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「夜明け」に吸い寄せられている

図書館で借りた本、ちっとも捗らない。読みたかった気持ちが消えて、「今」じゃなかったのだなと諦める。
手元に読む本はたくさんあるのに、ついつい本屋さんを覗いてしまう。

「夜明け」に反応する。だけど、手に取るつもりはなかった。しかし、他の本と共に手に取りレジに向かってしまった。

「夜明け」に反応してしまう理由はわからない。実は他の「夜明け」がタイトルに入っている本を探しに行ったが売っていなかった。
「夜明けのすべて」は、映画化されるということで本屋さんにずらっと並んでいた。以前読んでいるが、その頃から「夜明け」好きだったのか。
「夜明け」夜が明ける、そんな前兆か、単なる願望か、とにかく吸い寄せられている。

で、「夜明けのはざま」の感想。
「死」にまつわるお話。葬儀屋さんが舞台だ。
生きている人間と、生きていた人間、「死んでしまった」現実の前に、故人との思い出とその時の自分の思い、そこから時を経た自分の現実と思い、それらを整理する時間。
「死」は誰にでも訪れる日常であり、「おそれ」の対象にもなりうる。怖い恐いという「おそれ」でもあり、「畏れ多い」のおそれでもある。

人は迷う。これでいいのか、良かったのかと逡巡することもある。
それでも、「自分」と向き合い「決意」する瞬間がある。そんな「決意」を積み重ねて、自分の道を進んでいく。その転機を突き付けられる機会としての「死」。
自分の「死」ではなく、「生きている」状態で出会う「死」は、「出会い」「出会った」ことと切り離せない。
自分の人生は、自分に向き合うことで決めていくものだけど、人との出会い、関係なくして成り立つものでもない。それは、「誰かのせい」にすることではない。人に影響され、自分と違う価値観に触れ、その上で「自分」は何を選ぶのか。

そんなことを考える程度には「夜明け」が近いのかもしれない。

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