私には今、4歳の息子がひとりいる。
つまり、子がお腹の中にいたのは、5年前。
一般的に私は高齢出産の部類に入る年頃らしかったが、当時は会社の屋上で側転でき(て引かれ)るくらいには元気だったし、周りもさすが東京、独身だったり子を持たずに働いたりしている女性も多かったので、自分の中ではそこまで大変なこととも思っていなかった。
ただ、つわりはずっと続く船酔いのようで、終わりの見えないそれは、私にとっては出産の激痛よりつらかった。(産後しばらくして、私は分かりやすい激痛より、一見乗り越えられそうなじわじわ系苦痛に弱いことをあらためて知る)
覚悟して臨んだ電車通勤。乗り換えの駅のベンチで、行き交う人や電車をぼんやり眺めながら、昼休憩の時には気持ち悪くて食べられなかったコンビニの赤飯おにぎりを貪るように食べたり、「ふぅ~」と深呼吸して、立ち上がっては、また座り、乗るはずの電車を何本も見送ったり。
産む直前までつわりがあったり、入院したり、そもそも子どもが欲しくても授からない人に比べれば、こんなのたんぽぽの綿毛くらいささやかなこと(むしろ幸せな痛み?)だと思っていたので、当時は他人に言わなかったけれど、まったくない人はないというつわり、なかなかに難儀なものだった。
そんなこんなでも東京で妊婦生活を送って良かった・・・と心から思えたのは、名前も知らない90人の心優しき方たちのおかげが大きかったと思う。
自分が妊娠する少し前に、たまたま見たネットの記事で、妊娠中に席を譲ってもらった時のことをブログに書いている方がいた。これはいい!私もいつか記録に残そう、と思い、母子手帳を手にしてさっそく書き始めたのが、この『ゆずられメモ』だった。
いつかどこかで書けたらいなあと思っていたのに、子が生まれてみるとなんだかんだと忙しく、見返すことすらなくなっていた。それでもこれだけはスマホデータが消えてもいいように、あらゆるところに保存しておいてよかった。今見返しても、その時の情景をほとんど映像のように思い出せてしまうのがすごい。
最初は席を譲ってくださった方の年齢や服装、共通点などをデータにまとめようと思っていたが、私がしたかったことは、そこなのか?と今更分からなくなった。(と格好つけてみたが、本当はExcelとか苦手なので諦めた)
そして、葬られてしまうくらいなら、そのまま載せちまえ!と、今やっと(メモを書いていた頃から5年後にして!!)踏ん切りがついたのだ。
ちなみに当時(2019年)は、フリーランスの仕事をしながら、週に3日、渋谷のとある会社でも働かせてもらっていた。大きな駅は実名、他の駅は何となくアルファベットで、最寄りはT駅として載せてみる。
(※ここから囲まれた部分はあくまでメモなので、ザーッとすっ飛ばしてくれてOKです!というか飛ばしてくれないとたぶん長すぎて読めません!!!)
ゆずられメモ
メモ、長っ!!!!!!
まあでも、そうだよね。
92件、90人分のメモ。(気づきました?!92回のうち、同じ方がふたり、2回ずつ譲ってくれたんです!!!!)
これ、書くべき人が書けば、すごく貴重で面白いデータではないだろうか。
書いたのが私で申し訳ないくらいだけど、やるべきことはなかなか続けられない私が、ただやりたくてやったこと、残せていて良かった。
読み手によって、いろいろ思うことはありそうだけど、私が感じていたことは大きく分けると次の3つだ。
1.東京、親切な人多すぎ
これはほんと、乗る路線(数駅で乗り換える人も多い路線)、時間帯(朝は9時くらいでピークより若干遅め?)、私の風貌(譲っても断れなそう、ぼやっとしてて埋もれそう?)とか、いろんな要素が重なっての、“恵まれゆずられ”なのかもしれない。
実際に私とほぼ同時期に妊娠していた友人(通勤片道ほぼ乗り換えなしで1時間、しっかりメイク、きれいめコンサバスタイルの20代後半)は妊娠中一回しか譲られなかったらしい。嘘だろ・・・
でもでも、たしかに私は譲られた。92回。それも毎日電車に乗っていたわけではなく、半年間週3程度、片道30分前後の乗車での出来事だ。
よく話題になるマタニティマークつけてたらひどい目にあった系のニュースなんかは本当に信じられないほど、私にはありがたさばかりを感じるマタニティライフだった。
「東京」と主語を大きくするのもどうかと思うが、私は東京に恩があるので、“東京=冷たい”みたいなイメージに異議を唱えたい。(“優しさ”と“親切”はまた違うかもしれないとは思うが、それはまた別の話)
田舎で働いていた頃、「妊娠は病気じゃない」「私の頃はもっと大変だった」という諸先輩方の言葉を聞き、真っ青な顔で働く妊婦さんを見ていた私としては、戸惑うほどの親切を、この東京という街は教えてくれたのだ。
2.ドヤ感出してくれる人ほどありがたい
私はこれまで“親切はさりげなく”、なんなら、相手にも気を遣わせないよう、気付かないくらいにそっとやるのが正義だと思って生きていた。
私自身、相手の親切も素直に喜べず、お節介だと感じることもあったし、そう思われたらいやだな・・・という心の弱さもあったかもしれない。
だから電車で席を譲る時も、あくまで「私は最初から向こうに用事があったんですよ~」という様子で、立ち上がるや否や譲りたかった相手と目も合わさずにそそくさとその場を去っていたのだ。
しかし、実際に92回譲られてみて思った。
「どうぞ」と譲ってくれる人・・・最高・・・!!!!!!
