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自宅で家族を看取るということ

2024年10月に母を自宅で看取った。享年93歳。
本人の希望もあり、延命措置はしなかった。最後に入院した病院で亡くなるものだと思っていたが小康状態になり、延命措置をしない場合、入院継続はできないということで退院。全く食事をしなくなって三週間ほどで苦しむことなく静かに亡くなった。

家族にとって、自宅で看取ることは想定外だった。準備も何もできておらず、ケアマネージャー、訪問看護師さんやデイサービスの方々に助けてもらいながらの日々だった。
noteもまったく書くことができず間があいてしまったが、自宅での看取りについて、わたしの経験を書いておきたい。

【参考】厚生労働省の資料を見ると、日本では毎年百万人以上が死亡し、2013年の調査による死亡場所は、病院が約76%、自宅約13%、老人ホームなどの施設が約5%だそうだ。


入院、そして終末期へ

人生の最終段階における医療およびケアについては、医師等の医療従事者から適切な情報の提供と説明 がなされ、それに基づいて患者が医療従事者と話し合いを行い、患者本人による決定を基本として進めることが最も重要な原則。
厚生労働省「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」平成29年12月 2頁

https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10801000-Iseikyoku-Soumuka/0000189050.pdf

8月に入り、母は食欲が落ち、なかなか食べてくれない日が増えた。思えば嚥下えんげ障害はずいぶん前から続いていた。
8月中旬、さらに問いかけに反応が無くなることが増え、週一でお願いしている訪問看護師さんから、意識レベルが低下している、すぐにかかりつけの病院に行った方がいいとアドバイスされた。最初は熱中症ではと軽く考えていたが、看護師さんが救急車を呼び、私は付き添いで初めて救急車に乗った。
病院の血液検査の結果、CRP(炎症の値)がかなり高く、持病の糖尿病からくる足の指の炎症があり、それからのものか、ほかに原因があるのかそこではわからないというので、以前から足の指を治療してもらっていた市民病院に転院、92歳と高齢だったこともあってその日のうちに入院することになった。

入院中は看護師さんが根気よく食事を食べさせてくれ、容体は落ち着いた。眠っている時間がほとんどだが、呼びかけに返事をするようになった。医師の話では、高齢なので積極的な治療は体力的に難しいこと、そしてこのまま治療をしない場合、食事が摂れなくなったら老衰のようなかたちで亡くなります、とのことだった。

以降終末期医療を考えるフェーズに入った。
いよいよか。なんとなく来年も生きているような気がしていたけれど。
生前母から延命措置はしないという意志を確認していたこともあって、最後の入院となった市民病院で、万が一危ない状態になっても延命措置(延命治療)はしない旨、書面にサインした。

病院は治療をするところ


”病院は治療をするところ”なので、延命措置をしない母は、入院約一か月で退院することになった。病院からは終末期対応を行っているさまざまな施設を紹介された。これらの施設では医療行為は行わず、本人ができるだけ苦しまないように最期を迎えられるようにサポートするところだ。
退院、そして自宅での看取りを前提に、週に三日程度の介護施設利用と訪問看護師さん、訪問医の先生に定期的に来てもらうという生活が始まった。

自宅に戻ったものの、相変わらず嚥下が困難で薬や食事を拒否する母。無理やり口を開けさせるのが忍びなく、家族や看護師さんと相談し無理に薬や食事を口に流し込むのをやめた。無理やり口に入れても結局口からだしてしまうためだ。ああ、こうやって死に近づいていくのだなと感じた。

眠っている時間がほとんどだったが、
「おかあさん、私が誰かわかる?」と話しかけると
「わかるよ、娘だもの」と言ったりするので、ひょっとして12月の93歳の誕生日まで生きてくれるかなと思ったけれど、持たなかった。
10月下旬他界。

食事を拒否するようになって、ゼリー状のものや、口を浸す水程度で約3週間生きた。母は生前太っていたので、看護師さんの話ではこの脂肪を使って生きている状態ということだった。亡くなったときも痩せ細った身体ではなく、苦しまず最期を迎えることができた。

亡くなる前日には施設で入浴させてもらい、気持ちよく旅立てたと思う。
母には存命の97歳の姉がいるのだが、亡くなる前日に見舞いに来てくれ、会話はできなかったが最後に会うこともできた。
「○○(母の名)、なぜ先に死んじゃったんだ」
とフライングで泣きだす伯母。
「おばちゃん、○○はまだ死んでないよ」
「そうかい?」という会話も良い思い出。

