定。
あとは、笑顔をキープしながら全体に視線を送りつつ、実際の授業での語りを行っていったということです。
さらに言うと、子どもたちとのやり取りはその場に応じて臨機応変に楽しむわけですが、教師が語り聞かせる部分については出来る限り余計な情報は削いで内容を研ぎ澄ますことも毎回意識しています。
語る内容の中心を相手に届けきるためには、「言葉を磨く」ということが必須です。
丁度感想の中にもあったプロの方が原稿を読むときなどは、そこには一切の無駄がきちんと省かれているように、余計なものが一掃されていることによって、十分な余韻や間を語りの中に創り出すことができます。
すると、「伝えられている情報の量は多い」はずなのに「ゆったりとリラックスして聞いていられる」という状況すら生まれてきます。
語りを引き立てるための準備は、毎回入念に行っています。
静と動のバランスは、先述した「語りの工夫」の内容とも重なりますが、無駄やムラを極力省くことによって、適度な間や余韻を創り出すことができるようになります。
そして、余計なものをそぎ落とすだけでなく、一定のリズムでテンポよく授業が進んでいくパーツを取り入れることで、授業に躍動感ももたらされます。
丁度リズミカルな曲を聴くと勝手に体が動き出すように、授業の中で心地いいビートが刻めている時は、子どもたちもそれにノるようなイメージで学びを加速させることができるということです。
また、アイスブレイクのことについてのご感想もいただきました。
通常飛び込み授業が始まる時は、約10分前には子どもたちの準備が完了していることが多いです。
子どもたちはその時間が「待ち」になることが多いのですが、私はこれを存分に活用することが多いです。
今回も会場の体育館に入ったのは8分ほど前。
そこからプレゼンテーションマウスの動き具合や、マイクの通り、定位置等を1分ほどで最終確認をし、ここで初めて子どもたちに向き合いました。
授業が始まるまでの時間は、およそ5分。
そこで、この時間を活用して簡単なクイズを出すことにしました。
準備いらず道具いらずであっという間にできる、私の中での鉄板アイスブレイクネタです。
ちょうど1年前にそのクイズについて原稿を書いたので、抜粋して紹介します。
このわずか数分のやり取りの中で、子どもたちが大いに笑い、認められ、「全ての意見を面白がってもらえる」ということを通過することが、授業の中における「安心・安全空間」を作ることに一役買ってくれます。
尚、授業の作り方は先述した通り、「終末部分」から逆算して作ることが多いです。
「つけたい力」もある程度はイメージしていますが、本当の意味で力がついたかどうか、成長が生まれたかどうかは「神のみぞ知る」という領域であるため、私はできるだけ客観的なクラスの様子を思い描いて授業を作るようにしています。
今回の授業ならば、「子どもたちが自分や他者との対話を心の中で楽しみながら、全員がひたむきに鉛筆を走らせている姿」のようなイメージです。
それを実現することができれば、自ずと変化や成長が豊かに生まれると思っているからです。
むしろ「こういう力」と授業者がある意味限定的に思って授業を作ってしまうと、そこからはみ出す形での自然な変化や成長が生まれにくくなることがあると思っています。
特に、今回実施した道徳という授業においては「誰かに教えられたこと」よりも「自ら気づいたこと」の価値がものすごく高いことはまちがいありません。
誰かに与えられたものではなく、内から湧き上がってきた学びこそが、真なる成長や変化をもたらすからです。
「つけたい力」より、「実現したいクラスの様子」から逆算して授業を設計することが、特に道徳においては多いということです。
さて、ここまで書き進めてみて既に1万字を超えてしまったので、ひとまず飛び込み授業についての「準備編」「実践編」の紹介については、このあたりまでとしておきます。
以下、授業へのご感想を数編と、同じく講演会へのご感想もたくさんいただいたので、こちらも数編ほど紹介することにします。
以上、飛び込み授業の準備編と実践編ということで簡単に振り返ってみました。リクエストされた方々のお役に立てれば幸いです。
尚、「今回の記事のような企画や情報を今後も発信してほしい」という方がもしあれば、応援の意味を込めて以下の「オマケ」を購入していただけるとありがたいです。
オマケでは毎回、応援して下さった方への感謝の気持ちを込めて「今回の記事に関連するプレゼント」(①「大阪の飛び込み授業で使ったパワーポイントコンテンツ」、②「講演会で使ったパワーポイントコンテンツ」、③「褒め言葉1000への挑戦ワードファイル11ページ分」)を返礼品として贈ります。
以下、パワーポイントデータやワードデータの一部をお見せします。
(※何人かの方から希望をもらったので、授業のパワーポイントデータにはシナリオも添付しました。シナリオ有り・シナリオ無し、どちらのダウンロードも可能です。)
尚、「褒め言葉1000への挑戦」ファイルとは、20代の頃に「ソムリエが700種類の褒め言葉を使ってワインを称える」という話を聞いた時に、”子どもたちを相手にしている自分が褒め言葉の数でソムリエに負けていられるか”と、コツコツ褒め言葉を収集し書き溜めていったデータ集のことです。
全部で11ページ分、1002個の褒め言葉があいうえお順で収録されています。
5年間ほどかけて書き続けてきたデータ集です。
普段は使わない褒め言葉を軽く読み流してチェックするだけで、飛び込み授業の際にもよどみなくピッタリの褒め言葉が出てくるようになりました。
また、学級経営ノートなどに貼って、職員室から教室に行くまでの途中で歩きながら単語集を眺めるだけでも、普段の授業を進める上で相当な効果がありました。
もしよければお使いください。
※尚、オマケの購入は予告なく終了する場合がありますのであらかじめご了承ください。あくまで本記事がメインですので、オマケは情報発信に対する応援という意味合いで使っていただければ幸いです。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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