もくもく生活(4日目)
歌ったり喋ったりする私が出てくる夢、その私を客観視して喋っちゃだめ!と注意する夢。
を見ている私が「どっちもだめ!」と飛び上がって目が覚めた(夢でよかった、喋ってない)。
やっと、首から上のシャワーも解禁!
早く湯船にも浸かりたいところだが、
それはもう少しお預け。
汗をかくような季節じゃなくてよかったが
ホカホカ温まりたい季節ではあるので
どちらとも言えないな。
幸い食事制限は辛いものなどの刺激物だけ、
行動制限も喋りさえしなければどこへだって。
喉の痛みももうすっかり無くなったので、
食べ物は朝からパンとスープ、
昼はから揚げとサラダと好きなものを食べられた。
いい天気だし、どこかへ出かけるのもいいけれど土曜日で人が多いことを考えると もしも何かあったときに、、と不安で部屋からは一歩も出られなかった。
夕方ごろ、昼寝がてらにうとうとしながら布団に入ってそのまま翌朝を迎えた。
何かしたことといえば、来年のスケジュール帳のセットアップ。
未来に向かっていて素晴らしい。
今年の初めに書いた目標ややりたいことを
そのままお引越し。2024年は大きな壁に阻まれ
立ち止まることが多かった。
7月中旬以降のライブは、奇跡とも言えるほど
やる気とアドレナリンのみで乗り切った9月の
地元イオンでのフリーライブ1日2ステージのみ。
出ないはずの声があの時ばかりは出ていた。
今思い返しても不思議で仕方がない。
(やる気と根気、力任せだが「うたは心」を何度も心の中で唱えながら歌ったステージで、最後に
思い切り歌わせてもらえて本当によかった)
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もくもく生活3日目の退院の際、
手術室まで付き添ってくれた方、憧れのオダさんには最後にへこへこと挨拶はできたけど、いちばん最初に担当してくれた看護師さんは帰り際には会えなかった。ありがとうございました!が声に出せなくても会ってお辞儀くらいはしたかった。
(担当の○○です〜!が1日の中でコロコロ変わるし次の日にはまた違う方になるから正直私の存在はちっぽけかもしれないけど、この不安な3日間でお世話になった方々にお礼のひとつくらい言わせておくれよ、という気持ち)
「お世話になりました!ありがとうございました!」という言葉とお辞儀をした女の子のイラストを描いたカードを朝から用意していたので、
退院の日にお世話になった初めましての看護師さんに渡した。
(誰に、というつもりもなかったが、宛名を書いてなくてよかったと思った。)
あのカードがゴミ箱行きになるかどうかは
さておき、今まで描いてきたいろんな絵は
今も誰かの手元でぬくぬくと大切にしてもらっているのだろうか。
音源やアクセサリーはどうだろう。
今までの私なら 捨てるくらいなら返してほしいと本気で思っていたけれど、返された方が悲しいか。
私の作った作品が手元をはなれ、誰かの元へ旅立って私より大事に思ってくれる人がいたとしても、その作品の価値は 今生きている私が
どれだけ素敵かで決まるのではないかと思う。
死んだ後に価値をつけてもらえるのも
生きている間どれだけ必死になれたかだと思う。
音源やアクセサリー、絵、言葉。
血の繋がった私の作品たちは今日も誰かの元で愛してもらっているだろうか。
捨てられないように、じゃなくて
私が私としてこれからも必死に生きて
貪欲に素敵を追い求め、やりたいことを諦めないで、そしてできるだけご機嫌にいられたら
私の手元から旅立った愛しい作品たちも、
輝き続けるだろうと思う。
ー「あっという間に暗くなるし、黙々生活で素敵な作品生み出して💓ワクワク☺️」(母より)
もくもく生活にワクワクしているこの母のおかげで、立ち止まっては向き合って少しずつだけど前に進めているのだと改めて思う。
実家を離れた私がなんとか輝きたいと思い続けられるのは、母がこうして信じてくれているからで母が素敵な人だからだと改めて深く思います。