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コーラと叔母と貸本屋

色々あって大学を辞めてから、貸本屋でアルバイトしていた頃
「日本語の勉強でもやってみようかな…」
とふと思いついた。
貸本屋という、本や漫画をレンタルするお店が、当時の韓国では少し流行っていた。
アルバイトと言っても、一日中カウンターの中のイスに腰掛けて、たまに来るお客さんの相手をするだけだったので、空いた時間がたっぷりあって、何かをするには都合が良かったのだ。
勉強でもしようかな、と思いつく三ヶ月ほど前に、大阪と京都に初めての旅行に行った。
ようやく二十歳になるかならないかの頃で、当時の日本語は
「アリガトゴジャイマス」
位しか知らず、話すことはもちろん、聞くことも、読むことも、文字もほとんど分からなかった。
木星の天気と気温の長期予報があるとするなら、それと同じくらい興味の対象外だったので、日本や日本語と言われても
「はあそれが何か…」といった程の関心しか持ち合わせていなかった。
突然誘われた旅行だったので、自発的に計画を立てることもなく、事前に何かを調べる事もせず、ぼんやりとした日本のイメージだけで旅行したのだけど、実際に目にする日本は想像とだいぶ違っていた。
当時の日本と言えば、ものすごく物価が高いイメージで、実際韓国と比べるとびっくりする程高かった。
旅行を計画して誘ってくれた、わりと歳の近い叔母は、事前の情報からも、実際に目にする値札からも衝撃を受けており
「日本は物価が高い。だからこれを旅行の間持ち歩く」
と突然宣言して、1.5リットル入り(だったと思う)の大きなペットボトルのコーラをスーパーで買い、旅行中ずっと一本ずつ持ち歩く事になった。
そのおかげで、せっかくの金閣寺も鴨川の川沿いも道頓堀も、ペットボトルの重さと、炭酸が抜けたシロップのような甘い味と、それをかついで歩き回るという気恥ずかしい気持ちとが、今もセットになってしまっている。
繁華街にあるデパートのレストラン街や地下のお惣菜売場なども、行くには行ったのだが、コーラを携帯して歩き回る。というアイデアを思いつく程のしっかりした叔母と一緒だったので
「展示品を観覧する」
といった趣きになり、
店の前の立派なサンプルを眺めたり、ソースやしょう油のこげた匂いを感じたり、揚げものをしている音を聞いたり、だんだん丸くなっていくタコ焼きを観察したり、小さく盛り付けされたお寿司の色鮮やかさを確認したり、と味わう事はなかったが、充分に楽しむ事はできたのかもしれない。
とにかく、その時のコーラを抱いて歩き回った旅行をきっかけに、日本や日本語に興味を持つ事になった。そして、その熱が冷める前の、とある日に
「日本語の勉強でもやってみようかな…」
と思いたち、貸本屋にある日本や日本語についての本を読み始める事になった。楽しさに目覚めて、日本語のテキストを買い、本格的に日本語にのめり込んでいくのには、たいして時間がかからなかった。
そして、様々な偶然と幸運と縁に恵まれて、今ここにいる。
空気や水や太陽と同じように、日本や日本語が、生活に自然に溶け込み欠かせないものになっている。
庭や植物や花や生き物が大好きになって、これらに関する事を日本語で書こう。とあの日のように突然思い立ち、このnote備忘録もはじめることにした。
二十歳の頃には、日本にも、日本語にも、庭にも、植物にも、花にも
生き物にも、全く興味がなく何も知らなかった。
そんな自分が
日本に住むなんて。
日本語を理解してコミュニケーションをとるなんて。
花や生き物を愛でるようになるなんて。想像を超える未来がひろがっているなんて。
そんな未来は、思いも、考えも、想像も、予感も、願望も、何ひとつなかった。
「コーラと叔母と貸本屋」
それが日本に結びつくなんて…
僥倖だったんだな。と大きなコーラのペットボトルを見るたびに、昔の事を思い出す。


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