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もくもく生活(2日目)
あまり眠れなかった。
「はやく寝てくれないと困る」と言いながら
看護師さんが首の後ろにチクっと注射して
何度も何かを測りに来るのを寝たふりをして
やり過ごす、という夢を見ていた。
あまりにも浅い眠りで夢が現実かわからないような心地でいた気がする。
ようやく眠れたかと思ったら、
後輪のパンクした自転車をかなりの距離走らせて向かったのは学校。使い物にならない鉄の塊をなんとか持ち上げ坂を越え小川を越え
たどり着いた頃、空から核爆弾が降ってくる
という突拍子もない、縁起でもない夢を見た。
他にもいろんな細かいシーンがあった。夢を
こんなにも鮮明に、生々しく覚えているままの
目覚めは久しぶりだ。
さっき眠ったばかりなのに、
もう部屋の灯りがついて看護師さんが
ご気分いかがですか?と声をかけてくれた。
空から大量に降ってくる黒い塊、そこかしこで
冗談じゃないほどの爆発が起こり逃げ惑い
重い自転車を無理やり走らせた後だ、
ご気分いいわけないのだが、眩しいながら目を開け蚊の鳴くような声で「大丈夫です」と言った。
今日は絶食なので待っても朝食は出てこない。
昨夜こっそり買ったパンを食べるわけにもいかないので、(爆弾が降ってくるなんて冗談じゃないよ)と、こんな早朝(6時)に全く冗談にもならないことを薄いカーテンの向こうに透けた青空を眺めながら考えていた。帰ったらパンク修理に出そう。これは事実として1ヶ月前から私の自転車はパンクしているのでずっと気がかりではいた。
自作のアクセサリーをはじめ、おまもりのようなそれらをいつもジャラジャラと身につけることをアイデンティティとしている私を見透かしたように、先生たちは口を揃えて「当日装飾品はつけないでね」と念を押した。
自分でも無意識に指輪やイヤリングをつけてしまいそうで怖いのではじめから家にすべて置いてきたのだが、やっぱりあれはおまもりだったのだと恋しくなった。
持ってきてはいけないとは言われていないし、
もう随分大人なので意識すれば何も問題はなかったのにと、不安な気持ちと共に小さく後悔した。
本を捲る音さえうるさいと感じられた夜の病院
とは打って変わって朝から騒がしく、
突如酷いノイズ音と共に流れたなにかの暗号のような放送を聞いた看護師さんが血相を変えて
どこかへ消えてしまった。
血圧測定中の私に、「終わったらそれ自分で外して!!ええっと、、!!!」と言い残したので
その残像が可笑しく、ふふと笑ってしまったが
まさに今、たぶん誰かが命の危機に晒されているのだと思う。暗号を聞き取ることはできても理解することは難しい(あたりまえだ)。
だけどその緊迫した空気感と一気に電子音が騒がしく鳴り響く廊下、看護師さんの青ざめた表情を鑑みると貧しい知識と経験の中でも想像することくらいはできる。どうか無事でいてほしい。
外で救急車のサイレンが聞こえては鳴り止む。
実家が大きな病院の横にあるだけあってこれには慣れているが、責め立てられるような音が四六時中鳴り響く病院で働くことは私には到底できない。
看護師さんたちは本当にすごい、
患者さんそれぞれに喋り方やトーン、言葉遣いを変えながら瞬時に状況状態を把握し対応をする、まさに匠の技。人が人を繋いでいる、
かねてよりの病院嫌いを反省した。
どこか不調があるときは躊躇わず頼っていいのだと、その道のプロを信じて身を委ねていいのだとあまりにも今更な知見を得た。それでも
自分で対処できることは今まで通りにするだろうけど。
ー「得意な人にお金を払いあって私たちは日々生活を送っていて、それは言葉にする必要もないくらい当たり前のことだ。」
(著・藤崎彩織『ねじねじ録』より)
余談だが、担当の薬剤師さんのオダさんというのがこれまた "ど"がつくほどタイプの塩顔お兄さんで、私が今もし12歳くらいの少女なら持参のカラーペンをふんだんに使い、丹精込めてラブレターをしたためただろう。
26歳少女の私は、可愛げもなく後日なにかの
作品をつくるときの参考にしようと
忘れないように覚えている限りの姿を
絵と文字で手帳に書き留め閉じた。
殺風景の病院に差し込む唯一の光のような存在、かなり励みになりありがたかった。ご尊顔。
