「あのこは貴族」をもう少しだけ

※以下ネタバレを含みます。

この映画の配役について語りたいです…。
普段、そこまで気にしないようにしているのですが、今作はダイレクトに物語に影響していると感じいてもたってもいられず。俳優の立ち姿が脚本の意味を立ち上がらせる、というのをしっかりと目の当たりにした興奮が冷めやらないのです。本来映画体験というものはいつだってそうであるはずなのに、わたしはそこの感受性が鈍いのかもしれない。

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まず、幸一郎役の高良健吾さん。
高良さんがやらなければ、幸一郎はもっとずっと嫌な奴であったでしょう。同じ台詞を言ったとして、他の俳優さんだったら家の考えに染まり切った、華子や美紀にとってわかりあいようの無いトンデモくんに仕上がってしまっていたはず。(もしくは情緒のない中身空っぽ風、とか…。)あんな台詞を話しながらその後ろの人間味出せるのは凄まじい。編集や演出があればこそ、それだけではなし得ない、絶対。
美紀に対しても、自己満足と快楽のために暴力的に扱うというより、生来の分断教育も相まって、しんどい生活のなかで彼女を拠り所にしてしまったと解釈ができました。逆に背負ったその生活をしんどいと感じられる感性があるのだなぁ、という安心感すら生まれる不思議。
ラスト華子と再会するシーンに発する「よかったらまた後で」も彼でなかったら調子の良い忌々しい台詞にしか聞こえなかったでしょう。あれは高良さんが2時間積み重ねた幸一郎でしか、正確に発せられない台詞でした。解放された華子を見て確実に心を動かされている、ただその感情がなんなのか本人すらわかっていない、そんな風に受け取れました。

高良健吾さんで印象深い作品は「横道世之介」。

予告編を観た時、紹介されている主人公横道世之介と、画面に出ている高良さんの端正な顔立ちのアンバランスさに首を傾げました。こんなにシュッとした人が、おおらかで図々しい空気の読めないお人好し?!雰囲気合わないなぁ…髪型でどうにかしようとしてない?と思って観始めたら、ぜんぜん。ハマり役というのも足りないくらい、彼の声の出し方や(世之介は演出強めでしたが)身のこなしから出る誠実さ・非凡なる真っ直ぐさは、こちらの心をあたたかくしてくれました。あぁ、また観たい。


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次に水原希子さん。彼女が演じたのは貧困によって水商売に「堕ちた」うえ、男性によってそこから「足を洗」い、果てには幸一郎に良いようにされるというキャラクターですが、最後まで彼女の凛とした立ち姿は気品を失いません。それどころかどんどん気高く美しい様相になっていく。彼女のラストシーン、東京の夜景をバックに黒いドレスに身を包んだ姿は本当の品とはなにか?を我々に問いかけます。そもそも上に書いた水商売に「堕ちた」とか、男性のコネで社会的地位を得ることへの蔑みって、男性的感覚なのかもしれない。ただ単純に、女性が複数の男性と仲良くするの嫌がる人多いですもんね。美紀のように自分の人生の舵を自力でとろうとする人間にとって、その手段に下品なことなどあるのでしょうか。

自分に振り返ってみても、そういう職業を選択した友達に、それでがっかりしたり仲が悪くなることはなかったなぁと。正直そういうことが受け入れられる・受け入れられない、は個人差のある嗜好の類の問題であって、お金のやりくりが昔から得意で金融系に勤めている、洋服が好きだからアパレルに勤めている、と同線上の感覚にすぎないような気がします。
ただ社会的に風当たりが非常に強いので周りが見えている子はたいてい短期間でやめ、「足を洗う」なんていう言葉でそれを説明する。し、わたしも相談されたらその子の未来を慮ってとめます。でも理由はただそれだけ。
(こんなことに気付かされる、水原希子の存在よ!)


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そして主演の門脇麦さん。うますぎて、見てられなかった。頭のなかが完全にお花畑故の、あのコミュニケーション能力。もどかしく、でも嫌いになれないあの感じ。はらはらしました、抜群でした…。見えてないっていう演技は非常に難しいでしょうし、なにより物語が進むにつれてどんどん見えて来て変わっていく様子の自然さがおそろしい。

門脇麦さんといえば、わたしのなかでは「チワワちゃん」。

主演のチワワちゃんの特別さを際立たせるという配役の意図を感じたけど、門脇麦さんのオーラの方が個人的にはグッときていました。チワワちゃんたちとは別の土俵にいて、地に足の付いている人しか発せられないオーラ。でもなぜこうも「流される」役が多いのでしょうか。


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日曜日の夜、語らい欲たるや。

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