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海洋生物と宇宙人の類似点、もしくは私と姉の関係性について

    こんにちは!
    5連投バッジ獲得に満足する間もなく、次のバッジは10連投だぞというnoteからのメッセージに、え、そんな、ゴムタイナーと心折れて十日あまり。自力でとれる範囲のバッジは全てとるつもりでしたが諦めました笑

    久しぶりの更新は小説の続きにするつもりが、なかなか進まないうちに、姉の来訪について纏めたこの記事を書き終わってしまいました。先に完成したものは仕方ない。間をあけすぎて三日坊主ならぬ五日坊主と思われてもいけません。生存報告のために投稿です。

1.海洋生物と宇宙は似てるのか

    先日、育休中で外出の機会がほとんどない私の気晴らしに付き合おうと、姉がはるばる会いに来てくれました。
    息子をベビーカーに入れ、自宅近くの駅に立つ私に手を振る、髪は長く、生地の薄いスカートに、ほっそりした高いヒールを履いた小柄な女性。姉です。見た感じ私と共通点が一切ないですが、彼女は私と共通の父母をもつらしいのです。

    息子が姉と対面するのは、産院を退院した日以来、約7ヶ月ぶり。対面といっても息子さん、寒空の下、ベビーカー用掛け布団に埋もれ、フードも被せられ、外に出ているのは顔面だけ。その狭い面積を、姉はしげしげと見つめます。

「へぇ……赤ちゃんになってきたね。」

    顔面しか視覚情報がなくても、前回と今回の違いは顕著なようで。
    もちろん前回だって息子は『赤ちゃん』でした。でも、私たちが一般的に抱く『赤ちゃん』のイメージって、ほら、いわゆる「はかせるオムツ♪○ー○ー○○♪」に出演してるアレじゃないですか。アレと比べると、前回の息子は、なんというか……

「前は、海洋生物感あったもんね。」

    息子のおでこをくりくり撫でながら答えます。タコっぽかろうがイカっぽかろうが愛しい我が子に違いはないのだけれど、言う相手を少し選ぶ必要があるこの感想も、姉になら安心して口にできるのです。

「うん、なんか宇宙っぽかった。」

    姉も似たような言葉のチョイスで同意してきます。

    いやまて、『海洋生物』と『宇宙』じゃモノとして違うだろうに、どうして今、同意と感じたのだろう、と30秒ほど考え、どちらも地球の重力に抵抗するつくりになっていないから、という結論に達しました。

    かつては置かれるとフニャフニャ下に張り付くだけだった息子も、今は首も腰も座り、ティディベアみたいに足を投げ出してニコニコすることができます。
    そう、りっぱに地球の陸地に降り立っている。相変わらずハイハイ出来ないけど……。

    そういえば、私が海もしくは宇宙から陸に降り立ったとき、姉は4歳。人の記憶は3歳からというし、私の進化の様を、姉は覚えているかもしれません。
    でも、それを尋ねることはしません。どうしてか。これについては理由は明白です。

    息子のお食い初めのとき、『あなたのお食い初め写真よ』と母に渡された古い写真。そのなかに、若い頃の両親や祖父母の姿を見つけるのは楽しいものですが、彼らの中央に据えられている、見知らぬ小さい生物。
    あれは、どうもいけない。とても私自身の自我が内蔵されているとは思えない、ぽかんとこちらを見返す餅みたいな顔を見るのは、なんとも居心地の悪い。物心つく前の自分自身というものは、できる限り触れたくないものなのです。

   と、ここまで書いて、自分のことは嫌がるくせに、僕のことはタコだの宇宙だのティディベアだの、随分好き勝手書いてくれるじゃぁないか、という息子の声が聞こえた気がします。
    すまん、息子よ。将来この文をあなたが読む可能性が万にひとつもないにしても、これでも書く内容はそこそこ気をつけてるんだ。私のこのささやかな趣味を、どうか許してやってくれ。

2.思いおこすのはシシガミの森

    荷物を私の自宅に置いてから、ベビーカーをガラガラおして近場の大型ショッピングモールへ。久しぶりに会ったので、お互い話は尽きません。夫や友人と、何回も訪れたことのある場だけれど、一緒にいるのが姉となると、会話の内容も違ってきます。

「あんたがこんな都心に住むなんてね。」

    と姉。
    この言葉の意味を理解していただくには、私たち姉妹が生まれ育った和歌山のとある田舎を説明する必要があるんですが、そうですね……

    高速道路で移動中。人里と人里の間、山間部を縫うように走っていると、防音壁がふと途切れ、見えたのは深い森。おお、シシガミ様があくびでもしながら歩いてきそうだ……て、あれ?    ポツポツと見えるあれは、……まさか、人の家か!?
「げぇ、こんなとこに住んでるなんて、霧か霞でも食ってんのか」って、そこーそんなとこ言わない、それ私の家だからー

    と、いうことです。幸いなことに私は野山をウロウロするのが好き、犬の散歩に行かせようものなら、犬連れで山登ったり沢下ったりで、なかなか帰ってこない子どもでした。それが今や排ガスだらけのコンクリートジャングルにいるのだから、人生って分からない。逆に虫が大嫌いで、虫だらけの茂みに自ら入っていく私を奇人を見る目で見送っていた姉は、故郷ほどではないけど、自然の多い静かな環境に旦那さんと居を構えています。

