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もくもく生活(6日目)


11月にしては暖かすぎるほどの昼下がり
久しぶりに出かけてみることにした。
気分転換のランチの内容を考える片隅で、
別に感じなくてもいいはずのプレッシャーが
一体何なのかを考えていた。

まず、"いつ誰に話しかけられても大丈夫"が
"いつ誰が困っていても助けられる"と
イコールになっていることに気がついた。
善意100%の人間!というわけではなく
それが自らの強さになっていたということ。
それから、「ありがとう」や「ごちそうさま」を
伝えることが自分のご機嫌にもつながっているということ。
それはつまりどういうこと、?
空腹のあまり、思考はここでプツンと途切れた。

13時前に家を出て、ようやく迎えた
ランチタイムは15時を過ぎた頃、
空腹を宥めながらお店選びに2時間も苦戦していた。喋らなくてもなるべくスムーズに注文会計ができるお店かつ今日をハレの日にする食事、、、、。
以前からよく行くお気に入りのお店や
SNSでチェックしていた気になるお店
いろいろ回って前まで行ってメニューも眺めてみたけれど、注文することを思うと気遅れしてしまいまた今度にしようと諦めるばかり。
だんだん食欲も無くなって何が食べたかったのかさっぱりわからなくなってしまった。

空腹の中歩き疲れて、ランチごと諦めかけたその時 ふと目に止まったのは学生の頃によく行った
ラーメン屋さんの赤提灯。
食券式でカウンター席、あそこなら間違いない!と一目散に店の前の券売機へ。
慣れた手つきで「味玉つけ麺(並)」のボタンを押し店内へ。麺の硬さや量、スープの濃さなどを伝えるシステムがないことにホッとしながらようやく席に着いた。
一番奥の席で誰にも干渉せずされず、ちらほら入れ替わるお客さんを視界の端に捉えながら麺が茹で上がるのをじっと待った。

2年くらい前のある時から大好きなラーメンやつけ麺とは距離を置いていたので、この店に来たのもいつぶりか分からないほど。
着丼までのソワソワ感も久しぶり。
距離を置いた理由は(かなり長くなるので)さておき、運ばれてきた つるモチペカペカ麺と
濃厚な煮干し豚骨スープに「(久しぶりね)」とご挨拶。「いただきます」が口に出せないもどかしさはいつまで経っても拭えない、その分しっかり両手を合わせて「(いただきます)」と心の中で唱えた。

冷たい麺を温かいスープに絡めてツルッと一口。「(おいし〜!これこれ〜!でも本当は熱盛がすきなんだよな〜〜)」と、何年か前と全く同じ感想が浮かんで懐かしくて、喉にまとわりつく脂っぽさも光の速さで冷めていくスープも全部愛おしくなってハッピーエンド。
無事、遅めのハレの日ランチとなりました。

喋れるようになったら、元気よく「熱盛で!」と
カスタムできる方のお店にも行こう。
そしてここへも、「いただきます」と「ごちそうさま」を喉元にしっかり用意してまた来よう。
自分との未来の約束もできて一石二鳥でした!
かつて日常的に食べていたラーメンやつけ麺が
年に数回ともなると、背徳感に特別感がプラスされてコスパ良く記念日気分が味わえます。
全然オススメしない私のライフハックです。
(ラーメン食べない主義に至るまでの悲しい物語はまたいつか)

そのあとは本屋を3軒はしごし
本屋併設のカフェで2冊読み切り、
手元に置いておきたい本4冊をお迎えし帰宅。

ランチまで2時間かかった理由が"注文が困難"だったにも関わらず、カフェでは呑気に
すっかり忘れてアイスコーヒーひとつ頼むのにかなり苦戦し店員さんを困らせてしまった。
まぬけすぎる、反省。
対話が必要な場面が日常の中でこんなにもあるなんて、分かっているようで分かっていなかった。
「アイスコーヒーをひとつ」
「ポイントカードあります」
「支払い楽天ペイで」
「ありがとうございます」
これが言えないだけで本当にあたふたした。
なんとかなる、それはそう。
でも、不甲斐なくて少し落ち込んだ。

本のお会計はセルフレジでも良かったけれど、
貯めていたポイントで支払いたかったために
意を決して有人レジへ。(ポイ活ガチ勢)
「ポイント全部使ってください」を身振り手振り、「袋、カバーいらないです」も、なんとか。
閉店ギリギリだったため、いつもなら
「ギリギリにすみません、、」と言っていただろうが、今回ばかりは眉毛をハの字にしとにかく深めにへこへこと頭を下げて店を出た。
(閉店ギリにも関わらず、全額ポイント支払いの
迷惑客で申し訳なかった)

ありきたりだけれど、この5ヶ月間
失って気づく当たり前をこれでもかというほど痛感している。
"いつ誰が困っていても助けられる"と思うことは、もしものことがあったとき「助けてほしい」と誰かに求めてもいいことにしてはどこかで安心していたのかもしれない。
それから、「ありがとう」や「ごちそうさま」を
伝えることが自分のご機嫌につながるのは、
言われたときのうれしい気持ちを知っているからだと思う。

もくもく生活が無事終わっても、この日々のすべて、今日のラーメンの味やうまく伝えられないことのもどかしさ、筆談におけるタイムラグやその他いろんな気づきを忘れずに生きていこうと思う。
そうすればもっとあたたかく、より深くまで
じんわりと響くうたが歌えるような気がする。
温かいお湯に肩まで浸かったときのイメージ。
いろんな経験をして、感じて、そうして時間をかけて今は湯船にお湯を張っているところだ。
軽やかなメロディーが鳴るのをワクワクしながら待っている。
お湯が溢れてしまっても、私が浸かった瞬間に
ざっばーんと今の身の丈に合うような選りすぐりのお湯だけが残るだろうし、溢れたものが排水溝へ流れても、いつか辿りつくその海に今度は泳いで辿り着くから待っていてねとしばしの別れ。大丈夫、きっと大丈夫。
失うものは何もないです。そう信じている。

明日以降はお風呂に浸かるのもやっと解禁!
ぷかぷかと、海を夢見て湯船に入ろう。
もくもく生活のゴールが見えてきた、
どうやって声出すんだっけ?
あともう少し、忘れておこう。

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