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「死にたいって誰かに話したかった」

読んだ本、読んでいる(聴いている)本、次にスタンバイしている本。

「死にたいって誰かに話したかった」
「『死にたい』とつぶやく」
「だれも私たちに『失格の烙印』を押すことはできない」
「跳ね返りとトラウマ」
「科学で解き明かす禁断の世界」

何か悩みがおありですか?と聞かれそうなラインナップだ。
実際、上の2冊「死にたい」と検索すると、相談機関の電話番号が表示される。
心配をおかけして申し訳ないと、謎に恐縮してしまう。
病んでいると言えば、病んでいる。そうでないと言えば、そうでない。
「人」として「支援者」として、いろんな角度でグラグラゆらゆらしている。

まずはこちら「死にたいって誰かに話したかった」の感想。
ブクログの話題の本に上がってきていて、タイトルが気になり過ぎて読み始めた。
不器用で、うまく生きられない主人公が「生きづらさを克服しようの会」を発足する。
それぞれ不器用で、傷ついて、失敗して、痛い思いもしている。そんなメンバーが集まり、「自分のこと」「誰にも言えなかったこと」を話して癒されていく。

所謂「自助グループ」のようなものなのだけど、もっと緩やかで、だけど温かい共同体

「話せて良かった。聞けて良かった。」

「聞くこと」のプロとして、どうしても気負ってしまいがちだけど、「ただそれだけのこと」の威力を思い出す。
何度も何度も立ち返る原点。

そしてこの本を読んで、「聞くこと、話すこと」の力を思い出すとともに、「プロとして」の私はどこを目指すのだろうという迷路にもはまっている。
一生かけてるテーマと言えば聞こえが良いけれど、ずーっとぐるぐるしているようだ。
螺旋階段のようにレベルアップはしているはずだと信じよう。


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