ドヤ感、はちょっとキャッチーに言い過ぎてごめんなさい。ただ「私は」 「あなたに」「この席を譲ります」をしっかり意思表示してくれる人、そして、その後のこちらの「ありがとう」の気持ちに微笑みの会釈で応えてくれる人の素晴らしさを知ってしまった。
マタニティマークをつけていたからといって、「私は譲られるべき人間だ!」と当然のように待っている人なんてそんなにいないと思う。
そう、これから座る立場としても、まだ「本当に私ですか・・・?いいんですか?」と恐縮しちゃう気持ちがあるんです。だからこそ、譲ってくれた方には、ちゃんとお礼を言いたいんです。さらにそこで笑顔をもらえたら「あぁ、イヤイヤ譲ったわけじゃないんだ、譲られて良かった!」と、“申し訳なさ”よりも“ありがたさ”を素直に受け止めて安心できるんです。
これは、本当に勉強になった。
すべての相手に喜ばれる、気を使わせない親切って難しい。というか、そんなやり方多分ない。でも気を使わせないことよりも、きっと大事なことがある。偽善者と思われようが、できることなら何かしたいという衝動的な気持ちとか?それによって救われる人がいるかもしれないこととか?まだはっきりとは分からないけれど。
私も堂々と笑顔でどうぞと言える人になりたい。この経験を経て、初めてそう思うようになった。
3.譲ってくれる方、おしゃれな人多め
譲ってくれる方の特徴として、最初は若い人の方が多い?とか、子育て経験者の方が多い?とか、いろいろと考えていたが、なんだかんだ、時間帯的に通勤通学の人が多かったし、それを踏まえても本当に幅広い年齢層の方が席を譲ってくれたと思う。
これは独断と偏見が入ってしまっているかもしれないが、強いて共通点をあげるなら、シャツの色がとても白かったり、シワがなかったり、“その人らしいおしゃれ”みたいなものが服装からも感じられるような・・・見た目に気を配っていそうな方が譲ってくれることが多かった気がする。
「身なりばっか気にしてるやつは自分のことしか見ていない」とか言う人もいるが、やっぱりそうとは限らないな、と思う。むしろ私がすごいなぁと思う行動力がある人は、おしゃれな人が多い。自分を客観視できていているゆえの美しさもある。そんな人たちは、視野が広く、周りを見渡せる余裕があるのかもしれない。
本当に自分のことでいっぱいの時は、周りも見えない。1秒でも多く目を瞑りたい時もある。私だって、仕事仕事の毎日の頃、目の下にクマ、化粧もままならず、電車の中で口を開けて寝て、窓に後頭部をガンガンぶつけ、乗り過ごしては駅員さんに起こされていた時もある。(その節は本当に申し訳ありませんでした)
人間、当然ながら、余裕がある時もあれば、全然ない時もある。
これからは、私も少し余裕がある時は、できるだけ周りを見て、この時もらった恩をいろんなところで返していきたいな、と思った。
おまけ
結局ダラダラ書いてしまった気がするが、この『ゆずられメモ』をやっと世に放てることが嬉しい。
メモなので、ちょっと言い方アレなやつとかもあるかもで、すみません。
しぶしぶ譲ってくれた方や「気付かずすみません!」と言ってくれた方、私が無意識に乗客を見つめ過ぎていたり、それが圧に感じられていたのだったら、本当に申し訳なかったです。見返してみて、そういうことだったのかも・・・とあわあわしました。(私普段からいろんな乗客見るのがめちゃくちゃ好きなんです)
そして、こんな忙しい時代に、ざっとでもメモに目を通してくださった方、「この譲られ方好きです!」とか「91番の笑い飯は自分です!」みたいな人がいたら、教えてもらえると嬉しいです!!!
あと、譲られる立場のくせに、イヤホンとかして「え?」ってなってる時があるのも、自分で読み返してみて気になりました。感じ悪くてすみません。
今は東京でも奥の方に生活の拠点を置き、車移動が多くなりましたが、見知らぬ人たちに揉まれ、電車に揺れながら聞いた音楽やラジオの時間は、私の遅めの青春って感じでもありました。当時聴いていたものを聴くと、あの頃を思い出してとってもドキドキ、わくわくします。
ちなみに電車ではこういうのを聞いていました。なんか電車のガタンゴトン音や東京の景色と合っている気がするから。私の中の電車プレイリストはこの辺で止まっちゃってます。
↑
これに、朝は奥田民生さんの「マシマロ」やSUPER BUTTER DOG「コミュニケーション・ブレイクダンス」とかが入ります!
radikoは、おぎやはぎ、オードリー、伊集院光さん、バナナマン、ナイナイ(当時は岡村さんのみ)あたりを聴いていて、それを聴いていたおかげで息子の名前は、ギリギリまで候補にあった「朔太郎」(その年に生まれた矢作さんのご子息と同名)ではなくなりました。
妊娠後期、電車に乗るとうにょうにょと面白いほど動いていたお腹の中の息子は、まったく車酔いしない、電車や乗り物が大好きな子に育ちました。
電車内での胎教の成果もあってか、赤ちゃん時代は細やかさと有り余るエネルギーを爆発させ大変な子でしたが、今はたくさん笑って的確なツッコミをかます、優しい子に育っています。
この『ゆずられメモ』を見せて、今度は彼が「どうぞ」と席を譲る側の人になる日も近そうです。
あらためて、あの時席を譲ってくださった90人の方々に、心からの感謝を込めて...
みんなみんな、幸せに過ごしていますように。
(私なんかが願わなくても、きっと過ごしているんでしょうね)