    ……というバックグラウンドがあっての、姉の発言なのでした。こんな感じで、ふとした瞬間に、姉とだけ共有する思い出が話題として出る。父の女子力の高さや母の料理の独創性、そして……

「クリスマスにトリュフ作ったことなかった?」

    飾られているクリスマスオーナメントを見て、ふと思い出してしまいました。

「トリュフ?    あんたが?」

「いや、お姉ちゃんが」

    完成までいったことを『作る』と言うのなら、正確には作ってはいないのだけど。

3.失敗したのは私のせいです

    姉が高校生、私が中学生くらいだったと思います。姉は、当時こじらせていた私にはない社交性を誇り、友達も多く彼氏もいる充実ぶり。クリスマスに彼氏に贈り物をするという青春イベントは決してフィクションではないという事実を、私は姉から学んだのです。

    クリスマスにトリュフなんて、じゃあバレンタインには何を贈るつもりなんだと今では思いますが、とにかく姉はトリュフチョコレートを作ると宣言しました。親がいる前では気恥ずかしかったのか、深夜、家の明かりが消えた頃、足音をしのばせて子供部屋からキッチンに移動する姉、そして面白がってついていく私。

    ただチョコを溶かしクリームと混ぜてまた固めるだけ。しかし、クリスマスという年に一度のイベント感に親に内緒で深夜に起きるというシチュエーションもプラスされて、私たちは静かな興奮に包まれていました。ワクワクと囁きふざけあいながらチョコを湯煎し、混ぜ、冷やす姉と、回りをウロチョロする私。キチンと手順をふめば、失敗のしようがない工程です。
    雲行きが怪しくなったのは深夜クッキングの終盤。姉が冷めたトリュフの種を丸め、銀紙に整列させるのを見守る私は、どうしても気になったのです。

「お姉ちゃん、この1個だけ小さいよ」

    キチンとグラムを量り分けていた姉ですが、器具に付着した分、最後の1個が小さくなったのでしょう。それくらいいいよと軽くあしらい、冷蔵庫で固めようとする姉でしたが、マッテマッテと私はしつこく食い下がります。

「もう一度柔らかくして丸めなおそうよ」

    仕方ないなぁと姉。しかしもう一度湯煎するのはめんどうだし……と思案する私たち姉妹の視線の先には、電子レンジがあったのでした。

4.そして海洋生物と宇宙に戻る

「あのクリスマス、結局何あげたんだっけ」

    しばらく腕を組んで考える姉でしたが、思い出せないようでした。私も結局姉カップルの初クリスマスがどうなったかは記憶になく。ただ、鮮明に覚えているのは、焦げ臭い臭いに振り向いて発見した、電子レンジの覗き窓から見える炎の揺らめきと、慌ててレンジを開けた途端煙でホワイトアウトした我が家のキッチン。私の余計な口出しで、プレゼントが皿にこびりついた炭と化したにもかかわらず、姉は私をあまり怒らなかったように思います。

「……そういえば、もうすぐクリスマスか。この子に何か買ってあげるよ」

    そう言ってベビー用品売場の商品を吟味し始める姉の後ろ姿を見て、

    ああ、感慨深い。

    私は、ベビーカーに飽きてグズリだした息子を抱っこ紐に入れながら嘆息しました。

    チョコをアルミごとレンチンすることの無謀さすら知らなかった私たちと、今現在の、この隔絶ぶりよ。
    私たちは大人になってしまったのだなぁ。

    このタイムスパンの共有こそ、私と姉の関係の最大の要素なのかもしれない。

    以前、『○等分に分けても同じカテゴリにいる』という、自分と同種の人間を表現する方法のお話をしましたが、あの記事で示した例はおろか、共有する好みを、私と姉はほとんど持たないのです。姉が『ディック・ブルーナのすべて』を大切そうに愛でる傍らで私は『江戸川乱歩傑作選』を嬉々としてめくり、私がみせたがる『フォックスキャッチャー』のDVDを、ジャケットをちらりと見た姉がやんわりかわす一方で、『鬼滅の刃』の映画を躊躇なく観た姉のトークに、世間で流行っているものと距離をとりたがる私はついていけません。

    ここまで共有が少ない姉。にもかかわらず、休日を一緒に過ごして楽しめるのは、一緒にいた歴史の長さのなせるわざなのか。ふとしたときの語彙が似てるのは、遺伝情報のなせるわざなのか。
    そんなことを私がつらつら考えるなか、姉が候補としてあげたのは、おきあがりこぼし。その柄の可愛らしさなかに、私自身には欠けているセンスを感じながら、我が家にそのセンスを取り入れるべく、親指をグッとつきだし……。こうして、姉の初・甥っ子へのクリスマスプレゼントは決定したのでした。

    ついでに書くと、note的に表現すると、「スキ!」の共有が多い、友人や夫。全く別環境で育った彼らと共有できるメカニズムが不思議な気もしますが、そこはほら、海洋生物と宇宙人。育った環境は海と宇宙なのに、フニャフニャとした骨格は一緒じゃないですか。そういうことなのかも。


    

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