亡くなったのは夜8時過ぎだった。
呼吸が次第に小さくなってついに息をしなくなった。悲しいというより、ほっとした、というのが正直な気持ちだった。

亡くなったとき医師の立ち合いがない場合


すぐに看護師さんに連絡を取った。20分ほどで看護師さんと訪問医が来てくれ、その場で死亡宣告、タブレットで死亡診断書を作成交付、という流れだった。
実は、家族が誰も看ていない間(とくに夜間)に亡くなったらどうなるのだろうと心配していた。つまり何時にどのような状態で亡くなったかわからないわけで、まれに不審死?疑いで警察が介入したりすることもあると聞いたことがあったからだ。しかしそんなこともなく死亡宣告はあっさり終わった。

※これは後から知ったことだが、法的なことについては、厚生労働省から下記の通知が出ている。自宅で亡くなった場合で、医師の立ち合いがなくかつ24時間経過していても死亡診断書交付が可能なケース。母はこれに該当した。

診療中の患者が診察後24時間以内に当該診療に関連した傷病で死亡した場合には、改めて診察をすることなく死亡診断書を交付し得ることを認めるものである。このため、医師が死亡の際に立ち会っておらず、生前の診察後24時間を経過した場合であっても、死亡後改めて診察を行い、生前に診療していた傷病に関連する死亡であると判定できる場合には、死亡診断書を交付することができる。「医師法第20条ただし書の適切な運用について(通知)」

https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00tb8648&dataType=1&pageNo=1

延命措置をするかしないか


母は70代で脳梗塞を発症し、死にかけた。以来要介護の車椅子生活だったが、週三回デイサービスに通い、平均寿命を超えて十分長生きできた。想定外だったとはいえ自宅で看取ることができ、家族として心残りはない。
しかし家庭によって事情はさまざまで、終末期において一日でも長く生きてほしいと延命措置を選ぶこともあろう。それはそれでまた家族の間で対立や葛藤があることは想像に難くない。また一度人工呼吸器や胃ろうなどの延命措置が始まると、簡単には外せないようだ。

いずれにせよ、元気なうちにリビングウィル(生前の意思)を書いておく事が必要だと思った。ただ本人の意思確認ができない場合もある。そのときは手順を踏んで、医療機関と家族が相談して決定されるようだ。

自身の死が近い場合に受けたい医療や受けたくない医療についての家族と話し合いについて、「全く話し合ったことがない」 が一般国民の56%。  自分で判断できなくなった場合に備えて、どのような治療を受けたいか、あるいは受けたくないかなどを記載した書面を あらかじめ作成しておくことについて70%が賛成していたが、実際に作成しているのは3%。
厚生労働省「終末期医療に関する意識調査等検討会報告書の概要(平成26年3月)」14頁

https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12404000-Hokenkyoku-Iryouka/0000156003.pdf

自宅で看取りを終えて

葬式、納骨、四十九日も終わり、こうやって書いてみると、スムーズに看取りができたように感じるが、実際は24時間いつその瞬間が訪れるかわからず、極端な話、明日かもしれないし、何か月も後かもしれないという先が見えない状況だった。家族は予定も入れられず、精神的、身体的、また医療保険の有無にもよるが、金銭的にも負担は大きいものがあった。

場所によるが、緩和ケア(苦痛を緩和する)、終末期対応可のデイサービスなどの施設はかなり費用がかかる。当然利用期間が長期になるほど、負担は大きくなる。使える保険(健康保険か介護保険か)も微妙に違うようだ。
また母はふだん訪問診療をお願いしていなかったので、訪問医と利用契約を結ぶことが必要だった。

わからないことだらけの中、生前通っていたデイサービスの方々、ケアマネージャー、訪問看護師さんにはほんとうにお世話になったし、サポートに感謝している。

訪問看護師さんからは、「私達を頼ってください。なにかあれば24時間いつでも携帯に電話してください」という言葉があって心強かった。自宅で看取る場合いつ亡くなるかわからないので、24時間対応の訪問介護サービスを行っているところを選ぶことが大事だと思う。

少しでも後悔のない看取りのために、公的支援も十分活用したい。
各市町村には地域包括支援センターがある。高齢者の介護、福祉、医療など様々な面から総合的に支えるための相談窓口だ。

健康保険料は高いし、増大する医療費などいろいろ問題もあるが、日本の医療制度はありがたいと改めて実感した。

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