人は複雑。だからこそ希望を捨てない。
最近いろいろな人と話していて、何度か聞いた言葉がある。
「この人のことは『無理だ』って思ったんだよね。」
「もう私はあの人のこと、一切信頼してないから。」
たったひとつの出来事や言葉をきっかけに、
その人との繋がりを絶ったり、信頼を一切しなくなる人がいる。
確かに傷ついたんだと思う。
それ以上に、怖かったのかもしれない。
私も信頼していた人から傷つくことを言われて、
泣きながら寝た夜もある。
辛かった。なんで?とも思った。
怒った、というか、悲しかった。
久しぶりに信じていたものを裏切られた、そんな感覚だった。
少し前の自分だったら、
私もその人のことを「無理な人」とラベルを貼って、
その人ともう話さない、できれば顔を合わせないようにする。
そんなことをしていたかもしれない。
でも、
今はそんなラベルをいきなり貼ることはしないと思う。
だって、私にそんな一言を放ったその人は、
その人をつくりあげる「たくさんのその人」の一部だけだったのかもしれない。
そんな風に思うから。
その人のことを信頼していたり、
素敵だな、ってどこかで思っていた自分がいたことも事実で、
そう思わせてくれたその人の一面も、
『その人』の一部だから。
だから、私は傷つくことがあっても、
悲しいな、と思うことがあっても、
極力その人のことをシャットアウトすることはしない。
これまでその人が私に見せてこなかった一面が見えたんだ。
きっと傷つくことを言ったその人の他にも、
もっといろんな「その人」がいるのだと思うから。
だから、
その人に対する希望を捨てない。
人ってそれくらい深くて、複雑だから。
そんな風に思うようにしている。
そんなの綺麗事だ、って思う人もいるかもしれない。
確かに毎回、どんな人にも、このような心持ちをもって接することは私にだってできない。
もともと繊細な性格だし、
よく周りの人の些細な言動に気付いて、
なんかそれが心に引っかかって、
振り回されることも多い。
そんな私が、
希望を捨てない、そんな風に思っていても、
やっぱりだめだ、
そう思う人ももちろんいる。
でも、
それは、その人のたくさんの「その人」を知ってからだ。
きっと…!と、
希望をもって信じて、接して、
それでもやっぱり傷ついたり、毎回エネルギーをもっていかれたり、
悲しくなって、
自分が壊れてしまう、自分でいられなくなってしまう、
そんな手前まで行った時だけだ。
たったひとつの出来事で、希望を捨ててしまうのとは違う。
どちらがいい、悪いではない。
でも、
人って深いんだなぁ、複雑なんだよなぁ、
そんな風に思って人と接していると、
なんとなく自分が楽になった気がする。
ひとつのことで、簡単に振り回されることが少なくなったから。
あくまで自分を大切に、
自分が壊れてしまっては元も子もないから。
でも、そんな自分が自分でいられる範囲内で、
こんなことを意識して、
人と接するのっていいんじゃないかな。
そんな風に私は思う。