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ちょんまげを貫いた店の流儀
「この店なんなんだろうね?」という飲食店が時々通る細い道にあった。
飲食店なんだろうな、とは店の構えからわかるのだけど、カフェなのか、しっかりしたレストランなのか、タパスバーなのか、ワインバーなのか、よくわからない店なのである。
通りにガラス張りで、悪くなさそうなのだけど、いつも誰もいないので開店しているのか閉まっているのかもわからない。だから、それ以上気にとめたことがなかった。
場所は、小さなブティックホテルや飲食店もあるような住宅街の中で、我が家から徒歩圏内である。
ある時、近所のカフェで初対面のドイツ人おじさんと雑談をしていたら、「あそこのレストラン行ったことある?すごくおいしくておすすめなんだけど」と言われて、店名を聞いてもわからないから地図アプリで検索してみたら、前述のいつも誰もいないよくわからない飲食店のことだった。
そのドイツ人おじさんは、仮にバイエルンさんと呼ぶ、このスペインの島に住んでいる人ではなく、休暇のたびに(年に何度も何週間も)この島にやってくる人なのだけど、その度にそのレストランに行くのだそうだ。
「この近所で一番おいしいと思う。地元の食材を使っててシンプルで丁寧な料理で、どれもおいしい。ワインも高くないし。音楽は古き良きロックがかかってて、いい感じなんだよ」と熱く説明してくれた。
「だけどお店はあまりうまくいってないみたいなんだ」とバイエルンさんは詳しくお店の事情を教えてくれた。
「この店はカップルで切り盛りしてるんだけど、男性がシェフで女性が店に立ってて。僕は言ったんだよ、彼らに、この店はもっと評価されるべきだって。だけど、人々から知られてないんだ。表から見たら店名だけでメニューを見せてないから、なんの店かわからない。ふつう、飲食店って外からどんな料理出すのかわかるでしょ、タパスなのかピザなのかバーガーなのか。どんなものが提供されているかわかるから人々は入ってみようかなってなりやすい。そうだろう?彼らは地元食材の料理出してるんだから、それをわかりやすく示すべきだって伝えたんだ。」
私は「わかる。私、何度もあの店の前を通ったことあったけど、何屋さんかわからないし、入りにくく感じてた」と同意した。
値段もメニューも全くわからない店なんて怖くて入れない。どんなにお腹空いてても、勇気がいる。会計時にヤクザのおじさんが出てきて脅される、とかないだろうけど、事前情報は欲しい。一度入ってメニューを手渡された後で、やっぱりやめます、って出るのは気まずい。
「そうでしょう?だから僕は、彼らにメニューの一部でもいいから入り口の壁に掲示するなり、ウインドーでも店内の壁でもいいから、地元料理だってわかるように何か書いたほうがいいって言ったんだ。だけどね、何か彼らなりの流儀があるみたいで、表示したくないって言うんだよね。それでもって、客が来ないのは場所が悪いんじゃないか、移転したほうがいいんじゃないかって考えてるんだ」と、バイエルンさん。
「でも場所は悪くないよね。あの店のすぐそばの飲食店はいつも賑わってるし、あのエリアは私もよく食べに行くし。あなたが言うように表からメニューが見えるないいと思うんだけど。それをしたくないって、彼らの美学なのかな。わからないけど頑ななこだわりがあるんだね」と私。
「美学なのかもしれないけどさ、美学じゃ食ってけない。自分達のこだわりを優先してもそのままじゃ店は死んじゃう。彼らはいい人たちなんだよ、フレンドリーだし、とても親切で。だけどなぜかこだわって変化しようとしない。聞き入れてくれないんだよね。とにかくさ、一度食べに行ってみてよ、おいしいから」とバイエルンさんは真剣に言う。
だから、私は行ってみた。あんなにおすすめされたし。私は結構すぐ人を信じてしまうのだ。
それに、偶然にも、他の地元の人からもその店をおすすめされていた。やっぱり信じやすいのかも(騙されやすいのかも)。
人々の言葉は素直に聞いてみようと私は思って、相方と行ってみた。
結果、おいしかった。確かに料理はよかった。高すぎない、安いわけでもないけど。しかしながらやっぱり、誰も客がいなかった。客がいなさすぎて、静寂すぎて、ししおどしの音が聞こえそうだった。正直、居心地が悪かった。
誰もいなさすぎて最初から最後まで私たちだけ、というのはなんだか息が詰まる。ピアノの発表会の舞台上でフォークとナイフをかちゃかちゃさせて食べている気分だった。
ある程度の活気って必要だ。みんなが喋りながら美味しく食べている空気感って調味料のひとつだ。雰囲気の味付けゼロはつらい。限りなく無塩に近い。塩からいのは嫌だけど、適度な塩がふりかけてあるのはやっぱりおいしい。混み過ぎててうるさい店は嫌だけど、無人島みたいな状態は寂しい。
バイエルンさんが言っていた通り店内の音楽は「古き良きロック」だった。古き良きといっても、エルビスとかビートルズとかそういう古さではなく、80年代から90年代のグランジやオルタナティブロックと言われるバンドの音楽だった。地元食材の料理とワインと、ニルバーナが合っているのか、いまいちよくわからなかった。
私たちしか客がいないレストランの中で聴くそのロックは、田舎のショッピングモールの平日の午前中を思い出させた。老人しかいない閑散とした店内に寂しく響く、少し前に流行ったポップソングのような、切ない気持ちにさせた。
店内のカウンターはバーっぽくお客さんも座れる作りだった。バイエルンさんが「バーカウンターでワイン飲めるようにしたらいいじゃないって言ったんだ。ドリンクだけの客がいたら儲かるじゃない。利益率は飲み物が高いんだからさ。つまみ出してもいいしさ。でも、彼らは食事客しか受けたくないみたいなんだよね。だから飲むだけはお断りってわけさ」と言ってたのを思い出した。私も彼の意見に同意だった。どうせ閑散としてるならできることやったらいいのに、と思った。
会計してもらう時に、お店の人と少し会話した。悪い人たちじゃない。話せば感じの良い人たちではあった。ちょっとシャイだったけど。
「バイエルンさんからおすすめされてきたんですよ」と言うと、「あー!あなたが彼が言ってた日本人ね!」と反応していた。
だけど私たちは再び食べに行くことはなかった。だってやっぱりいつも店内は閑散としていて、気まずそうだったから。
相変わらずメニューは外に表示していない。
知られたいけど、知られたくない。
客に来てほしいけど、客が来やすいようにはしたくない。
支持してくれている客には感謝しているけど助言は受け入れることができない。
やっぱり美学なんだろうか。なんだろう、難しくて私にはよくわからない。
せっかく、熱心に良さを広めようとしてくれている人(バイエルンさん)がいるのに。その熱意を素直に聞いて取り入れようとはしない。
でも、人ってそういうところ結構あるのかもね、って私は思ったりした。
バイエルンさんと数ヶ月ぶりに会った。また休暇で島に1週間きているのだそう。
「あのレストラン行った?」と私に聞いてきた。
「行ったよ。おいしかったよ。だけどやっぱり、あなたが言った通り知られるためにもっと改善したらいいのになって思ったよ」と私。
「もう店閉めるみたいなんだ。再来月に」とバイエルンさん。
美学を貫いて死んじゃうことを選んだんだ。こうなるような気はしてたけど。
ちょんまげを切られるくらいなら切腹するぜよ、という心意気のようだ。
やっぱり人ってそういうところ、ありますよね。ないですか?