朝、息子を保育園に送り届けた後、ソファに寝そべって、窓いっぱいに広がるうろこ雲を眺めていた。 体を起こし、スマホでさらに空を切り取って、1階の仕事部屋にいる夫に送る。 また寝転んで窓を見ていると、とん、とん、と階段を上ってくる夫の足音がした。 そういえば、夫の足音はいつも優しい。 「これすごいね・・・わー、ちょっと気持ち悪いくらいだ」 寝っ転がる私のもとにたどり着き、体を曲げて、同じ窓をのぞく夫。 「すげー」 「ねー!でも、なんか子どもの頃見た景色みたいだよね」 まあ子どもの
今朝のこと。 もうほとんど使っていないFacebookのアプリに赤い通知がついていたので、何となく開いてみる。 通知は「Yさんと友達になって9年になります」という知らせだった。 そうか、Facebookでつながったのは、9年前だったのか・・・ Yを初めて見たのは高校1年生の時。Yが学校の廊下で一人、しゃがんでリュックの中から何かを取り出そうとしているところだった。夏服の袖から伸びる華奢な白い腕、顔を上げた時に見えた、大きいけれど涼やかな目に、うっかり私は、何秒間か見惚れて
先々週末から軽く体調を崩していた。最近はどうも咳が長引いてしまう。 そういえば家族でコロナにかかったのは、昨年の今頃だったな、と思い出す。 夫は立ち上がれないほどの震えに焦って救急車を自分で呼び、私と息子は数日吐き気に苦しんで、私は治ったと思ったら咳が続き、その後肋骨を折った。でもそのおかげで息子は3歳半にして抱っこ登園を無事卒業できたんだよなぁ...としみじみ振り返る。 息子が保育園に通い始めてから、昨年の終わりまでの約1年半ほど、我が家は頻繁に体調を崩していた。 地元
私には今、4歳の息子がひとりいる。 つまり、子がお腹の中にいたのは、5年前。 一般的に私は高齢出産の部類に入る年頃らしかったが、当時は会社の屋上で側転でき(て引かれ)るくらいには元気だったし、周りもさすが東京、独身だったり子を持たずに働いたりしている女性も多かったので、自分の中ではそこまで大変なこととも思っていなかった。 ただ、つわりはずっと続く船酔いのようで、終わりの見えないそれは、私にとっては出産の激痛よりつらかった。(産後しばらくして、私は分かりやすい激痛より、一見乗
灰色の空、熱を帯びた薄い膜が肌に貼り付くような空気。 ここ最近はずっと息が苦しく、体が重い。 何だっけ、この感じ。 窓の外を見て思い出した。 ああ、子どもの頃って、なんかずっとこんな感じだったな、と。 窓の外の雨を眺めながら、母がアイロンを掛けているそばで、絵を描いたり、本を広げたりするのが好きだった。 人生でいちばん、守られていた頃の記憶。 「好き」という気持ちはいつも「不安」とともにあった。 守られていながら、それが永遠ではないおそろしさを、今よりもずっと、体全体で
ことばに責任を持ちたいのに、一度放ったものを書いたりなおしたり消したりしてしまう自分にうんざり。初夏はずっと息が苦しい。
アンメット最終回をまだ観ていない。 前回の投稿では、『記憶』について書きたかった。でも最終回を観てしまうと、そんなことよりも物語の世界が大切すぎて、書こうとしていたことがどうでも良くなってもう書けない気がした。それならば観る前に!と慌てて投稿してしまったのだ。 慌てて投稿したものは、後で読み返すと、大概ひどい。ちょこちょこ編集してしまってる自分も恥ずかしいし、消したら消したで、消した自分も恥ずかしい。出ていた鼻毛をそっと直したのがバレてるくらい恥ずかしい。 何であんなに慌てて
アンメットに、まんまとハマっている。“まんまと”と言ってしまうのは、すでにあちこちで絶賛されているドラマだからというのもあるし、そこに登場するアメリカ帰りの脳外科医が、絶対私が大好きなタイプ(全方位ではなく角度によって印象を変える雰囲気イケメン、もしゃもしゃの髪に無精髭、奇人風なのにたまにまっすぐ目を見てドキッとすることを言ってくる感じ)だから、というのもある。最初は「はいはいはいはい、来ましたこのパターン!」などと、謎に平静を装い、感情に抗おうとしていたのだが、観るごとに無
5月はひとつもnoteを書かなかった。みんなの書いたものを見ていると書きたいことがたくさん出てくるのに、いろいろ考えると書けなくなる。 誰かに命じられて絶対書かないとダメなものではないから、まあ別に書かなくてもいいか、と思う日もあれば、謎に落ち込むこともあって。 なぜ私は書けなくなってしまったのか、を考えてみる。 実は私はもともと“書く仕事”をしていた。今もライターの仕事はフリーランスとして継続中なのだが、子を産む前はつわり、子を産んでからは、想像以上だった〝我が子の子育て
あらためて藤井風の曲を聴いて「この人ほんと、人生何周目?ってかんじ」とうらやましそうにこぼした夫に 「(あなたは)自分のこと何周目だと思う?」と尋ねると「1周目でしかないよね...」と答えたので「だよね!!だがそれがいい!!!」と、心から伝えた。
身バレ(家族バレ)を恐れて微妙に紹介文やこれまでの投稿変えました。(ほんとに微妙)これまで○っぴんしゃんと呼んでくれた方たちは、うれしいのでコメントなどは変わらず伏せずに呼んでくださいね。
ひさびさに表参道歩いたら猫背がすこし伸びて、脳内に色彩がもどった。
積み木が1.5ミリずれて泣き叫ぶ、いつもと違う時間帯に私が着替えると癇癪、毎日しんどかった1歳頃のHSC子育て。最近は「ハンドソープつめかえてくれた?ありがとう」「足のつめ塗るのやめたの?かわいかったのに」とか、小さな変化の気付きに救われまくってる。息子4歳。敏感さはギフト。
乳児の壮絶子育て期は、夫に求めるものが「体力」とか「行動力」とか、より動物的なものになってて何かしんどかったけど、少し手が離れた今は、「あ...この会話でこんな面白い切り返ししてくるんだ、、好き」と付き合いたての気持ちを思い出させてもらってる。よかった...
“蛙の子は蛙、そんな風には言わせない。あなたを生涯愛します” そんな恋文を書き、母と結婚した父が、数十年後、他の女性とままならぬ関係になっていたことを知ったのは、いつだったか。 当時の私は、深く傷つくとか、そういうのはなく、「えーーーー」くらいの感情だったと思う。 まずは一匹目の蛙のお話。 父の父、つまり私の祖父は、この世にいないことになっていた。 小学5年生くらいのある日、兄と一緒に父の車に乗っていた私が、 「ねぇ、そう言えばおじいちゃんっていつ死んだん?たしか戦死・・
あまたの者もすなるnote投稿といふものを、我もしてみむとてするなり。 と、いきなりカッコつけている場合ではない。 というかカッコついてないし、ダサい。なんかもう、ダサい。 しかし、このダサい自分を認めざるを得ない日がやってきた。 noteに登録し、ここまで、およそ8年半。 これは、小さな小さな私の、大いなる一歩なのだ。 きっかけは、先日行われた、類稀なるエッセイスト・スイスイさんのイベントだった。こんな私の記事を読んでくれている人は、きっとスイスイさんのことをよく知っ