シェイム・オン・ミー。無知の懺悔
私は愚かで浅はかな人間です。口を開けばろくなことは言わないし、難しくて複雑なことはわからないし、人の役に立つこともできないうえ余計なことをやったりしてしまいます。
3歳児が無茶苦茶なことをしたり支離滅裂なことを言うのは笑えるけど、身体的成熟と共に、外見的老いと共に、愚行はかわいくもおもしろくもなくなる。自分で自分にいい加減にしてほしい、と思うことが増える。ちっとも微笑ましくない。
未熟なんだから、ものごとを早急に判断しない、先入観で決めつけない、ニュートラルに見るように努める、と気を付けているつもりです。
しかし、結局、鳩くらいのサイズしかない私の脳では、電線に止まって下を見ずにウンコを落として歩行者に迷惑かけちゃうし、道路の食べ物を貪るのに必死で車にひかれちゃうような人間なのだ。
ここ最近の懺悔。
近所に数軒あるカフェの中で、パラソルが立てられ日当たりが良く広いテラス席が魅力的に見えるカフェ・レストランがあります。
その店は石造りの古い建物をいかした内装で、インテリアはシンプル、ポッシュすぎず、カジュアルだけど少し上品な感じ。観光客目当てというのがあからさまな店ではなく、ちゃんと近所の人に利用されているようで、新聞が何部か置いてあり、朝にはおじいさんおばあさんの姿も見ます。
人それぞれ好みがあると思いますが、私はツーリスティックすぎる割高な店よりも地元の人たちが日常的に通う店に親しみを感じます。
その店は珍しく日曜も開いていたので、私は何度か利用したことがありました。スペインの私が住む島の人々は一生懸命に働きすぎたりせず、日曜日はしっかり真面目に閉めます。日曜に、あいているカフェを探すのは一苦労です。
味は悪くないし、激安なわけじゃないけど、決して高くもない。
ところが、何度利用してもどうしてもあまり良い印象を持つことができずにいた。
なぜなら、奇妙なことに、お店の人は誰一人としてニコリとしないのです。見事に誰も。
目を合わせて軽いスマイル、なし。「こんにちは、注文は何になさいますか?」も、なし。
それは店の方針として、できるだけ無愛想に、できるだけ親切に対応しないことが、朝礼か何かで共有され、全員に浸透しているかのように。
注文を聞きに来るのは遅く、お会計を頼んでもなかなか精算させてくれず、少しずつ小さな不信感といらだちが蓄積していきました。
それでも、地元の人たちがファミリーで訪れたり常時利用している様子を見ると、評判は悪くないようで、不思議に思っていました。
ある時、知人に用事があり連絡を取ると「職場まで来てほしい」と言われ、その場所を聞くと、前述のレストランの隣接する建物でした。
その場所は知的障害者の人たちが作業をしているワークショップのような場所です。
知人は職場であるそのワークショップに私を招き入れました。
絵を描いたりしている20人くらいいる利用者さんに「私のともだちだよー」と声をかけると、たくさんの人が「こんにちはー」とやってきて、私はキャンプファイヤーの真ん中にいるようにすっぽりと囲まれた。
何人かが柔らかい手を差し出し、握手をしながら挨拶をしてくれた。
中には自分が書いた大聖堂や富士山の絵を見せにきてくれたり、スペイン語がおぼつかない私に「僕英語できるよ」と助け舟を出しにきてくれる人もいました。
じっと無表情で静かにしている青年もいましたが、多くの利用者さんたちはおしゃべりでフレンドリーでした。
彼らの絵は力強い線で描かれていて、カラフルに彩られ、目を見張るほどに素敵で、私は感心しながら見ていました。
知人が「そこのレストランも同じ系列でね、ここと同じような人たちが働いてるんだよ」と教えてくれた時、突然気温が冷凍庫になりました。
私は一気にサーっと血の気が引き、急激に口がカラカラになった。
普段は頭の回転が遅くていろんなことに気づけない私だけど、この時は、自分がいかに傲慢で愚かだったか即座に気付いた。
ウエイターが誰一人としてニコリとしない、無愛想で対応が遅いと不満に思っていた自分の不寛容さ、想像力の欠如、背景を知らずにジャッジしてしまっていたことに大いに震えた。
シェイム・オン・ミー。恥を知れ、私。
ワークショップの場所にいた人たちの中には瞬時に「利用者さんだろうな」とわかる人もいたけど、一見しただけでは「シャイなのかな」という感じで、事情は全く見えない人もいた。
皆それぞれ状態の軽さ重さは違う。
ウエイターの人たちはそのような特徴がある人たちだとは私にはわからなかった。見た目では。
だから「ウエイターとはこうあるべきだ」という自分の物差しで勝手に人を査定していた。そしていらだつ自分を正しいと思っていた。
恥ずかしい。
「謙虚になれ」と紙に書いておでこにホッチキスでとめたい。もうタトゥーで永遠に入れたほうがいいかもしれない。
ネットでこの店のレビューを見てみると
「多様性を持つ人々の生活の質を向上させるという社会的目標を達成しており、障害のある人を雇用している」
「サービスは遅いですが、障害を持っている人もいることを心に留めておく必要があります」
「地元産の製品、障害者、ダイバーシティ、インクルージョンをサポートするという素晴らしい使命を果たしています」
と書かれていた(1000件以上のレビューがあり高評価)。
そうか、地元の人たちは知っているのだ。
一方で、健常者のマネージャーに対する苦情も書かれているのがいくつかあった。人間だもの、やっぱりいろんな人がいる。
あと、英語や外国語のレビューで「ウエイターが無礼だ」とか、「ウエイターがスペイン語で話して英語を話そうとしない」と文句を書いている人もいた。
後者に関しては、お門違いだろうと私は個人的に思う。だってここはスペインなんだから英語を話さなかったからといって低いレビューを書かれる筋合いなんてないのではと思うけど。また私は余計なことを言っているのだろうか。
人は表面的に短絡的にジャッジして、いかに自分が「知らない」かには気づかず、好き勝手言ってしまうものなのかな。
ああ、無知っておそろしい。