ちょうどいい、ということ。記憶を紡ぐ父の相棒
「前に買ってもらった電子辞書なんだけど、ボタンがぐらついていて、使えなくはないんだけど…」
実家に立ち寄ると、父が少しばかり歯切れの悪い口調で、話し始めた。こういう言い方をするときは、父なりのSOS。はっきりとは言わないのが、いかにも父らしい。
電子辞書のキーの一つが、確かにグラグラしている。これって、父の誕生日に贈ったカシオのエクスワードじゃないか。調べてみると、型番はXD-S2200。発売は2000年(平成12年)7月。標準価格は4万円だった。
「え、そんなにたつんだ…!」
思わず声が出てしまう。四半世紀もの間、父の相棒として活躍してくれていたのだ。
当時、大学生だったわたしは、新聞配達のバイトで月2万円ほどの収入。「せっかく贈るなら最新の上位機種を!」と意気込んで選んだ電子辞書だった。よくやった、自分。
技術職のわりにIT機器が苦手な父のために選んだ50音順配列のキーボード。これが当たりだった。
その後、母が倒れたのをきっかけに、父は日記を書き始める。漢字が思い出せない時、この電子辞書がそっと寄り添ってくれていたのだ。
父を支えた、たった一つのデジタル機器
液晶はモノクロで、収録辞書は広辞苑第五版とジーニアス英和・和英辞典のみ。でも父には、このシンプルさがちょうどよかったようだ。
文字を10倍に拡大するズーム機能は、年を重ねた父の目にも優しい。広辞苑限定ながら、さらに拡大するスーパーズーム機能なんてのもある。ドットのギザギザは懐かしい感じだけど…。漢字を調べるための独立したボタンがあるのも、使いやすさに貢献しているようだ。
70歳で退職した父は、会社から貸与されていた携帯電話を返却すると、「携帯はもういいかな」と新たに持つのを断った。以来、ラジオなどのオーディオ機器を除くと、この電子辞書が父にとって唯一無二のデジタル機器になった。
後継機種探し、始まる
その場では何も言わなかったけど、「ボタンが…」を聞いた瞬間から、わたしの中で後継機種探しが始まっていた。
電子辞書は今や液晶がカラーで、辞書も機能もてんこ盛り。でも、スマホやタブレットの普及で市場は縮小傾向。リサイクルショップのジャンクコーナーに無造作に積まれている姿を見ると、少し切なくなる。
条件は、使い勝手が変わらないこと。そして、父が長年愛用してきた50音順配列は絶対。探してみると、意外と少ないんだな、これが。
見つけた掘り出し物
そんな中で見つけたのが、同じカシオの電子辞書で、通販サイトの限定モデル。型番の数字が少し違うものがいくつもヒットする。「これって、マイナーチェンジってやつでは」
おそらく中身はほぼ同じだろうとあたりをつけ、少し前のモデルをフリマサイトで購入。新古品が、なんと5000円台!最新モデルが4万円することを考えると、お買い得だった。思わずガッツポーズ。
初心者向けの使い方を解説した冊子付きで、これなら父も安心。液晶保護のビニールもそのままだった。なんてツイてるんだ。
新しい相棒との出会い
実家に持っていくと、父は「わざわざよかったのに」と言いながら、どこかうれしそう。同じカシオ製でキー配列も同じだから、すぐに慣れてくれそうだ。
父は元の電子辞書も引き続き使うという。こうして、新旧電子辞書による二台体制で、これからも父を支えていく…いや、支えていってくれることだろう。
単なる機械じゃない。父の暮らしに寄り添い、時を超えて記憶を繋ぐ、大切な相棒なのだ。
父は相変わらず日記を書いている。新しい電子辞書は200コンテンツ搭載という豪華仕様。でも、父が使うのはやっぱり漢字検索がメイン。そんなところも、父らしい。
忘れかけていた価値観
この原稿を書きながら、ふと、思う。わたしたちの暮らしって、こういう物と人との関係でなり立っている部分が、実は多いんじゃないか、と。
新しいものが常に最適とは限らない。大切なのは、その人にとっての「ちょうどいい」を見つけること。四半世紀も前の電子辞書を大切に使い続けてきた父の姿が、忘れかけていた価値観を思い出させてくれた気がした。