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読んだ文章が頭の中で映像化する

 私は、小説でもエッセイでもコラムでも、文章を読むとその情景が頭の中に映像として流れる。
 誤字脱字があったり、文章の流れが悪かったりすると、その映像が途切れてしまう。ときには挿絵すら邪魔になることもある。
 私の本業は校正者だが、仕事にこの読み方が役立っていることもある。(文字校正のときにはない方がよいが)

 中学高校の6年間は学校の図書館で、さまざまなジャンルの本を読みその世界にひたっていた。今思えばなんと贅沢な時間だったことか。あの頃、たくさんの本を読めたのは、読むことが速かったからだと思う。

 私がこの読書方法を使っていると知ったのは、父親に指摘されたからだった。小学校の高学年か、中学に入ったばかりのころ、私の本を読むスピードが速いことに気づいた父親に、言われた。

「読んだ文章が頭の中で映像になっているだろう。だから読むのが速い。お父さんはそれができない。文章を読んで、考えて、理解して、次に進まないといけないから、時間がかかる」

 言われたときには意味がわからなかったが、文章が表していることを「考える」段階を私は飛ばすことができているらしい。
 父親に言わせると、これができる人とできない人がいて、訓練でできるようになるものでもないらしい。本当なのかどうかはわからないが。

 私を理系に進ませようと躍起になっていた父が、最後に折れた要因は私がこの「技術」を持っていたことかもしれない。

 曲がりなりにも文章に携わる仕事について、この「技術」も役に立っている。父親が折れてくれるまで紆余曲折あったが、あきらめなくてよかった。

 最近は電子書籍が多くなってしまったが、はっきりとした映像が流れていくのはやはり紙の書籍のほうだと思う。
 まだ読み始めていない本の山にそろそろ手をつけて、ひさびさにどっぷりとその世界に沈んでいきたい。

 秋は短くなってしまったけれど。

これまでに、頭の中に浮かんでいたさまざまなテーマを文字に起こしていきます。お心にとまることがあれば幸いです。