ASD/ADHD傾向の治療を受け、人生が明らかに変わってきている話
※2022年9月3日追記
2022年9月2日、わたしは精神科医から正式にASD、ADHDの診断を受けました。以下は精神科医からの診断を受ける以前に書いたものです。(追記おわり)
現在、私は脳に物理的な刺激を与える「TMS治療」を行っています。
これまで8回の治療を受け、経過はとても良好。初回から思考回路がスッキリした実感があり、計3回目の治療を終えたあと「さぁ、これまでやり散らかしたことをどう整理(処理)していこう」と感じたほど、自らの判断、価値基準、優先順位に変化がみられました。
その後、治療後に体調がすぐれなくなるなどのアクシデントはありますが、概ね良好で、回数を重ねるほど自分の思考は兼ねてから自分が理想とする方向に導かれていると体感しています。
ただ、この治療は効果が高いと筆者は感じていますが、その分、リスクもあるのではないか、とも体感しています。そのあたりも加味して、詳しく治療の課程や個人の感想を書いていきたいと思います。この記録はTMS治療をしながら、都度変わっていく自分への備忘録でもあります。回数を分けて、整理しながら書いていきますので、その旨ご理解の上、お付き合いください。
私は幼いころから「なんか、自分は他の人とは違う」という感覚を心に秘めて育ちました。
「違う」という言い方をすると選民意識と受け取る方もいらっしゃるかもしれませんが、それは大きな誤解で、どうやら多くの人が楽しんでいるようなことを楽しめないというか、なんか自分は多数とは違うようだ(しかし、どう違うのかは理解も把握もできていない)という感覚です。
たとえば、青く点灯する信号を見ながら「この信号は私には青く見えているが、隣の人には黄色く見えているかもしれないし、さらに違う人には赤に見えているかもしれない」
と考えてしまうような人間でした。
学生時代も、多くの人が楽しそうにしていることに全く興味が持てなかったし、仮に同調するふりをしてやってみても楽しさは感じられず、むしろ同調するふりができたとしたならそれに達成感を覚えるような感覚のほうが大きかったです。
仕方ないので、自分の中では、どうも自分の感性というか、脳は多数派ではないらしい。でも、自分の個性を隠すことでやり過ごせるならそのほうが生きやすい。というのを、自らの処世術として思春期を過ごすことになります。
成人後、自分の脳が何かの実験に使えないのかな、と考えることもありました。この脳を何か調べる術はないのか、と結構真剣に悩んだものです。
ヒットした映画やドラマ、小説などに共感を得ないわけではないのです。でも、何かが違う。みんなが喜んでいる方向性とは何かがズレている、というか多数派ではない。その乖離を理由を知りたい。だから、自分の脳が人とどう違うのかが知りたかったのです。
時が経ち、ひょんなことから2022年8月、発達障害の脳の検査を筆記テスト形式ではなく、脳波の測定でも把握できることを知り、即座に検査に向かいました。
いわゆる"発達障害"の検査です。私がこれまで発達障害の検査を受けてこなかった理由は2つあり、ひとつは"障害"と判定されることが自分のキャリアにマイナスになるのを恐れたこと。もうひとつは筆記テストでは、自分は発達障害と判定されないために裏をかくような回答をするであろうという自覚があったからです。
でも、もう待てない。もう年齢も50を過ぎていることから仮にキャリアに傷がついても受け止められるだろうし、脳波であれば結論をごまかすことはできないであろう、と。
脳の病院につき、そのまま検査を受けたところ…、私はASD傾向とADHD傾向がみられると診断されました。
明らかに右脳のほうが発達しているが、睡眠障害があるだろうし、脳の回路が混戦したように余計なことを考えすぎるのではないか、と医師に言われました。
この脳が治って"普通"になれるなら、それに越したことはない。たしかにASDやADHDでいながら天才的な能力を発揮する人もいるが、少なくとも私の脳の"地頭"はそこまで突出してはいない。しかも、年齢的には衰えをいかに抑えるかが課題の域に入っており、よくも悪くもまだ未知の部分が多いであろうこの技術に対しての実験台になるのは悪くない選択肢だろう、と感じたのです。