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私の履歴書④都会と田舎、どっちで働く?

ニート生活が終わって、私は山梨のオルゴール博物館にて、長期アルバイトとして勤務することになりました。憧れの音楽の仕事に胸躍らせて行ったのを覚えています。

この博物館には大学4年生の夏に1ヶ月間住み込みでアルバイトに来ていました。卒業論文で博物館関連のフィールドワークを行うことで実習の単位にかえさせてもらうことになったからです。私は卒業論文も結構頑張って書きました。題名としては確か「自動演奏楽器の博物館における歴史的考察」とかいう感じでした。第4章からなり、第1章が全国にある自動演奏楽器の博物館について、第2章が自動演奏楽器の歴史について、第3章がフィールドワークから現在の自動演奏楽器の博物館における問題点、第4章が歴史的考察まとめみたいな流れだったと思います。

私は全国の自動演奏楽器の博物館を調べて、確か30館くらいあったので、全てにお手紙を書いて送り、パンフレットを送ってもらって、山梨のオルゴール博物館にはフィールドワークをさせていただくことをお願いしたのでした。

社長がこの時提出した卒業論文をとても気に入ってくださり、問題点をよく見抜いていると言ってくださって、働かせていただきました。

オルゴール博物館とはいっても、公共施設ではなく、民間の会社の中の1つの商業施設の扱いになるので、サービス業でした。行った業務としては、博物館のチケット販売、CD販売、オルゴールの演奏解説、自動演奏楽器のお掃除、陳列、電話対応などでした。

私は中でもやっぱりオルゴールの演奏解説が大好きでした。30分間のコンサートをするわけなのですが、1900年代に作られたオルゴールやコインを入れて演奏が始まるアメリカの酒場にあったような自動演奏楽器、ロールピアノなどを前の回の演奏と重ならないように自分で考えて順番を組み立て、解説していきます。

このオルゴール博物館で働いている間に、私には52人の知り合いが会いに来てくださいました。中には教育実習で教えた子、前の天ぷら屋さんでお世話になった専務、天ぷら屋でまさかの駆け落ちした先輩、ずっと習ってきた歌の先生、家族、本当にありがたかったし、嬉しかったです。

コンサートではロールピアノに合わせて歌を歌わせてもらったこともありました。カヴァレリアルスティカーナだったと思います。夜のコンサートのイベントもやっていて、昼間の来館時の演奏解説とは違い、合間にティータイムを設けた、本当にじっくり演奏を楽しむ時間がありました。いつもの解説とは違って、スタッフがテーマを決めて選曲し、コンサートも一部二部に分けて作り上げます。素敵なイベントで、私はこのイベントのお手伝いが好きでした。オルゴールマニアの先輩が静かな、でも情熱的な熱意をもって作っていて、素敵なイベントでした。

オルゴール博物館にはカフェも併設していてカフェ担当がいたり、地下は食器の展示スペースになっていました。オルゴール工房もあり、そこではオルゴールの組み立て体験ができるようになっていました。

仕事の内容自体は大好きでしたが、血気盛んな、まだとがっていた若かりし私は、上司とぶつかり、男の上司2人に泣きながら意見を述べていた記憶があります。5人程度の狭い人間関係で、同期など相談できる人もいませんでした。

一番のやめる原因となったのは、土地でした。繁忙期と閑散期の差が激しく、夏は勤務が長く忙しいのに対して、冬は出勤が3時間になるほど人が来ない。冬はお給料で生活が大変だったと思います。車を持っていなかったので、住んでいた場所から20分かかるスーパーまで買い物にいかねばならず、18時に勤務が終わるので19時に閉まるスーパーまでよく走っていました笑。

近くにはあまりショッピングできる場所がなかったので、休日は甲府のデパートまで出かけるのが楽しみでしたが、静岡や東京には及びませんでした。近くにあった焼きたての美味しいパン屋さんにいったり、無人販売の美味しい野菜を買って食べたり、ピアノを練習したくて、レストランに置いてあるピアノを弾かせてもらいに行ったりして生活していました。

周りの人はよくしてくれました。マニアの先輩と話すのも楽しかったし、カフェ担当の方や上司のお家にも遊びに行かせていただき、いろんなお話を聞かせていただきました。

しかし、私はまだ若かったこともあり、生まれ育った静岡より田舎で、不便な生活になかなか馴染めなかったこともあり、やめる決断をします。

この時の社長もとても温かい方でした。人はみんな人のためになりたいんだよ、生きてくのに大切なのは、嘘をつかないこと、約束を守ることと教えてくださいました。私はこの信条をずっと教員になってからもすごく大切にしていました。

今も表裏はあまりない正直なタイプですが、嘘はたまにつきます。約束はなるべく守る、できない約束はしないように気をつけていますが、気持ちが変わりやすく一貫性がないので、人からみると期待外れな部分もあるのではないかと思います。

ここで働いてよかったことは、人の温かさにもたくさん触れられたことと、私には静岡より田舎の暮らしは向かないことと、仕事は仕事内容だけでは続かないことがわかったことでした。ここで働いたのも10ヶ月程度でしたが、いろんな経験や感情を体験できました。
この時に出会った全ての方にも感謝しかありません。当時の私はまだ未熟で、想いを汲むという選択はできませんでした。

この後、静岡に帰り、小学校で常勤講師を始めることになります。ここから小学校時代は長く、通算15年ほど務めることになります。

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