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季節を祝福する和菓子

子供の頃から和菓子が好きだった。
しかし私が生まれ育った地域は特に和菓子文化が盛んなところではなく、「シュガーロード」の名残のせいか洋菓子に近いものが多かった気がする。

だが、今住んでいる場所は違う。
茶の栽培が地場産業であるため「お茶請け」としての和菓子が非常に豊富である。
今までは、和菓子といえば京都の高級品というイメージが多少なりあった。
一方、ここで言う和菓子は飽くまでお茶請けであり、京都のそれよりぐっと庶民的だ。

和菓子シーズンの始まりは、年明け、早春。
(個人的な見解です。)
七草粥が終わると、まだ実の硬い甘酸っぱいいちごを用いたいちご大福が出回る。
「私は黒あんよりも白あんが好き。」
「予約しないと午前中には売り切れてしまう名店」
などと、Googleマップ上で和菓子屋のクチコミ欄が盛り上がる。

次いで2月には、うぐいす餅。
私はこれを最初に作り出した人の感性にうっとりする。
ぽんぽんと紅い花をつけた梅の枝にとまる、渋い薄緑のうぐいす。
まさに「冬の終わり」の象徴だ。

そして空気中の水分が徐々に濃くなり梅が咲き終わる頃には、開花はまだかと桜餅が登場する。
ここでもまた、道明寺派か延命寺派かでクチコミ欄が浮き足立つ。

あっという間に桜が散り、乾いた空気と強い日差しに包まれるようになると、お次は柏餅。
私は九州で生まれ育ったため、端午の節句には「チマキ」に慣れ親しんでいたのだが、ここは違う。
八十八夜から梅雨の半ばあたりまでは兎にも角にも柏餅だ。
新茶ののぼりが立つようになると、和菓子屋のみならずスーパーのお惣菜コーナーにもびっしりと柏餅が並ぶので、初めて見た時は本当に驚いた。
生地は普通の白い餅、またはヨモギの若葉を練り込んだ草餅。
中身はつぶあん、こしあん、味噌あんと、これまた一通り食べないと夏が始まらない。

曖昧な梅雨入り宣言がなされジメジメと鬱陶しい季節になると、いよいよ私のお待ちかね、わらび餅の出番だ。
学生時代、ゼラチンや増粘剤をふんだんに用いた安いわらび餅を食べていた頃は、黒蜜は欠かせないものだった。
しかし今はきちんとした和菓子屋で、きちんとわらび粉のみを使ったわらび餅を買う。
きちんとしたものには、粗めに挽いたきな粉だけで十分だ。

夏の和菓子はまだまだある。
水まんじゅうに水ようかん、葛切り、あんみつ、茶シロップをかけ甘く煮た金時豆をのせたかき氷。
どれも素朴で味も見た目も華やかさには欠けるが、間違いなく、猛暑を克服するために与えられたお菓子だと私は思っている。

少しずつ日暮れが早くなり、太陽の光がオレンジ味を帯びてくる9月半ばからは栗蒸し羊羹が登場する。
ここで私は、あぁ、今年も和菓子はシーズンオフに差しかかったなと実感する。
秋の気配と共に少し寂しい気持ちになる。
もちろん、真冬に食べる温かいおしるこは身も心も幸せにしてくれる素晴らしい和菓子だが、くるくると移り変わる季節感はない。

そして今書いていて気付いたのだが、和菓子というのは米が栽培される時期に特に盛んになるのだろうか。
だとしたら、とても合理的だ。
稲の手入れの合間に、お茶と季節のお菓子。
収穫までの成長を見守りながら、その時期にしか作られないお菓子を堪能する。
なんと風情のある文化だろう。
世界中のお菓子に精通しているわけではないので断言は出来ないが、ここまで季節を感じさせることの出来るお菓子は、和菓子以外に存在しないと私は確信している。



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