白湯作家の闘病記
今日も一日白湯がうまい。
どうもおはこんばんにちは。自称作家の花黒子です。他称でも、まぁ、そこそこ作家です。
えー、この記事ではどうして自分が白湯にハマったのか、白湯によるダイエット、白湯の効能・・・・・・
なんてものは一切書かない!
そもそもハマっていない!白湯しか飲めねーんだよ!!
どういうことかというと、自分は扁桃炎の結構ヤバい奴に罹っているからだ。ヤバいとか書くと作家のくせに語彙力が……とかいう奴がいるがガン無視でいい。
実際にヤバいのだ。どのくらいヤバいのかというと毎日、朝昼晩に6錠の錠剤を飲み、毎日耳鼻科に行って点滴を打ってもらう生活をしているのだから、こんなのはヤバいでいいのだ。クソみたいなルールに縛られてるアホどもとは決別しよう。
もうちょっと掘り下げると、自分の唾を飲み込むと喉に激痛が走るレベル。みんな大好きスポーツドリンクは、喉が焼け死ぬかと思った。たとえ製薬会社が作っているものだろうと、今の自分にとって塩分は凶器だ。他には冷たい飲み物も喉が惨殺死体になったように切り刻まれる感覚がある。炭酸の清涼飲料水は試しもしていない。ただの時限爆弾だろう。お茶ならいけるのか、と思ったが唾より痛い。
それに比べて、白湯の優しいこと。
なんか昔、どこかのモデルが「自分の身体にやさしくあるべき。だから刺激物はいれない」みたいな達観したことを言って白湯を飲んでいたが、お前って奴はこんなに優しいのかよと身に染みた。
それとは別に、自分は普通に刺激物を積極的に摂取していきたい派だ。
ヴィーガンとか、ファスティングとか「ちょっと何言ってるかわかんないっす」としか。出来ることなら今すぐにでも焼肉弁当をドカ食いして、コーラで流し込みたい。チーズ牛丼を頼み「これがチー牛だ!」と一軒一軒ふれて回りたいくらいだ。
それが今となっては、数日前までは浮かれて高い雑炊とか食べていたが、それも食えない。「喉に車輪がチャクラムの電車通った!?」ってくらい痛いからだ。
基本的に食べ物を摂取すると、のたうち回っている。
バナナは一口目の小さい錠剤ほどを食べ、焼けつくような甘さを喉に通過させる。勢いづいて二口目も食べたところで、喉に粘着性の高い溶岩が張り付いたような状態になり、急いで水で流し込む。水も痛いから、床で転げまわった。
対のど飴。
のど飴というくらいだから、喉にやさしいに決まっている。自分もそう思っていた時期がありました。ただ飴なのだ。水あめが入っている。甘味、砂糖類は喉が焼け死ぬ。もちろん、舐めていれば慣れるんじゃないかと思ったが、全然。うちの先祖たちが飴を捨てた呪いが全部俺に来たんじゃないかってくらい痛い。
塩分も糖分もダメなので、酸っぱいのなら大丈夫かと、ビタミンがたっぷり入ったゼリーを食べた。たぶん、うちは祖先がレモン農家を殺している家系だと思った。
こうして自分はカロリーのあるものを摂取できなくなってしまった。だからと言って一側面ばかり見ていても、人生は好転していかない。
そうだ! これを機にダイエットになるんじゃないか!
全然、ならなかった。基本、白湯を飲んでいる普通のおっさんなのだ。激しい運動は熱が上がってしまう。熱が上がると、そもそもとれる水分が白湯だけなので、脱水症状になりかねない。実際に、それでファストドクターに来てもらって、水分を点滴してもらったくらいだ。
安静にして白湯を飲んでいるだけで、カロリーは使わない。太らないが、基礎代謝分だけ痩せていくだけ。別に劇的な変化はないのだ。いや劇的か。続けばな。どうせ、治ったらたくさん食べて元通りさ。デブなめんなよ。
筋肉には申し訳ないことをしているとは思っている。「鏡を見て減りゆくお前を見るのは肉親を失うよりも悲しい」とまでは行かないが、無意味に腕立て伏せをしていた日々を思い出すと……、別にどうでもいい思い出だった。人生って、びっくりするくらいどうでもいいことを覚えているよね。
ずっと寝てるから、腹式呼吸で使う横隔膜が鍛えられた気はする。だからってドリブルをする機会もないし、合唱コンクールに出場する予定もないので、使い道は「火事だ!」の時だけ。そんな叫んだら余計に腹減るな。
いやぁ~腹減った~
でも全然食べられない。冒頭で「今日も一日白湯がうまい」とかほざいていたが、そうでも言わないとやりきれないのだ。
人類に託されたのは地球かもしれないが、自分に託されたのは白湯だけなのだ。
明日も、ネットで耳鼻科に予約して点滴を打ってもらわないといけない。
生きていればいいことあるさ、という思いは心のどこかにあるだろう。どこにしまったのかもうすっかり忘れてしまったが、無理に探す必要もないし、ふっと言葉が沸いてきた時に、ひとつひとつエピソードをおもいだしていけばいいだけだ。
今のところ自分は白湯しか飲めない作家だが、励ましてもらいたくてここまで書いてきたわけではない。世間が、今朝なにを食べたっけ、明日なにをたべようっかなぁ~と思っているのか、自分にはできないことをしている人たちがうらやましくって仕方がないのだ。
幸せの在り方はそれぞれ違うが、食べ物に喜びを感じられる人は健全だと思う。絶賛不健全中の自分にはまぶしいくらいに。