みんな絶妙なバランスでぎりぎり普通を装っているだけ
月曜日、会社を休んでしまうのはきっとサボりで、言い訳をする気も起きない。みんな休みたいと思いつつきちんとベッドを出る。朝食を食べる。服を着替え、化粧をして、髪を整えて、仕上げに香水でもふりかけて。私だってそれが十分に叶う時間に目は覚めたけれど、今日誰かと会うことがとても考えられなかった。たとえ明日朝6時から夜22時まで職場に缶詰にされることになったって、今日は誰にも会いたくない。世界が滅亡したと思い込んで、薄暗くて、たまに天井に車の走るのの太陽光が反射した筋が踊るのを眺めていたい。音楽はもう数年も前から、映像作品も、漫画も、小説だって、もう最近は私の友ではなくなってしまった。冷蔵庫から響く重低音だけがまだこの世界が動いている証明。私がまだ生きている証明だ。
退職する彼女に、契約満了で職場を去る彼に、きちんと別れの品を買うくらい容易にできるのに、私に行くのが億劫なんて馬鹿みたいだ。心療内科の先生が言う「不安になることはありますか」に頷けたらいいのに。不安になんかならない。なにも感じない。薬を飲むと感じる高揚感と無とを繰り返して生きている。他人に怒ったことは最近ないけれど、笑顔の私を当たり前としていたやつらが「不機嫌そう」「話しかけにくくなった」と吹聴するから、私はまるで年次が上がって偉いと勘違いしたクソ野郎みたいだ。もう笑う元気も残っていないだけなのに。否、そんな態度が社会人として許されないこともわかっている。だから会えない日は行かない。そんな、極端な判断で会社を休んでしまうのだろうか。無責任と呼ばれたっていい。クソ野郎は嫌なくせに、自分でも差はわからないけれど。多分、あいつうざいよねは嫌だけど、あんな奴いたっけ?は良いって話。私のいないところで私が忘れられるのは仕方ないし、私の悪口を言っていようが私には届かない。関係ない。
なら仕事を辞めてしまえばいいけれど、生きていくにはお金がいる。結局、何の才能も、しいといえば努力の才能が微塵もない私は、誰でもこなせる当たり前の仕事を繰り返すことすら苦痛で、でも、必死にしがみつくしかない。こうして殴り書く文字をきちんと読み返して、整えて。それができれば、文章を発信するということのプライドをあともう1グラムでも持てれば、望みはあるかもしれないができない。最近、句読点の位置がわからない。酸素を吸うタイミングで昔は置いていたが、多分それは正しくない。でも、どこに置けば意味が正確に通じるかなんてわからないし、最近は呼吸が浅くて、酸素を吸うタイミングだと「、」ばかりになってしまう。
まともな文法すらわからないのが恥ずかしい。これまで何をやってきたのかと自分に問うて、答えられないのが情けない。誰も私に期待していないはずで、でも私だけが期待し続けてしまうのも、滑稽で虚しい。でも、結局ぼーっと天井を見てしまうのだから笑えない。
抗うつ剤を飲み始めたことを誰にも言えていない。普通誰にも言わないことなのか、わからない。でも、大学生の頃までの私だったら、きっとその日のうちに誰かに告げていた。いつからか、誰にも言えない秘密が増えた。こんなところで書いているのだ。誰にも、というのはおかしいかもしれないけれど。やはり携帯に文字を打ち込むこの動作は、誰かに伝えるアクションとしてはなかなか認知できない。
何度か言おうとはしたけれど、誰もみんな私が何に困っているかなんて興味がないだろうと思ったからやめた。これはツケだろうとも思った。ちゃらんぽらんに生きて、誰かを真剣に好きになることもできない出来損ないだから、誰も私に真剣にならない。実に簡単な話だとも思った。
かまってちゃんだった気がする。昔は随分と、私を見て!私の話をして!とアピールばかりしていた気がする。いつの間にか、そんなことをする勇気すらなくなった。無敵だったあの頃に戻りたい。不細工で、デブで、センスもなくて、頭も悪かったくせに、誰よりも自信に溢れていたあの頃に戻りたい。何も成し遂げなかったくせに、何か成し遂げたみたいに振る舞えたあの頃に戻りたい。記憶を美化しているだけかもしれないけれど、当時私は幸せだった。それなりに悩みもあったと思うけれど、安心しておおっぴらにできるくらい人を信じられていた。いつからできなくなったのか。変わってしまったのは多分私の方だと思う。
1週間くらい固形物を食べると吐きそうな毎日だったのに、同期会で無理やり焼き鳥や酒を食らったら、急にお腹がすいてきた。だから昨晩はパスタを食べた。夜、気持ちが悪くなった。感情がぼんやりしていて泣きはしなかったけれど、多分あのとき私は悲しかった。無性に悲しくて、死んだっていいってくらい気が動転していたはずだけれど、幸いきちんと薬を飲んでいたから、吐き出すほどでもない吐き気にただ耐えていた。
これが改善に向かっているということならば、欲しかった結末だろうか。私はこんなにもフィルタリングされた心を持って、これまでのように何かを愛せるだろうか、生み出せるだろうか。
怖い、と書けるほど怖くはない。ただ疑問だ。
今日は車がよく通る。
晴れた日、天井に映る魚のいない水族館が、最近は一番の友かもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?