【治療日記】抗がん剤6クール目
このマガジンでは、わたしが46歳で卵巣がんに罹患した最初の診断から、その治療の様子をレポートしていきます。
※とうとう6クール目まで来ました!
自分の備忘録となりますが、記録に残していこうと思います。
* * *
治療の当日はいつも通り支度して7時出発。
今回はいつも早起きして作る玄米おにぎりを用意していかなかった。
前日まで仕事が忙しかったのもそうだし、最後は手抜きしようかなー、と。
夫に送ってもらって病院へ。
採血の時、1クール目で不安いっぱいだった時に会った看護師さんで、とても嬉しかった!
あんなに不安だった治療も、この看護師さんからの励ましや、色んな人の支えで何とか乗り切れた。
それでとても気分良くて、最後だと言うこともあり気合が入った。
問診票などを書いて提出し、診察まで時間があるので夫と病院で朝ご飯食べた。
夫をいったん見送って、いつも通りカフェでソイラテ買ってゆっくり読書しながら診察まで待った。
今回は診察かなり待ったけど、主治医の先生に会えて良かった。
「とうとう最後ですね」、と労ってくれた。
主治医には痺れの相談が一度も出来てなかったんだけど、今回話しを聞いてもらえて、薬の量も15mmに上がった。
「1年くらい付き合うつもりでいてくれるといいんです、そのうちにだんだん減薬していって、そういえば気にならないな、という風になると思います。」と言ってくれて、「わたしもそのつもりです。」と答えた。
焦らない。
実際、そんなにかからないかもしれないし、わからない。
これもそれも体質や生活習慣など、人にもよる。
情報は大切だけど、人と比べてはいけないと思う。
何が正解かは、自分の内側にしかない。
それに、後遺症のことを今考えても仕方ないことかもと思う。
それより、やりたいことをやって、HAPPYに生きること。
歩けるし、トレーニングだってできる。
治療中でも、この令和の時代、知恵と勇気を使えばなんでもできる。
好きな絵を描くこともできるし、勉強も趣味もできる。
海外とも繋がれる。
色んなことがあるのが人生だけど、それは自分のマインドでいくらでも変えていけることを46年の人生で学んだ。
わたしは今回の病気発覚で、大げさではなく、いったんは人生の期限を考えた。
人生に限りがあるなんてこと、考えもしないまま、ここ数年は特にただただ仕事をしていた。
もし、仮に1週間後に死ぬとしたら何がしたいか?
そんなことを考えていたら、最近この記事に出会った。
わたしが感動したのは、「諦めたら終わり、ナース服をもう一度着たい」、というひろさんの想い。
人は想いがあれば、常識では考えられない力も発揮するのではないかと思う。
その想いが嘘偽りない、本当に心の底から湧き上がる思いかどうか、というのが大事だと思う。
* * *
好きなことをやって美味しいものを食べた最後には、
やっぱり家族と自分の家で穏やかに過ごしたいんじゃないかと思う。
生活を共にしたパートナーと、苦しいことも大変なことも、笑いあった思い出も、色んな思い出を語り合って、最後には感謝の気持ちを伝えるんじゃないかな、と。
お子さんがいる親御さんは、自分のもとに最初の子が生まれた時の幸せを噛みしめるのではなないかな、と。
目に入れても痛くないかわいい時期も、子育ての苦労も、全てが光に満ち溢れた日々で。
「家族」というものははどんなに色々なことがあっても、今世で巡り合ったチームとして何か学びの意味があるんじゃないかと。
その最後までは、まだまだやることがあることも自分なりに整理がついた。
なので、大病はもうこれでお終い。
これからは、回復につとめて健康にも留意しできることをしたい。
特に食生活と睡眠や運動などの生活習慣面。
また本当の自分と繋がりながら周りにいて下さる友人知人、お客様に感謝し、自分なりに考える、社会へ何ができるかを考え、まずは自分が一番整っていて幸せに生きることを第一に暮らしたい。
人と比べない、人に振り回されない。
社会が良しとする概念に縛られない。
そのためには自分の思いを言語化して、相手とコミュニケーションをしっかりとれることが大事。
自分は何か心地いいか、それが大事。
ときにツライ苦しいことに遭遇することもあるのが人生。
気分良く過ごす毎日に、とっておきのご褒美があるのが人生。
いかに気分良く過ごせるように自分を整えるか?
* * *
次は来月末に造影CTの検査となりました。
その結果をもってして、わたしの治療日記は終わりにしようと思います(^^)
今日も素敵な一日を!