⑬ ルッキズムの海に溺れながら
「痩せたら人生が変わるよ」
とは、今まで100回ぐらい、言われた言葉だ。
関係してる男からも、占い師からも、ほとんど関わりのないよく知らない人からも、言われた。
その度に、「いや、わかっているよ」と、「簡単に痩せられないから、太ったままなんだよ」と思っていた。お前らに何がわかる、とも。
親に言わせると、小学校高学年のとき、学校に行きたがらない時期があり、その頃から私は太りだしてきたらしい。20代、30代は、精神的な問題を抱えて過食癖がついていたのだと思う。
食べ癖はずっとあったけれど、だからといって今回みたいに倒れることもなく、生活に支障があまりなかったので、放置していた。
ずっとそんな感じで生きてきたが、40代からは、身体が過食についていけなくなって、様々な不調が噴出し、50代で耐えきれなくなって倒れた。もちろん、そんな自分に対しては、ずっと自己嫌悪を抱いていた。だらしない、ダメな人間だと、劣等感を肥大させていた。
周りも自分のことを、そう思っているのだろうと考えると、他人の目にも脅かされていた。
太っていると、着たい服が着られないなどのデメリット以上に、主に年上の人間に見下される機会が多い。
馬鹿にされる。
なめられる。
からかわれるし、いじめられる。
こいつは雑な扱いをしていいと思われる。
初対面や、会ったこともないのにSNSで、体形のことを言ってくるのは、女性が多い。そしてだいたい「悪気がない」。
男性は、もっと明確な悪意を持って、「デブ」と言ってくる。
どちらかというと、女性の悪意のない「(太ってて)可愛い」という言葉のほうがダメージが強い。きっとこの人は、私のことを可愛いとか思っていても、内心では「こうはなりたくない」と考えているのだというのが、わかってしまう。
男より女のほうが「痩せた女」が好きなのは、「痩せ=綺麗」な社会で、太ってはいけないという強迫観念もあるのかもしれない。
太っていると、勝手に「いい人」と思い込まれることも、よくある。そして、向こうの意図せぬ態度をとると、「そんな人だと思ってなかった」と驚かれもする。いや、お前が勝手にこっちを「いい人」だと思い込んで、舐めてただけだろと、言いたくなる。
昔から私はよく、「おもしろい人」と言われた。結局、外見が褒められないから、そうやって、内面を褒める(ふり)をしていて取り繕うとしているのだというぐらい、承知している。
女の作家が複数いるイベントのことを、あとでブログでふれてる人がいたので読むと、たいてい他の女性作家の容姿は褒められ、私だけ「おもしろい人」扱いだ。小説家講座に講師で参加したあと、受講者のブログを見て、私だけ体形の言及しかされてなかったこともある。読書サイトにまで、「この作家の画像を検索しないほうがいい笑。がっかりするから」なんて書かれていた。
そんなことは、しょっちゅうだった。
ずっと私は「デブでブスでババアのくせに、セックスを描く気持ち悪い女」扱いをされ続けてきた。
他人に見下され続けると、心も歪む。
ブスは性格がよくて美人は性格が悪いなんて、大嘘だ。「美しくスリム」で生きてきた人には、想像もつかないぐらい、心がどす黒くもなる。
もちろん、美しい人たちには、違う悩みがあるんだろうなというのは、今はわかるけれど、それでもやっぱり、世の中では細い人が美しいとされて、得なのは間違いない。
あと、失礼だなといつも思うのは、「マニアには受けるよ」と言ってくる人だ。マニアってなんだよ、マニアって。つまりはデブ専、太った人好きなジャンルでは需要があるということだ。
それをニヤニヤこちらに伝えてくる人は、「よかれと思って」言っているように見せかけて、やはり見下しているだけなのだ。
これだけルッキズム、ルッキズムと言われる社会でも、外見至上主義は、間違いなく存在する。
でも、私だとて、そうだ。
自分より太っている人や老けている人を見ると、安心してしまう。
スリムでも、骨ばっていてシワシワの人を見ると、「あんなふうになりたくない」と考えてしまう。自分の嫌いな人が、久々に会うと、すごく老けていたりすると、安心する。
人の外見を見下しているのは、私自身だ。だからずっと、「醜い」自分が許せなかった。
そして私だって、美しい人が好きだ。
ストリップを見に行くのは、「女性の美しさ」を愛でるためだ。
ルッキズムには、散々苦しめられてきたけれど、私自身がそこに強く囚われている。
ただ、昔のように「モテ」のルッキズムからは、少しは逃れられてるような気がする。
異性に全くモテない、恋愛や性愛の対象にされないことは、長くコンプレックスである、大きな傷でもあったけれど、結婚して50歳を過ぎると、「モテ」てもめんどくさいだけだと考えるようにはなった。
自分が興味のない異性に、過剰に好かれるのは、厄介でしかない。ときに自分の容姿への好意を、「気持ち悪い」とすら思ってしまう。
身を着飾って美しくなろうとすることを、「男に媚びる」という人たちもいるけれど、そうじゃない。
結局のところ、自分で自分を愛するためなのだ。
鏡に映る自分を、美しいと思って、愛せるように。
たとえ男に好かれるためだとて、その寄せられる好意は、自分が愛される存在であるということの確認に過ぎなかったりもする。
ルッキズムからは、逃れられないと、年とをって、なおさら強く思う。
きっと死ぬまでルッキズムの海に流されて、ときには溺れていくのだろう。