超短編小説(病院のアンテナ端子)

 バスの車内は冷房が効いていた。空いている席に座り額の汗が乾いてきた頃、僕は20年前の夏休みに体験した不思議な出来事を思い出していた。

 僕はお母さんに連れられて病院にむかっていた。家からバスに乗って30分くらいのところにある大きな病院だ。僕はこの病院で生まれた。弟もこの病院でもうすぐ生まれる。
 おじいちゃんは僕が小さい時にこの病院で死んだそうだ。だから僕にはおじいちゃんとの思い出がなかった。

 バスの車内には僕とお母さんの他に、男の子とおじいちゃんが2人掛けの席に座って話をしていた。夏休みに会いにきた孫と出かけるのがよほど嬉しいのだろう、おじいちゃんはとても優しい笑顔で孫の話を聞いていた。

 2人の様子を見ていた僕は前にお母さんから聞いた話を思い出した。
 「晴也が生まれた頃にはもうおじいちゃんは元気なかったのよ。
 まだ晴也が小さい時にね、お母さん晴也を抱いてテレビに出たことがあるのよ。
 子育て中のママへのインタビューだったの。少しだけしか出てなかったけれど、それでもお母さんうれしくて、おじいちゃんにも見て欲しくて、病院のテレビで見せたの。だけど、もうその頃には意識がはっきりしていないみたいで、ぼーっとした目で画面を見つめてるだけだったわ。」

 お母さんがお医者さんにお腹の中の弟を見てもらっている間、僕は待合室で待っていた。
 待合室には5人掛けの椅子が縦に4つ並んでいた。一番後ろには若い女の人とそのお母さんが付き添いで座っていて、その前の席にはお腹の大きな妊婦さんと旦那さんが座っていた。
 僕は一番前の席に座ってお母さんを待った。
 絵本を家に忘れた僕は何もすることがなくあたりを見回した。すると目の前の壁に穴が二つ空いていることに気づいた。それは年末の大掃除の時にお父さんから教えてもらったテレビ用のアンテナ端子のようだった。しかし、テレビは見当たらなかった。
 しばらくすると誰かがすり足でゆっくりとこちらに近づいてくる気配を感じた。僕は音の方を振り向くと目の前をヨボヨボのおじいさんが小さなテレビと折り畳んだ小さなテレビ台を抱えながらゆっくりと通っていった。
 そして、僕の隣の席にテレビと小さな台を置き、その隣の席に静かに座った。老いた体には重労働だったはずだが、おじいさんは一切息を切らしていなかった。
 しばらく休憩するとおじいさんは立ち上がった。そしてゆっくりと目の前の壁に近づき、持ってきたケーブルをアンテナ端子に繋いだ。続けてテレビとテレビ台の設置を手際よく終えると、おじいさんは僕の隣に静かに座ってテレビをつけた。

 僕は慌てて周りの大人を見たが、診察待ちの人たちも、近くを通った看護師さんもおじいさんには気づいていないようだった。
 僕はおじいさんと同罪だと思われないようにテレビ画面を見ないようにした。テレビからは2人の女性の声が聞こえてきた。
 はじめは聞き流そうと思っていたが、そのうちの1人がお母さんの声にとても似ていることに気づいた。その人は何かの質問に答えているようだった。会話の中には赤子の声も聞こえていた。言葉ではなく音をただ発しているだけのその声にも僕は聞き覚えがあった。

 気になった僕は我慢できなくなり、少しだけテレビ画面に目をむけた。するとそこには今より少し若いお母さんとまだ髪の毛の薄い赤子の僕が写っていた。
 驚いた僕は自然とおじいさんの方を見ていた。おじいさんも僕を見ていた。僕とおじいさんの視線が交わった。
 「晴也か、よう大きなったなあ。」
 おじいちゃんは優しい笑顔を僕にむけてただ一言、そう呟いた。

 診察室の扉が開く音がして、お母さんがお医者さんにお礼を言いながら出てきた。
 お母さんは僕を見つけると、
「待っててくれてありがとう。赤ちゃん元気だって。さあ帰ろうね。」と言って僕の手を握った。お母さんはおじいちゃんに気づいていないようだった。
 僕はおじいちゃんの方を見たが、おじいちゃんはすでにテレビの方に視線を戻していた。僕は椅子から立ち上がるとお母さんを見上げた。
 「おじいちゃんは僕のこと知ってたよ。」
 心の声が繋いだ手からお母さんに伝わるといいなと思いながら、僕は歩き出した。何度も振り向いておじいちゃんの後ろ姿を見ながら。

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