展望記憶に助けられる
危ない、危ない。大学病院の予約はいつだったかな、と思い出したのが予約の2日前でした。「次はまた5月の内視鏡の予約をしないとね」と言われていたこともあって、てっきり2月かと思っていました。
普段は忘れないようにカレンダーに書いておくところ、予約が決まった10月にはまだ翌年のカレンダーを買っていなかったからですね。とはいえ、翌年の予定は付箋に書いて12月のカレンダーに貼っておくので、それを怠ったからです。
もう一つ、区の健康診断が2月までだったなと思って受診券を見ると、1月31日までと書いてありました。歯科健診が2月までだったので混同したようです。あわてて電話すると、会社員時代に受けていたクリニックで予約が取れました。
すぐ後に発行された区の広報を見ると、3月10日に延長されていました。これも毎年のように見かけます……だったら3月末までにして延長無しにすれば良いのに。
以前もイベントの申込み期日ギリギリに思い出したことがありました(→これぞ展望記憶?)。このように、ふと思い出すので仕事に影響したことがないのは幸いです。
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上記は展望記憶と呼ばれる「やらなくてはいけないこと(を覚えている)」ですが、回想記憶(思い出)がそれはもう弱いのです。
小学校3年生の国語で「詩を書いてみましょう」という授業が刺さり、書いた詩が母に気に入られたからか創作活動に励んだ時期もありましたが、いつしか記録になってきたのは、この回想記憶を補うためだと思うのですよね。
ブログ(noteではなく)をずっとやっているのも大そうなことは書いていなくて、私の中では「検索できる日記」の位置づけです。梅ジャムの砂糖は何%だったかな、などとレシピではなく自分の塩梅で加減したものは、未来の自分が検索するので記録しておくのです。
面白いことに、家にある宝石を見ると「何の石か」はわかるのですが「いつ、どこで買ったのか」は欠落していることが多いです。海外で買った石なら覚えているのに、国内のミネラルフェアや宝飾展で買ったものは忘れています ── 行きすぎ、もあるかもしれません。