まもなく手術の時間を迎える私は
着圧きつめの白のハイソックスを履きながら
高校生の頃以来だななんて考えていた。
肺塞栓予防と言われ受け取ったその靴下と、
青い病衣に着替えてマウスピースをつけて
準備を終えた。
看護師さんと談笑しながら、手術室までは
自分の足で向かった。
直前に測った血圧は150を超え、
緊張がそのまま数値に表れ少し恥ずかしかった。
手術室に入るとき顔文字のようなファイトポーズを見せると、ひと笑い起きた。
ーガンバル!! (๑•̀ - •́)و✧
この精一杯の強がりはのちにパタパタと音を立て崩れ落ちることになるのだが。
ドクターXで観たような景色の中を
これまた自分の足で歩いた。
生年月日と名前、「手術をするのは喉です。」
これが最後の発話。
豊臣秀吉顔負けの温められた手術台に横になる。
先生たちは優しく声をかけてくれるのに
その間の手際の良さが ちぐはぐで怖かった。
点滴の針がにゅっと刺さったところでぽろぽろと泣いてしまったので、痛かったねごめんねと
みんな慌ててあやして涙を拭いてくれたけど、
いろんな不安を与えまいと隙なく進む作業や
せっかく用意してくれた台の温もりでさえも
怖くて涙が止まらなかった。
ーやっぱり怖かった。
3回深呼吸してね〜と言われ、
いち、にの、、、
ここからの記憶がない。
軽く過呼吸を起こしたけれど酸素マスクと
全身麻酔で眠っている間にすっかり終わっていた。
手術室で目を開けると
「終わったよ〜!」と笑う先生の姿を捉えると
(ありがとうございます、、、!)と
思わず言ってしまったのだが
全く声が出なくなっていて驚いた。
先生たちは慌てて声出しちゃダメ!と
言ってきたけどこれは出したくても出ない
パターンなんだなと冷静に把握した。
意識が戻り、帰りはベッドごと運ばれたわけだが、朦朧とする中で自分の名前と生年月日、
家族の名前と誕生日、相方の名前とユニット名、それから私のアーティスト名を唱え
よし、大丈夫、生きてる、ただいま。
そう心の中で呟いてまた眠りについた。
目が覚めると、ひどい喉の閉鎖感と鈍い痛み、
右腕にときときと点滴が流れる感覚
身体はまだ思うように動かないのだが
脳だけはフル回転して忙しいので
もう一度眠るまでもなく私は今
この文章を書いている。
術後3時間といった頃だろうか。
ピンク色の西日が差し込む病室に、
酸素マスクのスースーという音が響く。
その後、カーテン越しの夕陽を見送って
またぐっすり眠っていた。
ご気分いかがですか〜!動いて大丈夫ですよ♪と間違いなくついていた音符にならって
やったね♪と言いたいところだったが
身体にはまだ力が入らない(痛みはかなり引いた)。
繋がれたいろんな線が外され、ようやく起き上がることができた。
普段、おはよ♪のテンションで起きるような
かなり寝起きのいい私がこんなにも動けないのは珍しく、なんでだ!と言いたかったがやっぱり声は出なかった(出すなと言われている)。
夕食の時間です、という放送が聞こえたが
私の絶食は明日の朝まで続く。
やっと今、水を飲むことが許されたくらいだ。
1日を通して食事のかわりに流れる点滴は
私のことを想ってくれているのに
味も食感もなく栄養だけをよこすそいつを
少し恨んだ(ごめんねありがとう)。
この後はまた本を読んで過ごそうと思うのだが
右手に点滴が刺さっているもんだから、
右腕自体に力が入らない。困った。
昨日1冊読み終えて、今朝もう1冊読み終えた。
このままいけば無事に明日退院だろうが、
なんせ時間がありすぎる。
今のうちに知識や経験を蓄えておくのだ。
本を読むことは実際経験できないような世界も見せてくれるところがいい。
なかでもエッセイは特に、いい。
・藤崎彩織さんの「ねじねじ録」
・平野紗季子さんの「生まれた時からアルデンテ」
今はまだ歌えない私だけど
ステージに立ち続けること、
音楽や作品をつくること、
女の子として生きていくことの希望を抱き、
絶賛 絶食中の私だけど
胃袋がいくつあっても足りないほどの
ありとあらゆる美味しいものに出会い
たらふく食べた気分でいる。
いろんな景色を見せてくれる本が好きだ。
いつかこのnoteも誰かの励みになればと
僭越ながらそんなふうに思っている。