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北まちごはん|かねき食堂のカツ丼とラーメン・喜茂別町|掌編

 北海道は、後志(しりべし)管内喜茂別(きもべつ)町。正月の松の内が開けた週末の昼前。喜茂別神社の参道にたたずむ女。カシミアのロングコートに紺のマフラー、ワインレッドのショートヘア。スマートフォンを取り出しては時刻を確認する。妹の気配はない。何度も起こそうとしたが、「もう5分だけ」を繰り返すばかり。しびれを切らし、先に実家を出てきてしまった。

 やがて、小走りの足音が近づく。グレーのニット帽、カナダグースのロング丈ダウン。えり元からのぞくタータンチェックのストールが、寒さの中に温かみを添えている。

「ミソノ姉ちゃん、ホントごめん」
「もう、凍えて死んでしまうところだったわ。というか死ぬ」
「そんな大げさな。この気温で死ぬなら、いま住んでる旭川の人はみんな凍死しちゃうよ。…だってさ、昨日の夜、こっちに着いたの遅かったし。高速、岩見沢の辺り、めっちゃ吹雪いてたし、中山(峠)は滑るしでホント疲れた…」
「まあ、分からないでもない。けど、もう昼よ」
「久々の実家の布団のぬくもりが恋しくて…へへ」
「まったく。お父さん、起きてた?」
「うん、新聞のテレビ欄見て、ろくな番組やってないってぼやいてた。一緒に初もうで行こうって誘ったけど、『寒いから、いい』って」
「スズカが誘っても駄目だったか。私も声かけたんだけどね」

 父の分までお参りを済ませた姉妹は、除雪された参道の階段を降りて、市街地に向かって歩き出す。国道230号を横切り、喜茂別川に架かる橋を渡る。いつもなら羊蹄山(ようていざん)の雄大な稜線が目に飛び込んでくるはずが、きょうは雪雲に覆われ、ぼんやりとしか見えない。国道を左に折れて、役場がある通りに入り、さらに右に折れると、目指す食堂の、少し色あせたのれんが見えてきた。

「距離がないようで、歩くと、そこそこあるように感じるよね」
「前は何とも思わなかったのに。まあ、寒いのもある」
「私たち、もう年かな。まだお嫁に行ってないのに」
「スズカが言わないでよ。私の方が三つも年上なんだから…」

 のれんをくぐると、どこか懐かしい香りがふわりと鼻先をくすぐる。昭和の面影を残す店内。創業は大正5年。四人がけのテーブルが二卓、小上がりにも同じく二卓。奥にはカウンター席も見える。ビール会社のロゴが入ったコップに注がれた水が、窓から差し込む1月の柔らかな光を受けてゆらゆらと輝いている。

「そういえばさ」
「ん?」
「お父さん、川上温泉に行ってるんだって」
「あら、いいじゃない」
「うん。温泉と、ちょっと遠いけど、倶知安(くっちゃん)のホーマックだけは行くって。なんか工具売り場にいろいろと面白いものがあって飽きないって」
「まだホーマックって言ってるの? DCMでしょ」
「まあまあ。石黒ホーマって言うよりはいいじゃない。とにかく、あそこ、広いし」
「札幌のうちの近所にあるDCMより広いわよ。ニセコに近いせいか、お客さん、外国の人多いらしいね」

 小上がりには同じく、正月を避けて帰省したとみられる家族連れと、常連らしい黒い毛糸の帽子をかぶった年配の男性。決して広くない店内は、静かな活気に包まれている。向かい合って座る姉妹の前に、注文した料理が運ばれてくる。妹の前には玉ねぎとしいたけ、たけのこの入った懐かしい味わいのカツ丼。姉の前には、縮れ麺の上にチャーシュー、ノリ、なるとがのった昔ながらのラーメン。

「私ね、札幌でラーメン屋巡りしてるの」
「いいなあ」
「旭川もラーメン屋さんいっぱいあるじゃない。でもね、個人的には、ここにはかなわないよ。新しいお店はさ、確かにおいしいし、SNSで話題になってて行列できてたりするんだけど」
「ここの味が一番ってこと?」
「そう。懐かしいっていうのもあるんだけど、単純においしい」
「分かる。このカツ丼もそう。しいたけの甘さとか。セイコーマートのホットシェフのもおいしいけど、なんというか、よりあったかいというか」
「ずっと変わんないよね」

 店の奥で黙々と働く姿に目を向ける。
「お母さん、一人で大丈夫かな。最近、Googleマップとかでかんたんに店を見つけられるから、観光客みたいな人も増えているみたいだし」
「そうね。でも、だからこそ続けてほしいじゃない」
「うん。この味、なかなかないもんね」

 窓の外では、雪が舞い始めている。人口二千人弱の小さな町。その片隅で、静かに時を刻む店。姉妹は、できるだけ長くこの味が続いてほしいと願いつつ、最後の一口まで味わった。

「そうだ。この後、お父さん誘って、温泉に連れてってあげようか」
「いいね。どうせすることないし。でも、あそこ、確か午後からの営業じゃなかった?まだやってないかも」
「そうだっけ。ちょっと調べてみる」
「いずれにしても、もうちょっと外に出てもらわないとね」
「で、お風呂の帰りに倶知安まで出て、ホーマックに行こうよ」
「だから、DCMだってば」

 会計を済ませ、のれんをくぐって外に出る。降り続く雪が、新たに刻まれる足跡を静かに待っている。

「お盆にまた来れるかな」
「当たり前じゃない」
「旭川からだと、距離あるから気が重いんだよな。かといってJRとバス使うのもなあ」
「毎度のことじゃない。文句言わないの」
「約束ね」
「うん。だって、ここにしかない味だもんね」

 雪は、静かに降り続けていた。

かねき食堂のセットメニュー

北国に実在するお店や食べ物を題材に、日常生活の一コマを切り取った小さな物語。




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