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日記のような、日記じゃないような
今朝のこと。
もうほとんど使っていないFacebookのアプリに赤い通知がついていたので、何となく開いてみる。
通知は「Yさんと友達になって9年になります」という知らせだった。
そうか、Facebookでつながったのは、9年前だったのか・・・
Yを初めて見たのは高校1年生の時。Yが学校の廊下で一人、しゃがんでリュックの中から何かを取り出そうとしているところだった。夏服の袖から伸びる華奢な白い腕、顔を上げた時に見えた、大きいけれど涼やかな目に、うっかり私は、何秒間か見惚れて立ち尽くしていたと思う。
3年生で同じクラスになった時は嬉しかった。そのクールな美しさを持っていながら、大きな口を開け、ハスキーな声で豪快に笑う彼女のことが、さらに大好きになっていた。ただ流行を追うのではなく、個性を主張するわけでもなく、好きなものをしっかり選んで身につけているようなところもかっこよかった。私の名前を呼ぶ時の、独特のイントネーションが好きだった。
美人で、明るく、楽しく、サービス精神にあふれ、情に厚い彼女は、男女問わずみんなから好かれていた。
Yは、もうこの世界にはいない。
それを知ったのは、Yの旦那さんが差出人となった今年の寒中見舞いだった。
病気や事故ではなかった。いや、病気や事故みたいなものなのか・・・。
彼女がなぜその選択をしたのかは、もう誰にも分からない。
仕事に悩んでいた様子はあったけど、すごく大好きで大切にしているように見えた家族、子どもたちを遺していくほどのことだったのか。
友人のそれぞれが、彼女とした最後のやりとりを振り返り、悔いたり、その本当の理由を知ろうとしたりしたけれど、それに何の意味があるのか?そんなことをしていいのか?そんなことをしていたらYが成仏できないんじゃないか?というか成仏って何?こっちはまだそんな覚悟できてないよ、もっと図々しく頼ってほしかったよ、大体いつもYは優しすぎたよ、でもどうにもできなかったんだよね、仕方ないよね、でも、でも、でもさあああああああああああ...と、もう、わけが分からなくなっていた。
Yが亡くなったのは、2023年の冬の日だった。
「せめてあと1週間、地震が起こったあの日まで生きていてくれたら、もう少し生きよう、と思ってくれたかな」
不謹慎だけど・・・と言いながら、私たちはどうしてもそんなことを考え、いくつものため息をつき、ぼぉっとして、眠れない夜を越えながら、目の前の日常に追われ、少しずつ、日々の生活に戻ってゆくのだった。
私なんかよりずっとYと近しく、会っていた地元の友人が、Yの家族と話し、お墓参りできたことが、ひとつの節目になった気がする。
ずっと現実を受け止められず、何度も何度も「冗談やろ?」と聞いていたというその子が、一緒に行けた幼なじみと泣きながら帰ったと聞いて少しほっとした。
泣けないまま苦しむより、ずっといい。
自分がもし死んでしまって、遺された好きな人や好きでいてくれた人がそれで少しでも救われてくれるのなら、お墓の前で泣いてくれても、そこに私はいなくても、全然いいな、と思った。
Yの墓には、私も一緒に行こうと誘われているけど、いつ行けるかは分からない。連絡は取っていたものの、上京してからは一度も会っていなかった私なんかが行っていいのか、とも考えてしまう。
ただ、今会える人とはできるだけ会ったり、話したりしよう、とは、すごく思うようになった。
好きな人には元気でいてほしい。できれば笑っていてほしい。
若い頃は、好きな人には一生その人らしく生きて生き抜いてもらえたらいいと思っていた。不幸に向かっているように見えても、例え苦しそうでも、その人の決断がすべてだと。その自由を理解して尊重するのが私の愛し方だと思っていたけど、それはただの無責任だったのか?もしくは大人になって、失うものが増えた私は、少し欲張りに、わがままになっただけなんだろうか????
朝は保育園に息子を送りに行った。
「もっと!もっと長くつなげてー!!!」
先に着いた子どもたちの声が部屋の奥から聞こえる。
「昨日、○○くん(息子)の発表してくれた作品に刺激を受けて、みんながもっと長いものを作ろうとしてるんです」
と、笑いながら担任のえみこさん(息子の保育園は先生じゃなく、名前にさん付け呼び)が教えてくれる。
振り返ると、一昨日の夜、息子はこれまで園や家でやった塗り絵の紙を家の廊下で一生懸命、長い一枚になるようにテープで貼り合わせていた。
「昔描いたやつも、ぜんぶ、ぜーんぶ!つなげたいんだ!!!」
息子の作ったものや拾って帰ってきたものを捨てられない私は、2歳の頃から彼の塗り絵作品もとってあった。完成したそれは、家の廊下の長さでは収まりきらず、クルクルと巻くと、割と重い巻物のような長さになった。
「やった!!これを明日ほいくえんではっぴょうする!!!」
「え・・・?これを?そんな発表の時間あるの?」
「うん!つくったものをみんなに見せる時間があるよ!みんなの前で、がんばったこととか、好きなところをはっぴょうするの!」
「そうなんだ・・・家で作ったやつでもいいの?まぁ、それなら持って行こうか・・・(迷惑じゃないのか???)」
そんな感じで半信半疑で持って行った巻物の発表は大成功だったらしいのだ。
「大変でしたよね、すみません・・・」恐縮する私。
「全然!みんなの前で発表する○○くん(息子)かっこよかったです!みんなも、お〜!って拍手してました。それにしても、お母さんもよくあんなにとってありましたね〜!すごいです!!!」
えみこさんが嬉しそうに話す。
誰かの思いがこもった物をなかなか捨てられないのは、ただの私の習性だったのでそれは今回たまたま良かっただけなのだが、あんなに、あんなに!みんなと同じ行動もできなかった息子が、みんなの前で、自ら発表しようと思って、やり遂げたことに、それをやろうと(やっても当然受け止めてもらえると)思えるくらいに優しい世界を保育園が時間をかけてつくってくれたことに、私は胸を打たれまくっていた。
その翌日である今日、みんなが「○○くん(息子)のよりもっと長いの作るぞー!!」と盛り上がっていたということだ。
「みんなで協力して、さらに長いのを作るみたいです。帰りに誰が持って帰るんだろう?って感じですけど」とえみこさんが眉を下げて笑う。
朝の息子は大体無表情なのだが、その状況を見ると、口角を少し上げ、ニヤリと得意げな様子だった。
家に帰って夫に話すと、
「新たなブームを作ったなんて、○○(息子)インフルエンサーやん」と嬉しそうだった。
2歳の頃の塗り絵なんて、クレヨンを握るのでやっとだった。
今もしっかりとした持ち方で塗っているとは言えないけど、あの頃のタッチとは全然違う。ただ、よく見て、夢中で塗りつぶす。
1枚、2枚、3枚、4枚・・・・そして、すべてをつなぎ合わせる。
「もっと、もっと、長くつなげてー!!!」
何でもないシーンが眩しく見えた。
深い意味なんてないことに、大人は意味を持たせたがる。
子どもの頃、子どもの言動に一喜一憂する大人を見てよく思っていた。
「そんなに深い意味なんてないのに、大人って大袈裟だな」と。
でも大人になったからこそ、深い意味を持たない美しさに心打たれてしまうのかもしれない。
つくったものを、ただ長く、長く、つなげていく。
そんなシンプルな世界を守り続けるのは、やっぱりなかなか難しいから、惹かれてしまうんだろうか。