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刹那か恒久か

こんにちは。

デジタル製品の普及により、情報を恒久的に保存することができるようになりました。僕もパソコンや携帯のバックアップを作成し、必要な時はデータを取り出しています。
また、昨今の流行りとも言えるNFT(Non-Fungible Token) も、ブロックチェーン技術を用い、巨大な仮想空間に各々の作品を収め、所有したり、商売をしたりと楽しまれています。

大変便利な世の中です。

恒久の象徴が不死。不死と一部の宗教とは密接に繋がり、やはり人々の憧憬であります。死を恐怖し、恒久を求める。それは、数式よりも簡単で当然の帰着かもしれません。

一方、桜は刹那に散ります。
私の近所の桜も見事に散りさり、変わって新緑が芽吹いてきました。
桜を眺めて立ち止まる人が多々いらっしゃいました。人々は、長い冬を超えて一気に咲き誇る秀麗な桜に、又潔い散り際の秀麗な桜に美徳を感じ、足を止めて見惚れていらっしゃったと考えます。もしも、桜が年から年中咲いていたら、その美しさは半減していたことでしょう。恐らくは。

桜は日本の象徴の木となっています。連綿と受け継がれた日本人に、桜の潔さに美徳を抱く遺伝子が組み込まれているとするなら、日本人は恒久よりも刹那を愛する民族だと仮定できます。
今は、幕末から堰を切ったように流れ込んだ西洋の価値に揺れていますが、新しい価値と言いますか、原点回帰と言いますか、孤立言語を使う民族として新しい何かが創出されるような気がしてならないのです。

それは産業であり、文化であり、思想であり。何が創出されるのか、この辺りは次の長編小説で触れて行きながら、私も模索してゆきたいと思います。

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夏目漱石先生の本をここ最近、色々と再読しています。稚拙ながら日本語を使い、先生の文学を堪能できる民族でよかったなあ、と感じる今日この頃です。


花子出版   倉岡 




文豪方の残された名著を汚さぬよう精進します。